イラン、失われた自由と、終わらないハムレット

2012年の終わり、ヨーロッパからアジアに抜ける行路で、イランを訪れた。そこで僕が見た風景は理屈上知っていて、初めて現実に見た衝撃だった。ここで、僕の経験が、僕だけの経験にならないように、できるだけのことを残しておこう。当然かもしれないが、僕がここの挙げる数々の例は、僕が代表的に選んだもので、極例を書き残した訳じゃないことも知っておいてほしい。

僕がイランに入ったのは2012年11月の中旬、アゼルバイジャンの夜の冷え込みが大分厳しくなり、暖かい地域への南下を急ぐ状況でのこと。戦後、西側諸国、主にヨーロッパが帝国主義を破棄してから、それほど西側に反発する国は多くなく、同時に、僕はロシアや中国のやり方に一定の理解を示している。彼らがいくら合衆国やヨーロッパに反発しようとも、それなりに自国民の支持を得ているから。僕にとって、国とは人々の集まりでしかなく、政府が国民に信頼されている、それ以上に求めるものなど何もない。特に、シリア内戦もリビア内戦も、それなりに政府を支持する勢力がいたからこそこれだけの混沌になったんだろう。イランに関しても同じく、僕は現政権打倒にあまり積極的ではなかった。そもそもが、そんなことが目的で訪れた訳じゃない。ドイツでイラン人を何人か知っていて、彼らの人格に感激し、彼らの祖国が見てみたかった、それだけのこと。そもそも政治の話など彼らとしたこともなかった。むしろしないようにしていた。

国境管理を超え、埃が舞う汚れた通りへ。建物を出た瞬間、脳に直接突き刺さるような油の匂いが漂う。通りを走る車は、見たことも聞いたこともないメーカーのもので、燃費の悪さが鼻ではっきり感じられた。大通りに立ち並ぶ廃れた店と、その中に並ぶ、埃をかぶった灰色のグラデーションが不気味な雰囲気を醸し出す数々の偽ブランド。

これが、経済制裁を受ける国の現状か・・・。

最初の街アスタラからどの街に抜けて行っても同じような雰囲気が漂う。2011年に入ってから通貨の70%の価値を失い、やはりそれだけの代償を払わなければならなかったか、というほどに空き店舗が目だつ。やはり引き取り手もいないのだろう、閉店後、内装を変えたような形跡も見えない。このまま遺跡化していくのだろうか。せめて内部のものさえ動かせば、廃れた空気も少しは取り払えるだろうに・・・。

最近、イランを外国人が訪ねることは少なくなってきたらしい。噂によると、西側の経済制裁に対抗して、イランに入るためのハードルも高くしているとのことだ。どちらにせよ自転車で外国人が通過するということは結構少ないのだろう、僕の姿を見ると声をかけてくる人がこの国には少なくない。そもそもが、素直な国民で、西側の個人主義などの冷たさは信じられないだろう。

イランに入って最初の頃、とある小さな街の商店街で、近くにいた人に話しかけられた。話を進めていくうちに、彼がドイツ語を学んでいるという話になったので、ドイツ語のネイティブだと偽り、話を進める。

彼の使う洗練された文法と、複雑な語彙から、途方もないほどの量の努力の足跡が感じられた。

別れ際、彼が大いに嬉しそうな顔をしていたので訳を聞いてみた。

「初めてだったんだ、ネイティブとドイツ語を話すのは。普段、唯一の話し相手はイラン人のドイツ語の先生で、なんというか、敢えてドイツ語で話すのも空虚な感じがするだろ。それでも、やっぱりそれが唯一の機会だから、話すんだよ。でも、今日君に会えてよかったよ。ここまでドイツ語学んで来た甲斐があったな。」

イラン人がドイツに行くには、ビザが必要で、ビザを得るためには、ドイツ人からの招待状が必要だ。じゃあ、ドイツに行ったこともないような人が、どうやって招待状など得るのだろうか・・・。現実には、彼らにはドイツに行くことなど不可能に等しい。それでもドイツ語を学ぶ意味などあるのだろうか。

「別に、現実にドイツに行けるかどうかなんていいんだよ。ドイツ語を学んで、少し話すだけで、少しでもドイツに近づけた気分になるから。きっと僕は、一生ドイツには行けないさ。だからといって、ドイツ語やめたら、その絶望の中で息が止まりそうになると思う。少しでもドイツ語が口許に残れば、それでいい。それでいいんだよ。」

僕ら日本人は、行きたい国に行けない、ということは基本的にない。きっとこの文章を読んでいる人たちの中に、この世には「ビザ」なるものがあって、それなしに行けない国があり、この世界の大半の人にとって、それが超えられないハードルであることなど知らなかった人もいるだろう。現に僕は、ウクライナで世話になった夫婦に出会うまで、はっきりとその点を意識したことなどなかった。

そんな中で、ドイツを愛し、ドイツ語を学ぶ人がいるのか・・・。

ドイツに何十年も在住していながら、全くドイツ語が話せない人が多くいる現状を見て、僕は、ドイツで学んだドイツ語にそれなりに誇りを持っていた、が、果たして僕は、このイラン人の少年の様な環境に置かれ、同じことができただろうか・・・。

・・・・・

この旅に限らず、僕は普通の観光客が集まるような場所よりは、地元に根付いた場所を訪ねるのが好きで、通りがかった街のレストランに立ち寄ってみた。

当然出されたのはペルシャ語のメニュー。読めない、というか読めてもどっちみちわからないだろうと思い、適当に指差して注文する心持ちでいた。別になにが出て来ても食べれないことはないだろう。

なかなかウェイターが来ない。と、思っていたら奥の方から埃をかぶったメニューをもって来た。英語版のメニューだった。はっきり言って理解可能な英語ではなく、明らかに現地で経験を得た人が翻訳した訳ではなさそうで、更に所々手書きで書き換えられていた。埃の雰囲気と紙の質から、随分古いんだなというのがよく感じられた。いつからあるのだろうか。

「開店した頃からあるから、10年ぐらいかな。メニュー自体も所々変わってるから、その部分は手書きで書き換えてあるけれども。なんにせよ、君が初めてだよ」

僕が初めて?10年営業していて、僕が初めて来る外国人の様な店で、よく英語を話せた従業員も含め、英語の存在など必要なのか?

彼は、少し考え込んだようだった。

「開店した当初も、今も変わらない。はっきり言って必要ないよ。でもね、メニューが変わる度、書き換える必要性が出てくる度に思うんだ、ひょっとするといつかイランにも、このメニューが必要になるような日が来るかもしれないって。いや、きっと来るさ。イギリス人とか、アメリカ人とかがたくさんこの店に来て、英語で書かれたメニューがあって良かったって言う日がさ。」

本当にそんな日が来ると思うかい?

「・・・、実際には、来ないかもしれない。でもヨーロッパにしろアメリカにしろ、あの空の先のどこかにあるんだから、無理なはずがない。全部地球上でつながってるんだから・・・」

不思議なことに、僕はイランでの生活の中で同じセリフを何度も聞いた。そういう希望を持って生きているのだろうか。更に言うなら、ヨーロッパとイランに至っては陸でつながっていて、極端な話が、自力でたどり着ける。そして、この事実は僕の周りの誰よりも僕が一番良く知っている。なのに、このセリフを聞く度に、その事実自体が夢物語のように聞こえて、不思議な響きだった。

イランはおそらく、ヨーロッパ圏外で最も英語を話せる人口の割合が高い国だろう。それでも、極端によく話せるという人は少なく、逆に僕が初めてだったという人がほとんどだった。フランス語、ドイツ語、スペイン語に関しても同じで、彼らもまたきっと当分は次の人に会うまで大分待つことになるだろう。一度、僕とスペイン語を話した人の、手に偶然持っていた使い古されてバサバサになった文法書が、今も僕の目に焼き付いている。

数日後、移動中また話しかけられ、立ち話になった。別れ際、フェイスブックを使っているかと聞かれ、アカウントはもっているが、基本的に使ってない、と反射的に答えてみた。この旅の間、一時的にフェイスブックも使うようにしているが、この旅が始まる前はほとんど使っていなかったし、終わったらまた使わなくなるだろう、という考えと、イランで「フェイスブックを使っている」というのが否定的にとられそうな気がした、というのも背景にあったからだった。フェイスブックは検閲の対象で、基本的に使えないことになっている。事実上は他の国のサーバーを使えば使えるので、不可能ということはないのだが、別段喜ばしくは思われないかもしれない・・・。なにより、そういった話とは全く関係なく、フェイスブックに囚われる感じがあるせいか、使わないようにしている人も多いだろう。僕も、あのなんとも言えない縛られた感じがいやな気持ちがよくわかる。

「へえ、そうなのか。てっきり先進国の人たちは全員フェイスブック使ってるのかと思ったよ。イランではみんな使ってるよ。フェイスブック使うとさ、少しだけアメリカに近づけた気持ちになるからさ。特にそういうことに興味ないけど使ってるって人も多いよ。なんというか、自由の象徴なんだ、フェイスブックが。フェイスブック使えばちょっとは政府に対抗した気になれる。現実に何かする訳じゃないけどね。」

フェイスブックが自由の象徴・・・。矛盾にしか聞こえないこの発言が、僕には新鮮だった。

首都テヘラン。地下鉄やバスが通っていながらもここでは基本的に自動車を使う人が多い。偶然このことについて地元の人と話す機会があり、東京で自動車を使う人は少なく、大抵は地下鉄を使うということを説明した。

「でもさ、自動車だったら自分の好きな話ができるじゃん?政治の話とか」

政治の話、か。日本だったら地下鉄で政治の話ができるどころか、国会議事堂の前で国旗を破ることだってできるだろう。せいぜいゴミが出ることを嫌がる人が出てくるぐらいで・・・。イランだったら地下鉄で政治の話をした途端、即罰金、即逮捕につながるとのことだ。中にはそのまま闇に葬られ、行方がわからなくなるような人もいるらしい。恐らく、政権批判の話をしたら、ということだろうと思うが、そんなこと付け足さなくとも、政治の話といったら、それしかないことぐらい歴然としているのだろう・・・。

同じく、首都テヘランのとある地下商店街を歩いていたら、後ろからドンッ、と低く鈍い音がした。振り返ると、若い女の子が警察官の前で泣いていた。その横に途方もなく立ち尽くす青年。恐らく手でもつないで仲良くしているところを警察に見られたのだろう。

彼は、自分の彼女が目の前で殴られて悔しくないのか?

「きっと悔しいさ。でも理性で自分を抑えているんだろう。ここで反撃したら取り返しのつかないことになる。警察の方もそれがわかってるから敢えて女の子の方に手を出したんだよ。自制できたんだ、偉いよ。」

商店街を後にし、家路についた。日はとうに落ち、暗くなった街は、街灯でオレンジ色に染まっていた。冬に入り、夜風が白い息を歪ませる。途中の道でゴミ箱をあさる小さな兄弟の横を、その姿を映し出すほどきれいに磨かれた漆黒のポルシェが静かに通過していった。

幸せなカップルに、警察が暴力をふるい、無力な貧民の子供の前を、贅沢が通過する・・・。もしこれが、アラーが望み、ムハンマドが予言した世界なのであれば、なぜアラーは、僕ら人間を、こんな世界に放り込んだんだろう。

高原、山脈、海岸、砂漠・・・。豊かな自然に囲まれた国イランに来て、生まれて初めて鮮やかな地平線を見た。

広大な大地にのびる一本の線。

かつての大帝国、ペルシャの歴史を引き継ぐ国イランの、空間的にも、時間的にも限りなく広がる大地の中、僕が見てしまった、あらゆる方面で限られた人々の自由は、あの地平線が空と地をはっきりと分けていたように、何も知らなかった頃の僕と、知ってしまった僕を、はっきり二つに切り裂いていた。