2012年9月

ローヌ川を通り過ぎ、 コートダジュール沿いにジェノバへ。フランスは突如天気悪かったのに、地中海についてからは太陽太陽太陽。。。毎日鏡見て「随分変わったなぁ」と、思う日々。イタリア北部の平原につくために一度アルプス越えをして一気に東へ。ベネチアにつくまでイタリアの天気ホントに良くて感激してた(というかむしろ倒れそうなぐらいだった)のにトリエステで新聞に載るほどの大荒れに。そこから南に向かいとりあえずクロアチアへ。初テント。それにしても、カウチサーフィングがうまくいきすぎて感激。イタリアでの寝る場所の交渉、コートダジュールの海岸での一晩。このホームページじゃあ語り尽くせない程の量ですが、とりあえず見ていきましょう。

リヨン、ヴァランス、アヴィニョン

... そして誰の目からも涙が止まらず息を詰まらせたさよならの声が苦しそうに別れの言葉を告げる中、僕は・・・・、っていう感動の別れは全然なくて、普通に同居人のジュリアンに、出送ってもらいました。すげえ普通な一日的な始まりだったわ。

去年ゲッティンゲンからリヨンまでここのページにあるように自転車旅行したんで、たいていのことはわかってるんですけど、まさか初日からこんな鋲にぶちあたってタイヤがパンクするとか、あり得ない・・・。

んでまあ、フランスのこと知ってる人は知ってると思うんですけど、フランスってほとんど雨ふらないんですよね。毎日晴天みたいな。うちの犬の頭ん中みたいだな。なんで一瞬ちょっと女子高生っぽい口調になったんだろ。それにしても、そんな中まさか初日から雨ふるとはね。文句ばっかだな、俺。

んで、今実は英語版写してるんですけど、この日バランス(?)でベンの家泊まって、ってか「べん」って書いて変換したら全然違う単語になって危うくそのままにするところだった、この記録つけてたんですけど、あまりに眠すぎてあんま意味ないことしか書かれてない・・・。なんにせよこのベン君日本に興味があって九州から東京まで結構ヒッチハイキングしてるそうです。見かけたらのせてあげてってください。んで実はなんで眠かったかというとこの前の日うちでちょっとしたお別れパーティーがあってみんなで深夜まで飲んでたんですよね。それだけならまだしも、僕、前回に引き続いて全然用意ができてないって話で客が帰った後がんばって用意する始末。結構忘れ物もしたわ。んでまあベン君の家では10時間寝させてもらって次の日出発しました。サンキュ、ベン。

川沿い走るのの長所って、相当方向音痴でない限り、自分の向かう方向を見失わないことですよね。僕、今日生まれて初めて交差点も一切ない川沿いの道で道に迷った気がしてめっちゃ慌てふためいた気がする。普段の方向音痴が強烈すぎて起きた結果だろう。

この写真はローヌ川沿いの典型的な風景。いいでしょ?

二日目は、ラベンダーで有名なアヴィニョンから遠くないミッシェルの家へ。 んでもってこれがフランス料理のフルコースに変わって食後にシャルトルーズっていう優雅なフランスの夕べの一時。はっきり言って世界を旅して回る身なのにこんな豪華な生活していいのだろうか。ま、これでフランスの豪華さに触れるのも最後になるかもしれないしいいか。認可。

アヴィニョン、サンマクシマン、アンティーブ

二日目が終わってやっと地中海に近づいてきた。てか真面目な話人生の頂点とも呼べるようなこの旅始まって以来、毎日雨ふってる。実は今年フランスではあまりに雨がふらなさすぎて1993年以来の(主にワインの)不作になるらしいんですけど、一体どういうこと?ウクライナで収穫したひまわりがバキバキって音を立てて割れたのが懐かしいわ。てか前回ゲッティンゲンからリヨンにチャリで行ったときもなぜかフランスに入った瞬間に雨降り出したっていうもはや呪われてるとしか思えない状況に陥ったんだけど、どういうこと?ゲッティンゲンにいた頃「フランスでは雨がふらない」って意味不明なこと豪語してたフランスからの留学生たち、責任とれ。畑のカボチャたちも少なくとも僕ぐらいやる気なさそうに見える。

南フランスの(僕的に)最も醜い街(そのうちヨーロッパの醜い街シリーズも取り上げよう)エクサンプロヴァンスを抜けた後、サンマクシマンへ。一応エクサンプロヴァンスを抜けたという証拠を見せるために一枚だけ写真をあげておこう。きっとこの街にもこの街なりの美しさがあるんだろうけど、もはやフランスの美しさなんてなあ。

愚かなことにファブリスの家に泊まっていながら写真を撮り忘れた。それにしても彼、東京のこと詳しすぎてビビったわ。歌舞伎町とか今度案内してもらおう。ちなみに上海のこととかもめっちゃ詳しかったから、中国とかでも会えたらいいな。

そして三日が経って、やっと天気がよくなりました。それに合わせてか、コートダジュールに到着。限りなく続く青い空に延々と輝く太陽。5年間に渡って続いた、ただひたすら毎日パソコンの画面を覗き込む生活が終わり、この世のものとは思えないぐらいの美しい世界へ。今これ読んでる人たち、実はパソコンの画面覗き込んでるのが申し訳ないわ。

もひとつ、「地中海らしさ」が感じられる点としては、やたらとおじいちゃんとかおばあちゃんとかがそこら中でひなたぼっこしてるんですよね。そして何より、道路標識が適当・・・。これを読んでる日本人の皆さん、日本人である限りここにくるにはきっと頭が固すぎるわ。僕は「ドイツすぎ」らしくて良かったわ。

この旅始まって初めて年下の(とかヨーロッパではあんまり重要じゃないが。)人のところに泊めてもらいました。 ナイスガイトーマ氏。若いっていいですね(っていうのが言いたかった)。彼、若くてまだエネルギーにあふれてるのにもう働き始めてるなんてね。しかも、彼も自転車大好きらしい。来年帰ってきたら自転車タクシー使ってみんなでモスクワだかスペインだかに行こうって言う計画たててるんですけど、そのときはぜひ参加してもらいたい。彼とならできそうだわ。僕が後ろで彼のためにギター弾くんでそれ聴いてちょっとずつちょっとずつというか ・・・、まあ細かいことは計画がある程度まとまり次第話し合いましょう。

アンティーブ、ジェノア

そして地中海はアンティーブを抜けても続く・・・。まずニースを抜けてそしたらモナコが来て、おじいちゃんとかおばあちゃんとかがひなたぼっこしたり小話したりカエル食べたりでんでん虫食べたりしてる小さな小さな街を抜けて、ついにイタリアへ!!!生まれて初めてイタリアに来ました。んでまあ実をいうとですね、ドイツにいた頃、イタリア人の交換留学生と過ごしてるうちに実はイタリア語も話せるようになってたりするんで、これが通じるかどうか楽しみです。ちなみにドイツであったイタリアの交換留学生たち、僕があまりによってたせいかそもそもそんなに深い話をしてないせいか、ほぼ一人も覚えてない。ゴメン。国境越えるところで古い殻を脱いで新世界に突入するような気分だった。どこでもドアみたいな。

んでイタリア始まったばっかりなんですけど、ここで問題発生。自ら僕にカウチサーフィングでコンタクトとっておきながら、今日のホストと連絡がつかない。ここまで随分順調に来ていた旅も、ついに困難にぶちあたりました。こんなような問題にはこれからいくらでもあたるんだろうけど、さあ、果たしてC++もGnuplotも使わずに、この問題が解決できるだろうか。ちなみにGnuplotはCかC++(どっちか忘れた)をベースにして書かれているからそもそもが・・・。なんにせよ、とりうる選択肢としては

  • ホテル
  • キャンプ場
  • できるだけ大きな声をあげて泣きわめく
  • とりあえず実はヨーロッパが大好きな母親のためにお土産をかいにいく

んでもって実際のところの状況は(当然そうであるべきなように)若干深刻で、結構焦って探した結果、最後に選んだのは、自転車だけ近くにあるレストランに置かせてもらい、僕は海岸で寝る、っていう選択肢でした。今、「なんで上のクイズかいたんだよ」って思ってるでしょ?それは単純に今これを読んでいる君が僕のことをよく知らないからだよ。僕のことよく知ってる人とか、最初からわかってるから僕の文章なんか読まないし。

そんでもって近くにあった小さなレストランでちょっとぼけ気味なおばあちゃんと10分ぐらい交渉したあげく、自転車停めさせてもらえることに。僕はスウェットと寝袋をもって海岸へ。

雲一つない、澄み渡った夏の終わりのコートダジュール。波が行ったり来たりするのを聴きながら、世界の中のこの小さな一部分の平和は、今もこれからも、こんな風に続いていくんだろうな、と思った。

さて、なんにせよイタリア。上に書いた通り、地中海に近づいてからフランスの道路標識がやたらと適当になったんですが、イタリアの比じゃないですね。無限にある例の一つとしては、道路番号が書かれてない。何のために存在してるのだろう。唯一当てになるのは、今どの街に向かっているかってことで、残りは「それっぽく」進むしかない。しかも街の名前が書いてある道路標識とか、直進するところで書いてあるくせに、曲がるところには書いてない。ギャグか。おもしろくない。ピザとかチェダーチーズって書いてあんのに注文してみたらモッツァレラだったとか、つっこみいれると「今日の朝市場で買い損ねた」とか言われるんでそういうときは素直にあきらめましょう。これを読んでるドイツ人の人たち、イタリア行くのはやめましょう。ドイツ人にはあまりに適当すぎるわ。僕、この一年でちょっとフレンチになっててよかった。

見ての通り、イタリアではトイレだけでなく、エレベーターでも男女分かれているので注意。

あんまりちゃんと考えてなかったんですけど、ジェノヴァ直前の地形ってそんなに平坦じゃないんですよね。しかも地中海じゃないですか。横目に見るとみんな楽しそうにばちゃばちゃと海で遊んでる訳なんですよ。喧嘩うってんのか。次あったら海岸でひなたぼっこしてる奴らにバルサミコかけてやる。

ジェノヴァって車だらけのやたらとごちゃごちゃした街で、日本で言うと梅田って所ですかね。しかもそれだけじゃ済まされなくて部分的に坂がめっちゃ急なんですよ。ありがたいことに今日のカウチホスト、ルカはめっちゃいいヤツで、僕が直前になってゲッティンゲンからの友達のハネスつれてくるとか言い出したこととか、しかも約束の時間からめっちゃ遅れて到着したこととか全く気にしないで迎えてもらえました。ちなみにめっちゃ遅れてって言うのは7時って言って11時に着くってぐらいの話です。今のところカウチサーフィングからいなくなってはいないので、あまりに僕らの行動にあきれかえっているってことはないだろう・・・。ハネスはちなみにミュンヘンからヒッチハイキングできて、再びヒッチハイキングでミュンヘンへ。大したヤツだ。

ジェノア、アレッサンドリア、クレモナ

ここで問題になってくるのが、グーグルマップとか使ってもらうとわかると思うんですが、ジェノヴァからスロベニアに向かう道ってどう通っても確実に平らじゃないんですよね。唯一平らなのはイタリアの南端まで行く道とかだろうか・・・。最終的に、アレッサンドリアまで北上することに。地中海沿いを走ったことがある人ならわかると思うんですが、高速道路がものすごい高いところを通ってるんですよね。まさにSF級の天空の高速道路。まあこの写真見て想像はつくと思うんですが、これ、僕が通った道の一番高いとこらへんから高速道路を写した写真です。どんなに天空にある様に見える物体も視覚効果で随分低く見えるもんだなぁ・・・。約550メートル20キロかけて登ったみたいです。トルコの2000メートルが楽しみだわ。ちなみにここの道ですが一カ所アレッサンドリアまでの距離が標識上6キロ進んだだけで30キロ減る部分を頭に、残りの距離が増えたり減ったりするんで注意してみてみてください。イタリアでは、目的地までの距離が増えるか減るかは50/50。

そして次なるイタリアの問題点は、インターネットが使えない。ドイツだとスターバックス、フランスだとマクドナルドとか僕としては結構決まった場所でインターネット使ってたんですけど、イタリア当然スターバックスとかないし、マクドナルドとかイタリアの携帯番号がないとネット使わせてもらえないとかはっきり言って四面楚歌ですよ。他の旅行者かどうしてるんだろう?んで当然困ったことに、実はアレッサンドリアでフランスで知り合ったスペイン人の友達がイタリア人の家のハウスパーティーに日本人である僕を招待してくれたんで、どっかで合う約束してたんですけど、どこかわからない。ホットスポットを何十分か探した結果、適当に街の中心でパソコン開いたら、インターネットが使えたから椅子もテーブルもないところで突っ立ってメールチェック。んでもってこれが夜11時ぐらいだったんですよね。当然ですけどもはや呼んでもらったパーティーとかに行く訳にもいかないじゃないですか。ここで問題なのがですね、別に街のど真ん中にいなければどうなったところで別に焦らずにテントを張る場所でもゆっくり考えればいいんですけど、街のど真ん中じゃないですか。しかも僕まだテントはって寝たこととかないし。とりあえず近くにいた人に近くの青年の家の場所を聞いてみます。それでまあ不思議なことに、この近くにいた人っていうのと仲良くなるんですけど、青年の家は閉まっていたので、彼が近くのホテルで交渉してくれた結果、結構レベルの高いホテルに30ユーロで泊まれることになりました。それでも結構高いけどインターネットも使えるし朝食付きだし文句いわずに泊まることに。ありがとう。ちなみに朝食でどれだけ食べたかはいろいろ想像してみてください

次の日、バイオリンの街クレモナへ。うちの親とか耳を澄ませばの大ファンなんで発狂するんじゃないかって感じなんですけど、更に土曜日、次の日日曜日ってことだったんで二泊することに。そろそろ体のいろんなところにも限界きてたし。前の日アルプス越えでめちゃめちゃ苦しんだんですけどイタリアって不思議なことに北の方はすごい平らなんですよね。すっきりゆっくり走ってこの日のホスト、ピエールの家へ。さすがイタリアの家、豪華な内装。クレモナ自体もまさにバイオリンの街って言う感じで重工業的な部分が全くありません。セイジ君どこだろ。

ついですぐ、近くの祭り(?)へ。イタリアでは(ドイツと違って)お祭りとかでワインを飲むらしい。ゴージャスだな。ピエールとピエールの友達は、英語も話せたんですけど、ものすごい忍耐力で僕のイタリア語を聞いてくれていました。実はこれが初めてイタリア語はなした機会だったりする。

翌日、クレモナ観光。ピエールは前日のアルコールでまだ苦しんでたんですけど、僕は気にせずのこのこと街へ。これ読んでるクラシック好きの人がうらやましがるために一言いっておくと、この写真に写っている家がストラディバリの生家です。でもこの家だけに限らず、クレモナ回ってるとどこにでもバイオリン職人の家が見つかります。

それで実は今日のハイライトはストラディバリとかどうでもいいこととかじゃなくて、ピエールの家でハウスパーティーがあったんですね。二日酔い大丈夫なんかな。多分僕がクレモナで初めてハウスパーティーとかに参加できた日本人ですよ。当然別に誰も僕が突然現れたこととかに不快感とか示さないですからね。むしろ歓迎ムードですよ。さすがイタリア。

イタリア人はどうやって「乾杯」っていう言葉を覚えるでしょう?正解はこちら

「ええっと、アマレット?マルティーニ?じゃなくて、、、ああ!乾杯!!」(どういうことかわかるかな)

ハウスパーティーは一応昼食って予定で夜八時まで続き、他の人たちは別のパーティーへ。僕もいきたかったんですけど次の日結構距離いく予定だったんで、家に残ることに。来年またくるからさ。「来年またくるから」って約束をあっちこっちでしておりますがこの調子だとめちゃめちゃ回るところでてくるわ。でもホントに来年また戻ってくるから 笑。なんにせよいろんなところに一日か二日しかいられないってのも残念です。

クレモナ、フェラーラ、ヴェネチア

ピエールは「(スペアキーあるから)どんだけ寝ててもいいよ」って言ってくれてたんですけど、僕が「いや、一緒に起きてピエールが仕事に出るとき(7時)に一緒に家出よう」って言ったのに、起きたの6時40分で、家出たの7時30分でした。ピエールゴメン。日本人時間に疎いからさ。って言っておいた。

そ、フェラーラへ。一応言っておくと、っていうか僕が引っかかったから一応言っておくんですけど、フェラーラってフェラーリとは何の関係もないです。むしろ自転車の街らしい。てかそれはいいんですけど、クレモナから170キロぐらい離れてるんですよね。無理でしょ。これが、意外と無理じゃないんですよね。実際イタリア北部ってすごい平坦なんであっさりつきました。多分フェラーラには中国語がとても堪能な方がいらっしゃるんだな、とこの看板を見て思った。

さて、170キロ終了後、午後8時頃フェラーラにつきました。今日のホストは愉快なアナとその彼氏ルーカ。実際この国ルーカって何人いるんだろ。まあ中国語のレストランがにーはおって名前な短絡さだから別に驚かないけど。

この写真、残念なんですけど、僕のカメラがテーブルの上にあるサングラスだけ顔認識したんで焦点あんま合ってないです。

さて、着いたには着きましたが、何をしましょう?ここはイタリア、当然アイスクリームを探しに外へ。とりあえずフェラーラを一回りした後、インターネットを使うために、マクドナルドへ、んで当然インターネットつながらなかったんで、なぜかインターネットのあった街の中心へ。そこで一時間ほどグダグダした後、イタリア的なものを食べよう、と言って歩き回った結果、ケバブをたべることに。深夜直前、アイスクリームについにたどり着きました。イタリアでは、午後7時30分以降開いてるスーパーを見つけるのとか、そもそも午後10時以降働いている人を見るのとかは全然無理ですが、昼夜関係なくアイスクリームショップはいつでもそこに。経済は低迷、失業率はどんどん上がり続けているイタリアですが、アイスクリームショップはいつでもそこに、とルーカが申しておりました。

カウチサーフィングの特長として、ホストが誰かによって全然違う生活が楽しめるってことがありますよね。クレモナで二日間イタリア的豪華さを体験した後に、フェラーラで典型的な学生型ダラダラ生活を久々に経験できることに。こういうのもすきだぜ。

アナとルーカの家の中庭で、延々と続く適当さにまた謁見する機会に恵まれました。手書きのナンバープレート。多分僕未だにイタリア人になりきれてない。

さて、次の目的地は水の楽園ヴェネチア。別にヴェネチアに向かう道でそんなに言うことないんですけど、もしも僕と同じ考えでヴェネチアまでチャリで行こうとしてる方、やめましょう。ヴェネチアまでは鉄道も、バスもあります。もしそれでもヴェネチアまでチャリで行こうとする方、フェラーラからヴェネチアに向かう道、ヴェネチア直前で突然予告もなく高速道路になるし、イタリア本土とヴェネチアを結ぶ橋、4キロぐらいあるんですけど歩行者用の道ないし、街灯もないんでぶっちゃけ暗いとマジで危ないです。僕、自ら経験したんでよく聞いてやめときましょう。それでもどうしても行きたいというあなた、は、無謀だ。

んでもってヴェネチアに到着しました。写真の真ん中につったってるのが、僕の今日のホスト、アレックス。彼はヴェネチア大学(?)で英語を学んでいるらしい。同じ家にいた他の奴ら全員は建築専攻。ヴェネチアで建築専攻って結構面白そうだよな。

そしてまたしても大学生の家に泊まることになったので、当然パーティーパーティー。僕がヴェネチアに着いたのが随分遅かったって言うのもあって昼間の喧騒を見ることはできなかったんですが、夜のヴェネチアは、実は学生たちのたまり場で、ガンガンに飲みまくってました。またしてもイタリアらしくワインを飲む学生たち。ビール飲めよ。どんだけワイン重要なんだよイライラ。

そしてこれがこの日一番重要なシーン。最初は全員学生の集まる広場でたまってたんですが、途中でなぜか写真の左からに番目に写ってるアントニオがサンマリオ(って名前だったか確かじゃないけど)に行こうとか言い出しました。他の奴らは家帰って映画みるとかヴェネチアにいる意味全然ないこと言い出したんで、そいつらは家帰らせて僕らは昼は観光客でごった返しているという噂の名所へ。

イタリア人の男が世界で一番かっこいいとかよく言うじゃないですか。ヴェネチアの誰もいない通りを、各自ワインボトルをもって、少しばかりの通りの光とそれが反射してキラキラ光る水路の上を通る年月を経た橋の上に座って話し込む・・・。イタリア人はきっと外の人が思うよりかっこいいですよ。

ヴェネチア、トリエステ

まあ、かっこいいってのはいいんですけど、格好良すぎて朝三時半まで飲んで更に次の日朝九時に起きて170キロ走らなきゃ行けないとか・・・。ぶっ飛び過ぎでしょ。

余計なことぐちゃぐちゃ言ってないで話のコアな部分に行きますと、実はですね、この日イタリア語わかる人はこの記事読んでいただければわかると思うんですけど、歴史的な豪雨に襲われたんですね。ちなみに僕は夜九時頃、誰もいない森の中をですね、雷が延々と鳴り響く中自転車をこいでいた訳ですよ。多分人生でこれほどの量の雨をみたのは初めてだったわ。しかもトリエステ直前の山のなかって街灯ないんですよ。多分僕のこと追い抜いて行った車たち僕が不安になっていた以上に僕のことみて不安になっただろうと思う。しかもこれが2、3時間続いた訳ですからね。悪夢でしたよ悪夢。

なんでかはよくわからないんですけど、途中の道で何カ所かテント張れるような場所(橋の下とか)もあってしかもホテルとかもちょくちょく見えたんですけどそれでもトリエステまであきらめたくなかったですね。多分行き先がわかっているって時はあきらめずに進めるんだと思う。

僕がマックスの家に着いたときはマジで疲れきってました。約束の時間から1、2時間遅れてましたがそれでもイタリア風パスタと大量の肉料理を用意してくれました。助かった・・・。

次の日、雨が続いていたのでマックスの家にとどまってホームページ更新することに。

さて、休憩終了。んでもって天気も大幅に回復しました。イタリアはすごいいい国でしたがここにいつまでもとどまっている訳にも行かなさそうです。なにしろ「世界旅行」が待ってるんでね。というわけで朝七時半にマックスの家を出て南のスロベニアへ。

スロベニアって(僕的には)西ヨーロッパと東ヨーロッパの架け橋みたいなところで今はEU加盟国ですが、スロベニア入った瞬間はっきりイタリアの豪華さがなくなったなってのが感じ取れました。素晴らしい。

というわけで(スロベニアはわずか数キロで)クロアチアへ。実はドイツにいた頃ユーゴ内戦の影響かクロアチアの交換留学生も結構知ってたんですけど、そういうこと考えるとこの海岸沿いとかの雰囲気も内戦中は全然違って見えたんだろうな、と自転車こぎながら思いました。まあそういう意味ではコートダジュールも70年前は結構寂れていたのかもしれない。

んでまた自転車こいでて思ったんですけど、クロアチアの自然ってドイツとかフランスとかと全然違うんですよね。ドイツとかフランスとかだと、森なら森、草原なら草原ってはっきり分かれてるんですけどクロアチアは草原にぽつぽつ木が生えてるみたいなどっちともいい難い場所が結構いろんなところに。あと何の前触れもなく突然こんな小屋(?)が現れたりとか。これって戦時中とかに使われてたんですかね。なんにせよ草原と木々が同時にみれるってのも結構いい感じ。

さて、クロアチア初日ですが、実はあんまり語ることもないっていうかアンドレアのトコに泊まれたのはいいんですけど、彼僕のための時間なくて結局ほとんど話もせずに終わってしまったというか。こういう経験カウチサーフィング始めて以来初だったんですけど、別に彼としても悪気があってこうなったんじゃないだろうから次に期待します。

プラ、センィ

アンドレアのトコ出るとき、実はどうしてもホストが見つからなくて、ほぼ確実にこの日野宿することになってたんですよね。なんにせよ次の街リエカだかどっかへ。

プラでてから若干北上する感じだったんですけど、なんか突然坂がやたらと出てきた上に北風ばっか吹くんですよね。ここ数日北風ばっか吹く気がするんですけど気のせいですかね。

そしてこの旅始まって初めて水の洗浄機使いましたよ。山ん中だったから別にそんなに必要なかったとも思うんですけど、サルモネラだかカシオペアだか怖いですからね、一応使ってみます。クロアチアの水でもおいしく飲める。さすがスイスクオリティーですね。

残念ながらこの日、結局リエカにたどり着くことはできず。山が半端ない、この地域。それで上に書いた通り、初めてテントを使いました。リエカに向かう道の小さな街の中にひっそりとたたずむ廃屋があって、そこで誰の目にもつかずにひっそりとテントを。床はアスファルトで寝るの大変でしたがなんにせよタダで寝れたし、どっちみちアジアに着いたらこんな生活が続くだろうから文句は言えないっすね。てか僕が思ってたよりもマシだったかもしれない。

あまり寝れなかったってこともあって次の日は朝6時ぐらいに起きて次の街、センィへ。そして偶然会ったドイツ人の旅行客に、実はどこでもユーロで支払いができることを教わる。何だよそういうオチか。クレジットカードが限度額超えてたとかなんかでついでに使えなくなってたから随分助かった。しかもこの国やたらとドイツ人ばっかりいるし。観光型植民地か。と、いうわけでアドリア海沿いで優雅にカフェでコーヒー飲みながらメールチェック。なんてエレガントさ。体汗臭い。

アドリア海沿いの地形ってやたらと上下が激しいんですけど、何キロにも及ぶ坂を越えると、あっと驚くような風景が広がってたりするんですよね。まあ仮にこの前夜のホラーがあったとしてもこの幸せそうな少年の写真も見ておいてくださいよ。

ひょっとすると今、僕の文章の雰囲気がちょっと変わったなって思ってる人もいるかもしれないんですけど、実はこの文章書いてるときまた別のホラーに遭遇してたんで、勘弁してください。今回は屋根なしの場所でテントだったんで。めっちゃ汗だらけ。すげー良く眠れそう。

センィ、ザダール

あまりにホラーが強すぎるとさすがにこのブログ読んでる人にも申し訳ないんで朝になってから一応テントの写真も撮っておくことに。んでなぜかテントも正しく張れていないっていう無情な背景に悲しい事実。夜の間やたらとばたばたいうのなんでだろうって思ってたけどここでやっと理由がはっきりしたわ。なんにせよ朝早くから自転車こげたからいいか。

自然の中で旅する場合、健康には気をつけましょう。僕の場合、どうやら携帯してた水を二日か三日日光の入らない袋にそのまま持ち歩いていたみたいで、それが原因の腹痛が・・・。

そしてこの日、実は150キロ進む予定だったんですけど、この地域坂ばっか。腹痛いんだからいい加減にしろよクロアチア人。小さいレストラン何カ所か入って回復しようとはしてみたんですけど、当然食中毒ってそう簡単に除去できるような問題でもないみたいですね。あーあ。

少なくとも山がだんだん減ってきたんで、とりあえずなんとか・・・。後から聞いたんですけどリエカかルザダールにチャリでいく人って地形の関係でほとんどいないそうです。先に言えよ。

ザダールにつく直前、のどが乾ききってるのに、それだけじゃなくイタリアでの悪夢が再び:目的地までの距離が二倍に。すでに結構暗くなってた上にクロアチアあんまり街灯が整備されてなくてなんも見えない。そんな中で残り6キロが12キロになった訳ですからね。おいおい君たちよくやってくれたよ。驚きもものきだったよ

腹痛半端なかったそれにしても。

んで皆さんお待ちかねのハッピーエンドなんですけど、この日のホスト、ボーリスのとこにつくときにですね、なんと偶然向こうが車で通りがかるって言う奇跡が起きてですね、暗闇の中で家を探すとかいう必要がなくなった訳なんですよ。助かった。このあと車に乗ってたボーリスの友人ヴァーニャも一緒に近くのレストランへ。ぶっちゃけ腹が痛すぎてあんまり食事には集中できなかった・・・。

次の日、ボーリスが仕事に出た後、一人で家で腹痛と格闘することに。こういうことも、これから起こりうることを考えると経験しておいた方がいいことのうちの一つだろう。特に今回はカウチサーファーのところで起こってくれたからそれなりに幸運ともいえるだろう。しかもボーリス文句とか一歳いわないでくれたし。

ザダール二日目、何もせずに終わる。悲しい結果に終わってしまったわ。実際のところ少しだけホームページ更新できたんで良かったんですけどね。夜にボーリスがかつて栄えつつもヴェネチア王国によって潰されたニン王国ってトコに車で連れて行ってくれたんで写真とってさっさか退散。腹いたし。ちなみにこのニン王国なんですけどザダールのすぐ隣にある半島で、やたらとたくさんの教会とやたらとたくさんのドイツ人がある(いる)場所なんで、観光客が集まるようなところを観光したい人はぜひ行ってみてください。そろそろシーズンも終わって観光地がカラになるような季節に入ってきてんのになんでドイツ人ばっかやたらとどこにでもいんだよ。ソーセージでも食ってろ。

ロシア語ってやたらと母音が少なくて発音がときどきやたらと面倒なんですけどクロアチア語も半端ないですね。この"Trg"って単語、広場って意味なんですけどあっさり「ああ、はいはいTrgね。」って感じで発音できる人とかいるんですかね。

三日目、全快。健康であることがどれだけ幸せなことかこれ読んでる人たち自覚しましょう。まあこれ書いてる自分こんときから随分経っててはっきり言ってどのくらい辛かったか全然覚えてないですけど。ぶり返したりするといやだったし、しかもボーリスの誕生日だったんで一応この日も彼の家に残ることに。と、いうわけで日本的なものとグラタン。これ自体はうまくいったんですけど台所が水浸しに。小さすぎるからわりーんだよ。ってつっこみたくなったんですけどボーリスが片付けてくれたんで、何も言わずに。ボーリス誕生日おめでとう。そして来年また戻ってきて愛するXperiaを破壊してみせるぜ。

ザダール、スプリット、オミス(?)

次の日、次の街スプリットへ。170キロほど離れてたんですけどザダールで随分長いこと休んだんでがんばって行ってみることに。しかもスプリットまで行けば次のカウチサーファーのトコまでつけるっていう特典付き。170キロってはっきり言って自転車で一日で行けるような距離じゃないです、一応付け足しておきますけど。

これ、まずズームした写真をクリックして見てほしいんですけど(ちなみにもう一度クリックすると写真消えます)やたらとクロアチアで見る風景なんですよね(主にあの丘の上のヤツ)。あれってクロアチアだけに集まってるものなんですかね。すごい気になってるんですけど誰か知らないですか?

170キロって(しつこいよ)相当無理な距離なんですけどそれでもまあ当然時速何キロであれどこかでたどり着く訳じゃないですか。そういう気持ちでいたんですけどやっぱ季節も季節で夜が来るのが結構早いんですね。夜七時ぐらいには結構暗くなるんですけど(それでも日本と比べると相当遅いか)この時点でスプリットからまだ20キロほど離れてたんですね。さて、どうするか

まあ実際にはどうするかってこともなくて普通に進むだけなんですよね。僕、こういうときに焦るような人でもないし。ぶっちゃけギターのせいで後ろのライトとか全く見えなくなってるんですけどまあいいや。スプリットにつくまでの道で最低二回高速道路通過してたことに後から気づいたけどまあ別に警察に捕まったりとかそういうことはなかったから別にいいや。

んで今日のホスト、 イヴァンの写真とり忘れて超ショック。マジでいいホストだったのに(別に他のホストが悪かったとかそういう意味ではない)。しかも彼、新聞記者っていう話だったんですけど残念ながらスポーツ記事の担当だったんで僕の旅の話とかが載せられるとかそういう話はなし。でもそんな話とかとは全然別にカウチサーフィングに対する意見とかが, ちゃんとまとまってて良かったわ。これからもカウチサーフィングちゃんと続けてくれるように「ファウスト」って名前のワインをプレゼントしておいた。どんな味だろう・・・

実はザダールでガスバーナーのガス買ったんでこの旅始まって初めてテントの中で温かいものが食べれることに。今夜の献立:いろんなものをかき混ぜたスープ。多分誰も気づかなかったと思うんですけど二年前からこの旅に備えて何でもかんでも一つの鍋で作れるように練習してたんですね。実際缶に入ってるものをかき混ぜるだけとか別に練習しなくても誰にでもできるかもしれないですけど。

テントの中の様子はこんな感じです。ここでは皆さん僕のコンピュータープログラマーとして必須のMacBookが見えてるんですけど飯食ってる間はiPadで映画観てるっていうすごい優雅な生活。んで飯食った後はホームページにのせるあんま誰も興味ない文章書いて次の日喫茶店が見つかり次第ホームページ更新ってとこですかね。世界旅行している身とは思えないわ。シャワー浴びられなくて汗臭い。

注:(クロアチアも含め)ヨーロッパ内どこでも公共の場でテントを張るのは禁止されているので注意しましょう。僕ははっきり言ってキャンプ場とか大して設備も整ってない場所に金だすのばかばかしいと思ってるんで使わないですけど、僕の経験に倣って普通の場所でテント張ったりするとときどき警察とかに捕まるらしいです。

オミス、ドゥブロフニク、コトール

2012年9月もそろそろ終わりに近づき、僕自身もクロアチアの終わりに近づいてきました。(10月1日にイスタンブールに着く計画はどうなっているのだ)。僕の前の世代の人たちは多分この最南の地、ドゥブロフニクでなにが起こったかはっきり覚えていることと思います。ちなみに歴史にちなんでの話ですけどドゥブロフニクに向かう道の途中で実は20キロほどボスニア=ヘルツェゴヴィナっていう日本語のキーボーで打つのやたらと大変な国があるんで、興味がある人はちょっと覗いてみてください。多分この国もアドリア海沿いに観光地が欲しかったのだろう。きれいな場所だからな。この20キロにある唯一の街はネアム(だったかな?実際探すの面倒なんで自分で確認してください)って場所でした。一瞬とはいえ今日また外国に行ったぜ、と意地を張って言ってみる。

と、いうわけでドゥブロフニクへ。ここは海賊の街だそうです。

夕方4時頃には既にドゥブロフニクについてて実際こんなんでいいんだろうかって感じだったんですけどまあそれなりに有名な場所なんで一応ここにもいたんだぜっていうことを証明するために一泊することに。しかもここにつく前二日連続でテントだった上に、二日目テントので料理したせいで、もはや生活不能なほどのすごい臭い(テントだけでなく、服とかも全部)になってたんで今日のところは青年の家で、明日と明後日は再びテントですね。

どこの街に行っても、それなりにいろんな人に会えるもんですね。イスラエル人のピーニと仲良くなったんで一緒にドゥブロフニク観光することに。ここの旧市街地は400メートル四方ぐらいしかなくてあっという間に終わった気がする。多分僕が通ってた高校の方が大きいわ。

夜、"kickstarter.com"っていうサイトついて彼と話すことに。僕は聞いたことなかったんですけど、要するにこのサイト、募金を募る場所で、「私これからこういう本書くんですけどいくらいくら振り込んでくださった方にはこういうのをお届けします」みたいなことを書く場所なんですね。ピーニが提案したのは、当然この旅が終わったら本を書いて、まあ例えば50ドル振り込んでくださった方には、サイン付きで本をお届けしますとか、そういう感じのだったんですけど、結局最後の方で面倒くさくなったのと、そんなにたくさん興味がある人がいるわけないだろ、っていう考えで、やっぱり取りやめることに。

次の日、いつもの通りえげつない量の朝食を食べてから更に南へ。この日、この他モンテネグロに入ったことぐらいしか特別なことなかったかな・・・。

一応付け足しておくと、モンテネグロに入る直前思ったんですけど、クロアチアって西ヨーロッパからの観光客がかなりいるんですよ。フランスとかドイツとかからの。そのせいか明らかに南から入ってくる人に対する配慮がないんですよね。この「主要」道路、めっちゃ荒れてますからね。高速道路が存在しない以上、これが高速道路な訳ですからね。悲惨なもんですよ。これがクロアチアの現状か。

モンテネグロってEU入ってないんですけどユーロ使えるんですよね。それ以外特に観光客がクロアチアより少し少ない以外全然変わりないですね。普通の観光客はクロアチアの方が近いせいかクロアチアに行く様です。その結果というかモンテネグロは物価がかなり安くてブラックホールのようにただ食い尽くす僕。

そしてクロアチア同様、アドリア海がとても美しい。相変わらずフランスほど道は平らではないんですが、ときどき丘の上とか登ってみると、新たな発見とかがあったりするんですね。特にこのきれいな水に浮かぶ小さなモンサンミッシェルとかいい雰囲気ですね。唯一ブルターニュとはっきり違うのは、ブルターニュは大抵どうしようもない天気しかない、ってトコぐらいですかね。

モンテネグロ探索もちゃんとできないうちに、次の国、アルバニアへ。

アルバニアまで北から陸路で行ったことある人いますかね。まあそう言う人はアルバニア直前の地形がどうなってるかわかると思うんですけど日本海側の地形に負けないぐらいの山脈なんですよね。力任せに登ったり降りたりした結果、ペダルが壊れました。そのせいでアルバニアに着いたのが結構遅くなっただけじゃなく、アルバニアの金すらない。さて、どうしたものか・・・。

一時間ほど、とにかく東へ。別にどこに行けば解決するって言う保証もないんで、最初の街、シュコドラ方面へ。アルバニアって人口400万人程度の国なんですよね。ヨーロッパの誇る極小首都ベルリンですら600万人いる訳じゃないですか。しかも観光客が集まるような国でもないし。要するに、普通にクレジットカードで買い物できるスーパー的なものが一切見つからない。しかもアルバニア語なんか話せるわけないから、他の人にも何も聞けない。どうしたものか・・・。

・・・って思ってたところでアルバニアの現実を発見:これを読んでる人にとって一番憧れる国ってどの国ですかね。まあドイツとかフランスとかアメリカとかいろいろあると思うし、個人個人によってばらつきがあると思うんですが、アルバニアはなんと、イタリア一本のみ。もし、イタリア語が話せるようだったら、アルバニアはお勧めです。なんにせよ僕の場合、とりあえず小さな食料品店に行ってみたんですよ。そしたらどっこい、ユーロが普通に使えるってことが発覚しましてね、更に店員さんがおつりだすときにさりげなく、「クアットロ(イタリア語で4)」って言い出しましてね、「え?これはもしかしてイタリア語はなせるんじゃないか・・・」と思って聞いてみたらやっぱり話せるってことが発覚してそこから「テント置かせてもらえますか?」って日本人らしく超謙虚に聞いてみたところ、その店の庭に置かせてもらえることに!

んでもってこれが家族の写真です。写真に写ってる子供たちは生まれて初めて見るアジア人の来客ってことでめっちゃはしゃぎだしてました。実はこの店、以前にもスイス人のカップルが僕同様に現れたことがあったらしくて、僕が最初の外国人ってことはなかったみたいです。家の中にも招いてもらえたので、お礼というかリクエストに応えてギター弾いたり、アルバニア語教えてもらったり・・・。残念ながら「おはよう」がミエルディータであったことしか覚えてない。そしてなぜこれだけ覚えられたかというのはスペイン語話せる人にしかわからない、と思う。

次の日、朝五時半に目が覚め、最初の街シュコドラを超え、とにかく南へ。この旅始まって以来特に自転車には問題なかった(初日のパンクを除く)んですけど、ペダルが遂に壊滅寸前って所まできてましてね、めっちゃギコギコいいながらこいでたんですよ。まあもう2500キロ走った訳ですからね。ペダルぐらい買ってやるわ!って勢いで最初の街でかいました。結構いい品質のが買えた。

上にも書いたんですけど、アルバニア人にとって一番かっこいい国ってのはやっぱりイタリアなんですね。この写真からも見える通り、「最高品質」って感じですからね。イタリア製の車用バッテリーとか意味不明だわ。

この日、どうしてもインターネットが必要だったんで、ドゥレスって言う港町の近くでホテルをとることに。超悪品質ホテルだった。次からちゃんと情報収集していこう。

ドゥレス、コルチェ

アルバニアって実はイスラム教の国なんですよね。イスラム教の素晴らしいところってやっぱり旅人に対する尊敬心があるというか、なんつっても温かくもてなしてもらえて、っていうのはいいんですけど、村とか着いたときにむやみに子供とかに道を聞くの早めといた方がいいみたいです。次の瞬間村の子供たちが全員集まって進めない・・・ってことなんかざらにありますからね。しかも全員アルバニア語しか話さないし。僕の場合、バルシュっていうギリシャの直前の街に向かっているときに近くにいた子供に道合ってるかどうか聞いてみたんですよ。次の瞬間30人ぐらい集まってしかもなぜか全員フェイスブック持ってるから突然友達の数が増えてて、しかも次の日自分のメインページがアルバニア語で埋まってるって言う悪夢に。彼らにとっては多分初めての外国人ですからね。光栄です・・・。

興味深いことに、ここの国の人たち英語はほとんど話せないんですけど、アルバニア最初の日にあった人たちに限らず、どんなに離れた村に行こうとも、必ず一人はイタリア語が話せる人がいるんですね。この国の歴史とかに関係してることだと思うんですが、なんにせよ、ウクライナとかポーランドとかでもときどき「フランス語話せます」とか「ドイツ語話せます」って言う人は現れるんですけど、現実にはそう言う人たちって挨拶程度ができるだけで、使い物にならないってことが大多数なんですけど、ここ、アルバニアのイタリア語は高品質です。大したものだ。

バルシュに着きました。ここは小さい街で、次の街までの距離も結構ある、ってところで暗くなってきたので寝床を探すことに。さて、どこにテントをはるか。実を言うと、ここまでの数日連続のカウチサーファーなしの生活に精神的に相当来てたんですよ。なぜ突然こんな事態に陥ったかというと、実はアルバニアって全然ネット環境が整ってない国なんですね。ネットに限らず、クレジットカードとかも一切使えない。だいたい、クレジットカードがなにであるかも知らない人もたくさんいますからね。「なにこれ?君、バカ?」って顔されますからね。なんにせよ、寝る場所は確保しなきゃならないのでいろんな人に「この辺でテント張れる場所ありませんか?」的なことを聞いて回った結果、なんとイギリスに7年間住んでいた人に遭遇しましてね、当然英語で会話できてしかも自宅に招待してもらえるという結果に。なんと言うツキ。大工さんだったってことしか覚えてなくて名前も思い出せなくて申し訳ないんですけど、なんにせよ、右から三番目の人が招待してくれた人です。

んで、これが家族の写真(妻は自宅に残ったため写真なし)子供たちと一緒に家の近くのレストランに行って超巨大ピザを注文。しかもさりげなくネットも使えたり。テーブルの中央においてあるのは2リットルのビール。二人で飲みました。ほとんど僕一人で飲んだけど。

こういうことってどのくらいの頻度で起こると思いますかね?当然、僕がこの旅に出る前、こういうことは起こりうるだと思ってましたよ。でも実際に起こってみると「こんなことってありうるのだろうか?」と、深く考え込んでしまう・・・、ものすごい矛盾ですね。なんにせよ僕はこの一件で相当ハイになってて英語話せない子供たちにもガンガン話しかけてみることに(迷惑や)。んで家に帰っていろいろこの地域の近況とかも聞けることに。

僕が自宅に招待してもらえたことがありえなかったのと同じ位、この写真もあり得ない。この怪物は自宅で卵を産むために一緒に運ばれたってわけなんですけど、超迷惑そうな顔してるわ。

んで、ここで発覚したんですけど、実はバルシュを通ってギリシャに行くのってあんまり賢いやり方じゃないんですね。僕の位置確認してもらえればわかるんですけど、結局かなりの遠回りをしてギリシャにすすむことに。どっちみち実は違法に高速道路渡ってたんであんまりこのルートを続けるのもどうかなって思ってたんで都合良く。まあ実際にはアルバニアでは警察も全然興味ないようなんで、別にいいんですけど。しかも既にイタリアで二回高速通ってるし。なんにせよ次の目的地、コルチェへ。

次の日、バルシュからの道を一気に逆走して高速道路を通過。警察のコントロールがあったにもかかわらず問題なく漸次着いた場所に着き、そこから更に東へ。むしろ警察「いいね!」とか言い出すし。何のための警察だよ全く。

上にも書いた通り、ネットはアルバニアでは基本的に使えないので、この日もカウチサーファーを見つけることはできず。まあ前日にルート変更したぐらいなんでアルバニアじゃなくても無理ですけど。結果的にアルバニアではカウチサーフィング一切使えず。残念。それでもとにかく、リブラジュドって街で「安全な場所ありますか?」って聞いて回ることに(なんて無謀な質問だ・・・)。最初の5人ぐらいからは全くいい返答がもらえなかったんですけど、街の中心近くのカフェで話しかけた人がまたもや招待してくれることに。二日連続や。彼の名前はソコル、写真の左側の人です。国民柄の問題ですかね、なんにせよこんなことがフランスとかドイツでも起こりうるだろうか・・・。

ソコルは両親と自分の家族とリブラジュドの外れで生活している兵士で、実際彼の家周辺は、人類がコンピューターを開発したとかそういうのが一切到達してない雰囲気の超田舎で、住人たちも初の外国人だったと思うんですけどソコルはイタリア語が話せたので、とりあえず会話で困ることはなく。両親とか英語一単語も出てこない雰囲気でしたからね、まあ実際ノリでどうにかなる感じの家族だったんであんまり困んなかったですけど。イスラム圏で客としてもてなされた場合、ホントに客ですからね。言語がどうとかべつにどうでもよし。僕、多分アルバニアの超伝統的な家庭にもてなされた最初の日本人かもしれない。(んなわけねーよ)

さて、次の日ソコルの家を後にした後ひたすらギリシャへ。ここ、ヨーロッパの中でも最も山の多い地域なんですね。国境直前の街、コルチェで、一晩明かしてギリシャへ。

コルチェ、コザニ

さて、問題です。コルチェではどこで寝たでしょう?他の旧ソ各国に負けないぐらいアルバニアでも建設作業が進んでますからね。実はこの日、コンクリートでできた外枠だけ完成したホールか何か?の中にテントを張って、ガスを節約するために外にあった廃材に火をつけてバーベキューとか、住人が見たらぶっとばしてきそうな行動に出ることに。中にはなぜかすごいふるそうなソファーが二つ置いてあったんでそれをつなげてその上にテントを張って就寝。注:公共の場でオープンに火をつけるのは非常に危険な上、ヨーロッパでは厳禁なんで、僕がやったからってことで同じ行動に出るのはやめましょう。多分この旅が終わるまでに相当な数の違法行為に出るわ、僕。

九月最後の日の朝、ギリシャに到着。トップページに「九月、フランスーギリシャ」ってかけるんで見栄えも良くなって嬉しい。国境でウザッたかったのは意味もなく(コンピューターの異常?)45分も待たされた上に、ギリシャ側では誰も作業してる人がいない。おいギリシャいい加減にしろ。

さ、常夏の国ギリシャにようこそ。国境越えたら20キロぐらい延々と下り坂で、そのあと入ったカフェでいきなり地元の人たちと交流できただけじゃなく、コーヒーとサンドイッチおごってもらえました。これがギリシャ流の生き方ですかね。ギリシャでは他の人に何でもあげるのが普通みたいなので、ドイツ人の皆さん、注意しましょう。

ギリシャで素晴らしいのは、なんといってもどこに行っても誰でもインターネットを普通に使ってるってことですかね。と、いうわけでカウチサーフィングは問題なくどこでも使えます。でもどうやら僕のアルバニアでのカウチサーフィングオンザフライも多分うまくいくんじゃないですかね。写真に写ってるのが最初のホスト、トミー。右に写ってるのは財布なくなったとかで大騒ぎしたあげく(最終的に見つかる)、トミーの家に居座ることになったアメリカ人のカウチサーファー。トミーめっちゃかっこいいヤツだったんでどっかの観に行くのとかすごい楽しいと思うんですが、僕、この日あまりに疲れてたんで、次回に期待・・・。

この写真、実は市場の風景なんですけど、ギリシャの最大の問題は、何もかもがめちゃめちゃ高いってことなんですよね。ひょっとするとフランスよりも高いかもしれない。僕、普段からあまりジャンクフードとかは食べないようにしてるんですけど次の日の朝食、スーパーで買ったのが10ユーロ越えてましたからね(ただし僕も二、三食ぐらい平気で食べますけど)。噂によると、給料は大幅に低いそうです。なんにせよ食料品の品質は良かった。

ここまでが、この旅の最初の一ヶ月でした。要約しましょうか?と、敢えて言ってみましたが、実は僕がここまで書いたのがかなりの要約なんですよね。この一ヶ月に僕が経験したことのうちの本当に残念ながら少しだけの部分しか紹介できなかったのですが、それでも膨大な量になりました。なんといってもこの期間に学んだことの量も計り知れない。この旅が始まるまで何も知らなかったんだから当然ですね。ここでどうしても触れておきたいのが、僕、この旅の前まで「きっと(リヨンの)ジュリアンと(ゲッティンゲンの)エドワードぐらいしかホームページチェックしないだろう」と思ってたんですが、驚くほどいろんな人から精神的なサポートを受けることができました。そして、ひとりぼっちの孤独なテントを張り続ける旅を想像していたんですが、現実には思いがけないほどの数の人に出会い、彼らに支えられて、ここまでこれました。これでも、一人だけの旅、と呼べるのだろうか・・・。でも、そんなことでグジグジ考え込むような時期にはさしかかってないですよね。なんにせよ、このページの最後の最後になりましたが、ここまで支えてくださった皆さん、ありがとう。そして、ここからもまだまだ続くので、乞うご期待。