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デュッセルドルフに移住しました。

2017/6/12 20世紀の秩序と僕のこれから

2013年の終わり頃、僕の勤めていたフランス国立応用化学院リヨン校に東北大学金属科学研究所の加藤先生が来た。

加藤先生はこの前の話にも出てきた井上先生の研究室を引き継いだ人で、こんな素晴らしい人が井上先生の研究室を引き継ぐなんてことがあるのか、と思うほどの人で、むしろこちらの対応が粗すぎて非常に申し訳なかったぐらいなのだが、加藤先生は今後、海外に出て行くかもしれないようなことをつぶやいていた。

あれから4年。 日本では最近共謀罪が衆院を通過したらしい。

去年ドイツに来た日本の高校生たちに、大正デモクラシーから治安維持法まで10年そこそこ程度しかかからなかった、という話をしたが、村山談話が出てからわずか20年で一気に進んだものである。 最近朝日新聞では連日のように反安倍政権を掲げて頑張ってくれているようなのだが、どうやら日本では若い世代が右傾化しているらしく、今後日本は少しずつ国際社会から取り残されていく可能性が高そうだ。

ニューヨークタイムズにしろ、朝日新聞にしろ、素晴らしい新聞だとも思わないが、少なくとも世界から見た自国と矛盾ない報道ができていた機関がどんどん押されていくのは、国際化が進む世界においては皮肉なもんである。

対するヨーロッパだが、戦後、サッチャー政権で国内の製造業を破壊したり、気まぐれに共通通貨の枠組みに入ろうとしてポンド危機を招いたりなどの基本的に政治のできない国イギリスや、経済危機で国の機能がほぼ止まってしまったギリシャなどを除くと、最近は安定して来ているようである。

特に数週間前にあったフランス大統領選挙では、若い世代がEU側につき、全候補者の中で唯一はっきりEU寄りだったマクロン氏の当選に貢献していたようだ。

この若い世代は、エラスムス制度という枠組みの中で、ヨーロッパを自由に行き来するようになった第一世代であることから「エラスムス世代」と呼ばれ、国境を超えたコミュニケーションを主導している。 僕自身エラスムス制度でフランスに行き、そこから最終的に博士論文にまでつながり、ドイツとフランスの橋渡し役になっている。 特に上の世代が文化の差に慌てているところを見ると、やはりフランスに行ったことだけでも価値のあることだった、と今思う。

戦後70年。 戦争を知らない世代が、無知からか退屈からか、世界各地で既成勢力を排除し、運任せのランダム政権を選ぶようになっているらしい。 確かにスペインのような国を見ていると、既成勢力を排除すること自体は正しいことのように見える。 さらに言うなら、マリオドラギをはじめとして、ヨーロッパ中央銀行の重役の多くはゴールドマンサックスなどの巨大金融機関出身である。 そんなぐらいならやはり政治家など次々取り替えていった方がいいのかもしれない。 ただ、やはりフランス革命にしろ、イランのイスラム革命にしろ、アラブの春にしろ、単純に既成勢力を排除するだけでは国は良くならない。 その微妙なバランスの中で、やはり死にゆく定めだった既成勢力がエラスムス制度を作っていたことは、平和ボケに流されていく世界に歯止めをかける救世主になっていたのかもしれない。

さて、最近僕の勤めるマックスプランク研究所に、京都大学の池田先生と言う人が来ると言う話が僕の同僚から来て、その数日後池田先生本人からも僕に連絡があり、住居のことなどを聞かれたのだが、せっかくなので、住居の探し方を説明するだけでなく、僕自身で池田先生の住居も探してみることにした。

実はデュッセルドルフはここのところ異常な住宅不足とそれに伴う価格高騰に悩まされているところで、もはや本人がいないのに住宅を探すなど論外だったのだが、だいたい自らちゃんと連絡して来るような人は結構期待できるケースが多い(そして池田先生は期待通りの人だった)と言う理由と、日本から来る研究者、と言う理由で頑張ってみた。

見つかった家は、少なくとも価格の割にはかなり大きないい家で、おばあちゃんの大家さんがだいぶ抜けているのを除くと、交通の便に関しても、日常の買い物に関しても、特に問題ない場所だった。

さて、この一件は、当然これだけでは終わらない。 今後、おそらく日本を脱出する、と言う意味でヨーロッパに来る人が多くなるだろう。 特に、僕が数週間前に書いたように、優秀な人材が抜ければ抜けるほど、状況は悪化する一方で、日本の右傾化も加速するに違いない。 さらに言うならば、日本は今も毎年着実に国債を発行していて、近い将来確実に経済破綻し、アルゼンチンのような大インフレを起こすに違いない。 インフレ率1000パーセントなどになれば、例えば年収1000万円の家が極端な話来年は実質年収100万円になり、その次の年は年収10万円になる、ということになる。 そんな国がまともに「みんなで頑張ってコツコツ国を立て直そう」などと言い出すはずもない。

ただ、逆に言うと、経済破綻し、おそらく右傾化の末に焼き野原になった後、きっと日本がヨーロッパで優秀になった人を必要とする日が来る。 そんな気がする。

その日のために、一人でも多く救っておこう。

2017/4/19 開放型自立的コミュニティー

先々週書いた記事で、日本のマスターが自ら考えたり計画して研究をすることはない、という話をしたが、最近の朝日新聞の記事でも、まさにその結果が反映されたようなことが書かれていた。 自ら考え、行動する。 きっとリヨンに来た青田くんならもうできるんだと思うが、それでは日本の優秀な人材は国外に出て行くだけである。

さて、自ら計画してやってみた、という例で、僕の日曜ハイキングがあるのだが、当初「どっちみちハイキングには行くんだから興味がある人がいれば一緒に来ればいい」ぐらいに考えていたはずが、現在参加者数が44人にまで膨れ上がっている。

2年前の今頃、僕はまだフランスにいて、 リヨンの周辺を週末に自転車でまわっていた。 例外的にイラン人の同僚が来ることもあったが、だいたい一人でやっていた。 あの頃、僕は他の人を誘ってみようなどと思いもしなかった。 その後、僕のルームメイトのアドリアンが日曜ハイキングというのを始め、その成功を見て初めてその可能性を信じた、といったところである。

さらにいうと、今から7年前のちょうど今頃は、ゲッティンゲンの物理棟の前にある池のほとりで毎日ただひたすら絶望していた。 よくよく考えるととてつもない変化である。

変化をし続けるというのは大切なことだと思う。 それに関して、最近になって、少し疑問になってきたことがある。 最近、グループダイナミックというタイトルの研修を受けた時に聞いたのだが、基本的に一つのグループがリーダーなしでグループとして行動なり話し合いなりができるのは最高で6人までで、リーダーがいる場合、最大12人まで、ということらしい。 確かに、7人ぐらいでレストランに行ったりすると、全員で話そうにも、だいたい散発的に小さいグループに分かれたりする。 この話は、人が集まるところではどこでも通用するようで、例えば会社などでも基本的に話し合いが12人を超えることはないようにして、仮にそうならざるを得ない場合、必然的に階層的な構造を作らなければならないらしい。

と、いうことは44人のグループというのはグループとしては論外で、階層的構造を作るか、バラバラになるか、そもそも人一人を一人としてカウントしない、いわば独裁的構造を作るか、ということになる。

ハイキング中に細かいグループができるのは別として、ハイキングのグループとしてバラバラになるのは避けなければならない。 逆に、独裁的に決定を下して行く、というのはそれなりにうまく行くと思うし、そもそも知らない人がたくさん集まる場ではそれを期待する人も多いだろう。 ただ、僕が戦後の世界を見て思うのだが、僕らは民主主義という名のもとに、一つ一つの物事を決める上で、独裁的に判断してくれる人がいることを期待してはいなかっただろうか。

フランス革命も、イランのイスラム革命も、今回のアラブの春も一緒で、とにかく政権だけは倒してみるが、特に目指す社会はない。 結局そこで、他人に判断を頼んでいるようでは、決して成功したりはしない。 ましてや今の世の中、ひとつの国の政府にとらわれずに、好きな場所で好きなように生きられる。 そして自分の意見を発信しようと思ったら、いくらでもその手段はある。 そんな世界で、僕らが自ら社会を形成していくことを望まないのはあまりに愚かではないだろうか。

だが、逆にいうと、僕らにその意思がなければ、権力を持つ人間が僕らをコントロールするのも簡単になっているのも事実である。 要するに、近い将来、僕らは完全な民主主義で全て何もかも形作るようになるか、完全にコントロールされるかのどちらかになる可能性が高い。 僕はそんな中、やはり一人一人が考え行動する、そういう社会に賭けてみたい、と強く思う。

それがどれだけ現実的な話なのかはよくわからない。 と、いうわけで、僕のグループで試してみることにした。 簡単にいうと、ハイキングのコースと集合時間だけだけ僕が決め、残りの細かい作業は各自で決めてもらうことにした。 例えば、ハイキングの前日には必ずワッツアップのグループを作るのだが、その中では基本的には口を出さない。 また、ハイキングのコースに関しても、僕が先頭を歩くのではなく、適当に一番前の人に歩いて行ってもらう。 そもそも、カウチサーフィンのイベんのところにも僕は計画するだけでグループをコントロールしたりはしない、と書いてある。

最初の頃はやはりずいぶん混乱した。 というか、ワッツアップのグループでも、例えば「何時頃に休憩か」とかいう質問が来ると、当然全員沈黙する。 普通なら主催者が決めるわけで、その主催者に答える気がないのだから当然である。

ちょっとずれるが、ワッツアップに飛び込んで来る質問はさすがに国際的なグループなだけあって、かなり飛んだ質問も来る。 たとえば「何語が許可されているのか」とか「数日分の食料やその他のサバイバルキットは必要か」などなど。 確かに日本語版のウィキペディアのスカイプの記事にも「電話での会話はどんな言語でも相手が理解してくれれば通話可能である。」などと書いてあるぐらいである。 僕が勝手に当然だと思い込んでいるだけかもしれない。

とにかくそれでも、黙り込んでいると、やはり答えがはっきりわかる質問、例えば「何時の電車に乗るのか」などではしっかり返事が返って来るようになり、回数を重ねるごとに、少しずつ主催者が決めそうなこともちゃんと参加者が決めるようになってきた。 おそらく近いうちにそれぞれが勝手に決めて矛盾が生じる、という事態にもつながるだろう。 それでも、それならそれでその場で機転をきかせられるようになるのもひとつの能力だと思う。

よくよく中身まで見てみると、出身国によってもかなり反応が異なっていた。 例えばイラン人は計画者の僕が何もかも独裁的に決めるのが当然、という感じで、逆にインド人は放っておいてもだいたい自分で判断して進んでいくし、ワッツアップの質問にもだいたい答えている。 ほぼ同じインド系の言語を話していることには変わりないのだが、やはり出身国の政治的な形態が影響するのだろうか。 確かにそれでいうと西ヨーロッパ人もインド人のような感じで、東ヨーロッパ人は逆にイラン人のような感じのことが多い。 ちなみにアジア人は母数が少ない(どころか日本人はゼロ)という上に、そもそもグループの先頭にいることもあまりなく、さらにわからないことがあってもあまり質問しないので、本質的な部分でよくわからないことが多い。

さて、徐々にそれぞれが自ら判断するようになってきたのはいいのだが、今度は別の問題が起き始めてきた。 「グループ意識」である。 僕自身、この点には結構神経をとがらせていて、例えばワッツアップのグループは毎回作り直したり、そもそもフェイスブックのグループなどは作らなかったりなど、形としてグループが作られることがないようにしていたのだが、やはり、回数を重ねるごとに、一種の「スタンダードメンバー」ができてきて、逆にいうと、新たに参加する人は「アウトサイダー」ということになってしまう。 これがどういう意味合いを持つのか僕にはあまりよくわからないのだが、なんとなくこういう「連帯感」が、逆に排斥的な雰囲気を作っているような気がしてならない。

なんにせよ今の所うまくいっていることには間違いない。 今後どういう展開になるのか注視していきたい。

2017/4/23 メディアの意義

ヨーロッパのどこの町でも同じなのだが、デュッセルドルフでは毎週日曜日語学交換会というのが行われていて、毎回だいたいドイツ語を学ぶ外国人なり、フランス語を学ぶドイツ人なりが集まって、テーブルごとで分かれ、それぞれの言語で話をする場になっている。 僕の場合、別に何語であってもだいたい参加できるので、毎回知らない人がたくさんいるテーブルのところに行くようにしている。 デュッセルドルフに移り住んでからすぐの頃、ドイツ語のテーブルに行ったらアラブ系の人たちがたくさん集まっていた。

この写真に写っているのは、シリア人である。

もはや言う必要もないと思うが、ここドイツにはシリアやアフガニスタンからの難民がたくさん来ていて、僕が計画する日曜ハイキングや、カウチサーフィンの集まりに来ることも多い。 出身国は聞けても、どうやってドイツに来たかは聞けない。 そんな単純な質問にも、どうやらかなり専門的な知識が必要らしい。 彼らが経験したことから考えると当然かもしれないが。

僕は時々自分のことをドイツ人ということがあって、それにはそれなりの理由があるのだが(この話もそのうち書こう)、この場では、ドイツ語勉強者の席で「日本人」と言ったらドイツ語を学ぶ側だと思われてしまうので、ドイツ人と言ってこのシリア人の彼とも少し話してみた。

シリア人:「ドイツに来る前はエンジニアとして働いていていた。 ドイツ語は難しいが、ドイツ人は皆優しくしてくれている。 ただ、あまりドイツ人と直接話すということはないけれど」

数日後、ほぼ同じ境遇のシリア人に出会った。 シリアにいた頃、工場の機械の設計をしたらしく、それがどのように動くのか熱心に説明してくれた。 彼は、ドイツでは家の近くのオフィスの清掃をしているらしい。

僕はシリアに行ったことはないが、このような話を聞くたびに、もし日本が同じような境遇になったらどうするだろう、と思わずにはいられない。 ベイルートで娘を抱え泣きながらペンを売る人のことが報道されたが、日本のお父さんたちも、この人のように家族のために頑張れるのだろうか。

さて、少し話は逸れたが、このシリア人だけでなく、僕の周りにはドイツ語を学ぶ外国人がたくさんいて、その多く、ひょっとすると全員に共通することがある:基本的にドイツ人と話すことはない。

この問題は僕も以前ドイツに住んでいた頃から気づいていて、例えば日本の大学から来る留学生は基本的に日本人同士でつるんでいるだけで、ドイツ人と関わることはほとんどなく、だいたいあまりドイツのことも知らずに帰っていく。 日本の新聞のコラムに時々ドイツに住んでいるブロガーの話なども載せられるが、だいたいたわいない話か、あまり現実的でない話ばかりが載せられている。 結局のところ、ドイツに住んでいるからといってドイツ人と生活をしているわけではない、ということである。 この記事を書いた後、僕も日曜ハイキングに行くが、40人から50人集まる中で、おそらくドイツ人は2、3人程度しか来ないだろう。 外国人に言われるまで意識しなかったが、確かに僕も外国人といる場と、ドイツ人といる場で、はっきりシチュエーションが分かれている。

それに対し、最近は一通り落ち着いたものの、ドイツではまだ難民問題がくすぶり続けていて、その話をしない、という人はいないし、ランダムな場面で出てくる会話は、ドイツ人の大好きな休暇の話題についでこの話題が出てくるぐらいに感じられる。 話し合いがよく行われるのはいいのだが、外国人がここドイツでドイツ人を知らないのと同じく、当然ドイツ人も実際の所外国人が住んでいること以上のことはあまり知らない。 ということは当然話し合いの根拠になるのは、メディアから知った情報ばかり、ということになる。

僕のブログにまで目がいく読者の方はおそらくメディアもそれなりに目を通していると思うが、それでも、「日本人の早稲田さんが、デュッセルドルフの言語交換会に行ってシリア人に出会い、このシリア人がどれだけ熱心にドイツ語とドイツ文化を学んでいるかを知りました」などということは報道されない。 それは、隠しているからではなく、そもそも話の重要性がないからである。 逆に、イスラム過激派がパリで警察官を一人殺害すれば世界的に報道される。 人の命がいかに大切であるか僕らが語る以上、それをメディアが報道するのは決して間違ってはいない。

さて、僕の周りにいる勉強熱心なシリア人たちが相当数いるのに対し、ヨーロッパで時々起こるテロは、僕からするとどこか遠方で起こっている単独犯の一事件に過ぎない。 確かに人の命はそれだけ重要だ。 それでも100万人ほどもいるヨーロッパのシリア人を数人のテロリストから判断するのはあまりに理不尽ではないだろうか。

ここに、メディアの限界がある。 彼らは、単純に僕らが読みたい内容を書くだけで、必ずしも全体像をはっきりさせてくれるわけではない。 外国人に日本の春の桜と、秋の紅葉がどれだけ美しいか語っても伝わらないように、日本人にコートダジュールの海がどれだけ青く美しいか語っても伝わらないように、自ら経験してみなければわからない、ということは多くある。 結局優秀なメディアはメディアでそれなりの努力をしているだろう。 それでも最終的に物事の中身までわかる、ということはない。

逆にメディアもその問題には気づいているだろうと思う。 その一方で「読む側が悪い」などということは口が裂けても言わないだろう。 そんな矛盾の中、複雑な思いで記事を書いているのではないだろうか、と思う。

最近はポピュリズムがメディアを攻撃することが多くなった。 ドイツではLügenpresse(嘘つきメディア)というナチスの頃に使われていた言葉が極右政党から平然と聞かれるようになったぐらいである。 そんな中、インターネットやグローバリズムが進んだ世の中、もはやメディアが唯一の情報源、というわけでもない。 今もこれからも真実を知ることは難しいだろう。 それでもそれが不可能ではなくなった世界で、どれだけ僕らが「自ら知る」ということに真摯になれるか。 それが根底的に問われている気がする。

2017/4/15 ヨーロッパ人と日本人の嚙み合わぬ会話

去年の9月か10月、東北大学の金属材料研究所という場所からマスターの青田くんという学生が、僕の当時勤めていたフランス国立応用化学院リヨン校に来た。 ちなみにこの金属材料研究所という場所は、かつて井上明久という世界的にも非常に悪名高い人が勤めていたところで、さらにこのウィキペディアのページにも書かれている不正疑惑のための調査委員会ももみ消される可能性が高いという噂まで僕のところまで来ているのだが、要するにこの井上先生個人だけでなく組織的に問題があることで有名なのである。 僕自身東北大学には出張で行っているのだが、絶対こんな場所でだけは働きたくない、と常々思う。 それでも、ここが日本の材料研究の最先端であることは間違いない。

さて、そんな東北大学から来た青田くんに何をしているのか聞いてみた。

「今は実験計画法と言うのをやっています」

実験計画法というのは簡単に言うと、たくさんのデータから一定の相関関係を導き出すという方法で、例えばお米1キロあたりの値段と、野菜、肉、魚の値段と月々の家庭の総支出額を毎月ちゃんと書き留めておけば、お米1キロがいくら増えた時に家庭の総支出額がいくら増えるかというのがだいたい出せる、という方法である。 逆に言うと、お米と野菜と肉の値段と家庭の総支出がいくらかわかれば、魚の値段が仮にわかっていなくても、どのくらい変化していたかもだいたいわかるはず、ということになる。 この青田くんの場合、確かに日本でデータを取ってきていて、それが表になっているのを僕も見せてもらっていた。

さて、この青田くんに聞いた「何をしているのか」という質問には、一般的に確かに幾つかの答えがある。 例えば今日の朝ごはんのためにホットケーキを作っているとしよう。 その時に「今何をしているのか」と聞いたら

  • 料理をしている
  • ホットケーキを作っている
  • 朝ごはんを作っている

という回答が期待出来て、それぞれに間違ってはいない。 青田くんが言った「実験計画法をやっている」というのもその意味では決して間違ってはいないのだが、それは方法であって、目的ではない。 このホットケーキの例における「料理をしている」であって、「朝ごはんを作っている」には当たらないのである。

なんとか朝ごはんにありつくためにいろいろ掘り下げてはみたものの、どうしてもそこにはたどり着かない。 実は青田くんの担当のダミアンという教授も、同じように実験の目的にたどり着かせるための努力をしていたのだが、僕と同じように困っていた。

ここに、日本とヨーロッパの根本的な違いがある。 日本のマスターというのは、基本的に教授の奴隷として働くことになっていて、今自分がやっていることが何になるのか知る必要はない。 学会のプレゼンまで学生に作らせていると聞いた時には、他人事とはいえ、さすがに僕もかなり頭にきた。 そういった意味で、青田くんが方法を答えてくれたのは日本としては非常に正しいやり方である。 逆に、ここヨーロッパでは、学生が自ら学ぶために教授につくのであって、方法はどうであれ、どの目的を自分で計画して達成したかが非常に重要なのである。

さて、ダミアンと青田くんの会話が噛み合っていないことは僕もわかっていたので、間に割って入ることにした。 実は青田くん自身、実験計画法というのははっきりとはわかっていなかったようで、僕がやり方を説明したところ、やはりあっさり飲み込んでくれた。 プログラミング知識ゼロからいきなり研究内容のための使い方までの急な説明も、すぐに理解してくれたようである。 さすが東北大の学生。 非常に優秀である。

その後、青田くんは日本で取ってきたデータから金属の「硬さ」を出さなければならないことにちゃんと気づいてくれた。 どうやら、わかっていなかったというよりは、それが答えであることに気づかなかった、という感じだったようだ。 そして、この実験計画法をどのように使って硬さを出すのか考えだしたのは青田くん本人である。

数日後、ダミアンに話を聞いてみると、青田くんの研究内容がちゃんと進んでいることと、英語力も上がり、コミュニケーションが取りやすくなってきたと喜んで語ってくれた。 一通り研究者として自立して仕事ができると。

さて、当然研究内容を自立して進められるようになったのも、優秀になったのも青田くん本人であり、僕もダミアンもその点ではあまり関係ないのだが、日本にいてはそうならなかったにちがいないことから、そのきっかけを作ったのは間違い無くフランスである。

その後、やはり青田くんは、日本でマスターを卒業した後、再びヨーロッパに戻ってくるようなことを言っていた。

自ら考え、自立して研究ができる、というのは優秀な研究者には非常に重要な能力である。 それでも戦後の世界では単純な作業をする人材も必要とされていた。 例えば物理の実験一つを取っても、実験結果を読み取るのに定規を使ったり、オシログラフを読み取ったりしなければならず、さらに一つ一つの関数、例えばサインや指数計算なども、表と見比べたりして長い時間をかけてやらなければならなかった。 それだけでなく、出張をするなら誰かしらが駅まで行って切符を買わなければならず、飛行機を使うとなれば航空会社に電話をかけなければいけない、などなど。 日本は、幕末の非常に高い教育水準から、こんなような単純作業がしっかりできる、という人材がしっかり揃っていた。 これが高度な経済発展を可能にしたのは間違い無いだろう。

これらの単純作業が時代とともに総てコンピューターに置き換えられたのは言うまでもない。 要するに、もはや誰か一人が指示を出し、残りの人間が単純作業をする、という時代は終わり、ただ僕一人だけが優秀であれば何もかも出来る、という時代が来たのである。

そんな中、日本はこの大学内でのシステムだけでなく、初等・中等教育でも未だに体系的にテストなどというものをやり、能力を数値化させ、単純に同じことができる人材をたくさん生み出そうとしている。

それが世界で通用しないことが、最近シャープや東芝などではっきり目に見えてくるようになってきた気がする。

こうして、時代にあった教育らしい教育をせず、優秀な研究者を海外に流出させることによって、やはり競争力は失われていくのだが、ここで最近日本は、とにかく無理に仕事をさせる、という行動に出ることにしたようだ。 それはアベノミクスという名の下経済成長を盾に正当化され、実質賃金低下として表面化している。

第二次世界大戦末期、勝てぬ戦争を無理に続けた結果、神風特攻隊や回天を生み、いたずらに命を無駄にしたのではなかっただろうか。 皮肉にも戦争の反省をせぬ社会の風潮が、科学の世界においても日本に同じ間違いをさせる日が来る、そういう風に見える。

2017/4/12 書くことの大切さ

一昨年の8月に始めていた世界のニュースは、研究の忙しさの中で少しずつ埋もれていき、博士論文提出直前に完全に止まってしまった。

ただ、逆に言うと当初研究内容に退屈してた中、暇つぶし程度に書いていた程度の記事が一年間続いたこと自体驚きなような気もする。

僕は小さかった頃、「書く」ということが苦手で、学校の宿題などで漢字の練習などが出ると、親に頼んで例文を考えてもらうことが日常だった。 そんな中、今から20年ほど前、当時流行っていた交換日記とかいうものをやってから少しずつ色々書くようになり、その後、自分の日記を作り、今では自分の日記が事実上僕のブログとなっている。

それとは別に、僕は毎週研究リポートを別に誰が読むわけでもなく書いていて、毎週別に指示されてわけでもなくグループリーダーのところに送っている。

当然、その内容は添削されるどころか、ほぼ確実に誰も読まないのだが、やはり「書く」ということを繰り返してるだけで、身につくものも多いようで、最近では何週間もかけて論文を書くドクターの学生たちを横目に、僕は1日もあれば最初のドラフトが書ける。

他にも、例えばこういう記事を読んでいると、何気なく書いたものでも面白い内容になるようなこともあるんだと思う。

だから、やっぱりつぶやく程度でも書いておこう。 きっと何かにつながる気がする。

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リヨンの僕の研究室の裏は森になっていて、昼過ぎに散歩に行くのが僕の日課になっていた。

森の中の道は入り組んでいて、慣れていない人が入ると大体出口がどこかわからなくなる。

ただ、森を抜けると、突然視界が開け、どこまでも続きそうなまっすぐな道に出る。

僕が、この道を毎日歩きたかったのは、単に休憩がしたかったからではない。

かつて、僕の人生にも、曲がりくねった道を抜けて、まっすぐ歩き出した瞬間があった。

あの時意識的に見なかった道を、僕は今もずっとまっすぐ歩き続けている。

過去に違う自分が存在した、ということが力になる日がきっと来る。 一つ一つの事実を曖昧にしてしまわないために、しっかり書き留めておこう。