YFUドイツ語学研修2014

さて、夏がやって参りました。 日本のように蒸し暑くはならないんですが、僕はこの前自分の住む町リヨンから、地中海直前のアヴィニョンまで自転車で行ってきたところ、35度の猛暑の中、二週間ほどめまいがするぐらい太陽の光を受けまして、きたんだか来なかったんだかよくわからなかった今年の冬が終わったんだなぁ、と思うヨーロッパの夏に突入しました。(変な文章・・・)

と、言う訳で8月3日から三週間、ドイツのフズムという北海に面した港町で、日本の高校生にドイツの文化を教える先生として働くことになりました。 普段は日本語版ほとんどアップデートしないんですが、今回は生徒のためとか、生徒の保護者さんとかが見れるようにいろいろまとめるんで、御意見ご感想あれば右上クリックして書き込んでみてください。ちなみにPHP関連の動作環境はチェックしてないんで、ウィンドウズ使ってる方とかでバグが出たりしたら僕の方まで連絡していただけるとありがたいです。 (その場合は、僕のフルネームをローマ字でグーグルで検索していただくと、研究所のサイトが出てくるんで、そっからメール出してくださっても大丈夫です)

成り立ち

分かりやすいところから説明させていただくと、この世にはYFUとかいう高校生の留学を斡旋している機関がありまして、それを通じて毎年全世界に何百人も留学生が派遣される訳なんですが、何を隠そう、実は僕自身2004年にそれを使ってドイツに行った訳なんですね。 実際それを機に僕の人生は大幅に変わって今に至る訳なんですが、YFUの派遣先の中でもドイツは特殊で、新学年が始まる前にドイツ政府によって援助されたオリエンテーションがあるんですよ。 ぼくも2004年には当然それに参加した訳なんですが、今回は教える側になろうと思って応募した結果、見事に採用してもらえたんでちゃっかり休暇もかけていってみることに。 僕の頃三十数人だった留学生も今年は四十五人にまで増えてるんですね。なんにせよコースは五カ所で同時開催で、僕のところには七人くる予定です。 基本的に他の国と混ざるってことはないんですが、地区委員さんがやる気ありすぎたようで、僕のところは偶然アメリカ人と日本人のグループが同時開催でした。

フズムについて

ここからの情報は、僕の親愛なるWikipediaからとってきたもんなんで、いちいち参照とか書きませんが、画像とかクリックしていただければ、発信源にはたどり着けるんで、著作権とかの文句は書かないようにお願いします。

Husum in NF.PNG それでオリエンテーションコースの開かれる町、フズムとはどういう場所なんだろう、と思った方も多いと思うんですが、ここはなんと人口が京都大学の学生数よりも少ないわずか22000人で、面積も山手線の内側の半分にも満たないぐらいの小さな町なんですね。

歴史的に見ると、どうやらデンマークとドイツのちょうど境目、ハンザ同盟の中央、という地理的に重要な場所だったようで、それらに関連する建物が多く残っているみたいです。 リストアップもドイツ語版のWikipediaでされてたんで、生徒たちと行ってみます。

北東に約5キロほど進むと、この地方に多くあったナチスの強制収容所のうちのひとつの跡地もある様です。

僕はこの町のこと全然知らなかったんですが、ドイツの友達に話をしてみたらみんなものすごくうらやましがっていました。 どうやら町の規模がどうとか言う以上に有名な様です。

いろいろ調べていくと、実はここの干潟地がユネスコの世界自然遺産に登録されてたんですね。 ここを歩く人は多い様ですが、泳ぐっていう話はあまり書かれてないみたいです。 それでもフズムの観光協会のサイトに行くと、海で泳いだり、ビーチバレーしたりとかいう話は書いてるんで、無理ってことはないみたいですね。

あと作家のテオドール・シュトルムの出身地だそうです。

全然関係ないですが、恩田陸の「蛇行する川のほとり」と、村上龍の「50歳からのハローライフ」読んでます。ところどころで引用させてもらってます。笑

一日目

何週間か前にホストファミリーの集まりで8月4日(初日)の朝9時に、全員集まって朝食にするって決めてたらしいんですが、僕は当然フランス式にどうせ全員9時15分ぐらいからぼつぼつ集まりだすだろうと思って、9時直前ぐらいに行ったところ、既にほぼ全員集まっているという事実に直面・・・。初日からまだ取り決めさえしてなかった「遅刻したら罰金50セント」に自ら嵌ることに。さすがドイツ人。

最初の印象:アメリカ人意外とドイツ語かなりできるな(意外意外)。ゆっくり話せばドイツ語のままでちゃんとだいたい伝わりました。

日本人の子たちはどうでしょう。静かに黙々と食べて・・・と思ったら意外とそうでもないのかな?話す子とあまり話さない子がいるようです。さあ、この差を三週間でどうやって埋めていくか。

ホストファミリーは僕の期待通り優しいオープンな人ばかりで、いろいろ気を遣ってくださっているみたいなんですが、それがちょっと裏目に出ているようで、生徒たちと英語で話すようにしているって話だったんで、別に生徒たちが全部わかるかどうかはどうだっていいから普通に生活するようにドイツ語で話しかけてやってください、と言って回ってきました。 余談ですが、ゲッティンゲン大学物理科では、基本的に一人でもドイツ語はなせない学生がいると講義は全部英語に切り替わります。

せっかくなのでホストファミリーだけでなく、日本人の子たちにもいろいろ聞いてみることに:週末どうだった?

「はぁ、よかったです」

ん〜、どこ行ったの?

「フズム近郊のどこかだったんですが、どこだったかはちょっと・・・」

確かにまだついたばっかりだし、素直に楽しめるなんて状況じゃなかっただろうなぁ。

朝食後、授業の前に自由に話させてみることに。 この日は月曜日で、留学生たちが3日前の金曜日の夜に着いてからここまで日本語なしで生きてきたことを考えると、このぐらいの息抜きがないと厳しかろう。

この日は一日中あれがないこれがないで(主にYFUから送られてきた荷物に期待したほどの物が入っていなかった・・・)バタバタの授業になってしまいましたが、むしろ生徒たちと話す分にはよかったかもしれない。 その点に関しては、生徒の側も僕の普通のドイツ式の授業について来れたんだから、このままドイツ語に慣れるだけで普通の授業にもついていけるかもしれない、という僕の希望的観測。 まあドイツ語に関しては、当時僕自身ドイツに行く前に三年間習った僕のドイツ語がドイツに来てみたら全く通じなかったことを考えると、苦しむことになるのかな。

僕としては、今日はアメリカ人と日本人の留学生の交流がなくて残念でした。 まあそもそも日本人は、いきなり外国人に話しかけるのには慣れてないって言うのと、ドイツ語のレベルの差もあるので、仕方ないですね。 放課後(笑)にバレーボールと卓球のラケットは買ってみたんで、これで明日どうなるか様子見てみます。

昼食後、引き続きオリエンテーションコース。この一年、主に家を出たとき、家族に別れを告げたとき、飛行機に乗ったとき、ドイツに着いたとき、ホストファミリーに会ったときなどなどの気持ちを書かせたんですが、僕が思いもしない方角から質問が:「どうしてこんなことするんですか?」 それは、確かに僕も10年前だったらそういう風に思ったかもしれない。

と、いうわけで一日目は終了。YFUからの荷物の中にCDと、歌詞の本が入ってたんですが、僕としてはギターが欲しい。

8月5日、火曜日

さて、初日に意外と生徒が発言できることもわかったので、適当にはなせる雰囲気を作ることに。これでちゃんとドイツ風の授業に慣れていってくれればいいな。(写真はミユのノートです。ありがとう)

今日のテーマは「家族」

日本とドイツは家族構成がほぼ同じなのでこういう問題に関しては結構楽ですね。 新たな家族の形態として、再婚した両親だとか、一人で子供を育てている親だとか、同性の親とかそういう問題も、日本の政治家が無能なことを除けば生徒たちも特に問題にもせずすんなり受け入れてくれたので、話の中心は家族の行事に。

クリスマス、復活祭に誕生日・・・。当時、僕にとってかなりぎりぎりのところでまずい状況を避けることになったのが、クリスマスでした。 日本ではクリスマスってカップルの行事じゃないですか? あとはせいぜい子供にプレゼントがあるだけで、別に子供の側にすることはなくてぼーっとしてりゃいいと思うんですけど、10年前、そのぐらいの気持ちで臨みつつあったクリスマス、実はドイツではそれぞれが家族のそれぞれの人にプレゼントを用意するってことが判明したんですね。 他にも歌を歌ったり、みんなでおかし焼くとかいろいろ日本と違うのと、家族によって内容も結構かわってくるので、宿題として今いるホストファミリーの家で何をすることになっているか聞いてきてもらうことにしました。 結構脅しておいたからきっとちゃんとやってくるだろう。

一番のショックはおそらく、クリスマス前後に一日3000kcal超える量を食べるってことだったかな。 まあ太らぬようにがんばってほしい(無理である)

ちなみにプレゼント関連ですが、ドイツ人はよく、プレゼント渡すごとに理由を付けてきます。 僕のバンベルクにいた頃のホストマザーなんかはクリスマスのときとかものすごい数のプレゼントの中ひとつひとつに「これはこうこうこうだからうれしい」って説明してくれたんですが、そんなにいちいち考えるの大変なんじゃないだろうか、と僕は子供ながらに思っていました(そして結構大変であったことは知っている)。 まあプレゼントに関係なくなんにでも理由を付けたがるドイツ人、写真はフズムのとあるスーパーのレジに書いてあった「大してお金が入っていないので、襲わないでください」の張り紙。

全然関係ないですが、カメラの充電器が壊れてるんで、写真あまりありません。 注文はしてあるんでつくまで少しお待ちください。

8月6日、水曜日。

まず、今日の言い訳から。明日の午前中、仕事の会議のため、授業の用意全然できてませんでした。(そして会議の方の用意も少しもできていない)

今日のテーマは、「学校」。このテーマに合わせて、本場の情報を教えてもらうために、ホストシブリングにもきてもらいました。

僕の印象だけかもしれませんが、この日、生徒たちもずいぶん静かだったんじゃないかな。 まあ日本人は全体的に、場に外国人がいると静かになる習性があるみたいなので、その点は仕方がないのかもしれない。 そういう部分は少しずつ時間をかけて治していってもらおう。 (そして僕は10年前最後の方まであまり変わらなかったような気もする。)

月曜日に、卓球のラケットと、バスケボールと、バレーボールを用意しておいたので、今日のお昼ごはん後にみんなでバレーボール。 もちろんただスポーツを楽しむって言うためにも用意しておいたんですが、実際のところスポーツができるっていうのは結構大切なことで、その部分で僕もずいぶん友達ができたような気がする。 それに僕、物理学者で、料理と音楽とスポーツ得意ですが、どの文化においても、全ての面が自転車の旅の時に役に立ったので、そういう部分も強調しておきたい。

午後は研究の仕事のみ・・・。みんなに申し訳ない。

夜はホストファミリーと懇談会。 僕の予想通り、ホストファミリーはなにより、生徒が嫌な思いをしているんじゃないかってことを一番心配していました。 生徒の方は生徒の方で、ホストファミリーが嫌な思いをしているんじゃないかって心配してたんで、ちゃんとコミュニケーションとってほしいと僕は思っているところなんですが、そういう風に簡単にも行かないもんですね。 なんにせよ生徒の方はイエスとノーがちゃんと言えるようにならないと行けないんで、ノーという言葉が存在しない日本語の習慣はがんばって脱出してほしい。 これも僕の時もずいぶん時間かかったなぁ・・・。

懇談会のときに、突発的にバーベキューやりませんか?って提案してみたらいい反応が帰ってきたので、来週の木曜日に(廉の家で)やることに。みんな食べたいもの各自好きなだけ持ってきてね。

最後の最後にギターありませんか?って質問したら茜の所のホストファミリーが、快く一本貸してくれるって言ってくれました。 生徒にドイツの曲を教えるためとかいう理屈まで使っちゃったんで、責任もって用意しておきます。(ドイツの音楽そんなに知らないけど)

8月7日、木曜日

会議終了!

今日は会議のためってのもあったんですが、時間をたくさん費やすことができるように、僕のコースは午後に。ってのも今日はフズムのラリーなんですね。 3人ずつのグループに分かれて、僕が用意した問題をやることに。 本来7人のコースなんですが、ちょうど僕の高校時代の友人、柴田と五十嵐が僕を訪ねてフズムまできてくれてたんで、一緒にやることに。 特に彼らドイツ語はなせないから一緒にってわけでもなかったかもしれないけど。まあいいや僕に関係ないし。

僕が用意した問題なんですが、例えば「ルードヴィヒ=ニッセン=通りに沿って歩き、最初の交差点で右に曲がってまっすぐ行くと、左側に”ビオ”と壁に書かれた店があります。この店は何の店で、なぜビオと書かれているのでしょう。」 みたいな感じの問題でした。ちなみにこの例文も含め生徒たちのは全文章ドイツ語です。 また、「ブレーツェルを買え」みたいにそもそも何のことかわからぬ問題も出しておいたんで、自分たちで探してもらいました。

そして、自分たちで探すってのが結構キーポイントで、例えば「ティーネ」の絵をかけって言う問題の所とかは、ティーネって言う街を代表する像があることを知らないと、その像の横に「ティーネカフェ」って言うのがあって、そっちの方に気が向いちゃうんですね。 もちろん現地の人は何のことだか知ってるんで、引っかけ問題です。

ここで問題になってきたのがですね、最初の課題が、旧市庁舎に行って地図をとってくるってことだったんですけど、この旧市庁舎の観光案内所のお姉さんが優しいっていうか空気読めなくて、僕の作成した問題を普通にグーグル使って順番に答えていっちゃったらしいんですね。 ま、いかにドイツ人がこういう時に優しく接してくれるかっていうのは生徒の方も理解できただろうから、それだけでも収穫か。

 いかにドイツ人が優しかろうが、天気の方はそうでもなく、ところどころ数分間だけですが夕立に遭いました。 最初の夕立のとき、偶然僕が入った喫茶店に(上記のイカサマの 笑)彩乃と麗のグループが入ってきたんですね。 僕はコーヒー注文しようと思ってたんで、女の子たちに「コーヒー一つくださいって言ってきて。おつりあげるから」って言って5ユーロ渡したんですよ(コーヒーは一杯で1ユーロそこそこ)。 それ喜んでたのはいいんですけど、その数分後にクラスに二人しかいない(ラリーでは偶然一緒になった)ボーイズのグループが入ってきたときに

「アイスおごってもらった!」

って普通にばらしちゃったんで、ボーイズにはカリーブルスト買ってあげることに。

ちなみに、早く終わっちゃって先帰るグループとか出てきたら嫌だったんで嫌がらせ問題として

「茶色くて、森を歩くのはなんでしょう?」

っていう実はただの親父ギャグに近いなぞなぞなんですが、やっぱり全員解けませんでした。 ちなみにネイティブにちゃんと聞いては回ったみたいです。多分大学生とかじゃないと解けないな。 しかも後日聞いたところだと、家でホストに正解見せても理解してもらえなかったとか、もっとユーモアを持って見てほしい。

全員5時に帰ってくるように言ってあったんですが、ボーイズのグループしか戻って来れなかったんで、一気に罰金2ユーロ50セントたまりました。 OSKが終わる頃にはちゃんとアイスが買えそうだ。

んで、ホントはアイスもカリーブルストもおごってないみゆ、茜、葵子のグループを街で発見してなんか買ってあげようと思ってたんですが、どうしても見つからなかったんですね。 (しかもこの三人、課題のブレーツェルを僕にとっておいてくれていた) でもまあこの三人が一番正解が多かったんで、どっちみち約束していたアイスを買いにいくことに。 Janny'sっていう町の中心街にあるアイスショップには、5ユーロとか10ユーロとかのジャンボアイスがいくつかあって、三人だったんで、まあ50ユーロ出せば数ユーロは帰ってくるだろうと思って出したところ、ちゃっかりアイスを一緒に注文した廉と僕が注文したコーヒーをあわせてもおつりが40ユーロ以上返ってきたんですね。なぜ??

女の子たち曰く「あまり負担をかけたくなかった」とのこと。 別に50ユーロぐらい平気で出せたんですけど、まあ僕のこと考えてくれるのもいいことなんで、それ以上は何も言わず。

8月8日、金曜日

コミュニケーション。それがどれだけ大切か、言うまでもないですね。 特に、他の人と作業するときにそれなしで仕事をこなすって言うのは難しいですよね。 というわけで今日の課題:「二人で一本ペンを握って、コミュニケーションをとらずに課題の絵を描く。」 んでこの課題の絵ってのが、円、家、木、犬。 そしてこの課題はあえて日米共同作業にしたんで、よけいにややこしい。 まあこの課題の目的は授業に入るための問題定義をするって言うことで、コミュニケーションがいかに必要かっていうのを再確認することだったんですけど、僕は「なんでこんなことするんですか」っていう初日に出された質問がまた出てくんじゃないかなとか思ってました。

授業の目的も、僕の予想も、見事に裏切られましたね。 まず、コミュニケーションなしでは絵が描けないって言う前提ですが、実際のところ、ひとりが絵を描いて、もう一人はペンの反対側の先っぽに少し触れてるだけとか言うルール違反ぎりぎりのグループばっかりだったのと、別に授業の目的がなんだろうと、そもそもが結構楽しめたみたいなんで、それでよかったようです。

その次はまた日本人とアメリカ人分かれての作業で、グループワークだったんですが、その後は、紙に書かれた状況を、感情を込めて言うっていう日本人には少し難しい課題。 例えば「来週の木曜日みんなで集まってバーベキュー」だとか、「明日の夕方、歯医者に行く」とかそんな感じですね。 ちなみにこの中に「Sarahよりも大食いの女の子を見た」って言うのがあったんですけど、結構驚いてたみたいで、昼飯のときみんながSarahを観察してるのが面白かった。笑

食後は、いつもと同じように各自バスケ、バレー、卓球。 日本人の方は全員外出てたんですが、アメリカ人の方からは一人だけ。 食事前は結構な数いたのになんでだろう?って思ってたんですが、どうやら中で中絶に関する議論をしていたようです。 日本人の方はそういう問題に関して寛容でよかった・・・。

さ、一週目が終わりました。 木曜の朝にあった会議の前と後で随分差が出ましたが、生徒たちの方は結構楽しめていてくれたようです。 このままがんばっていこう。

週末

本当はリューベックにでも旅行に行こうと思ってたんですけど、やることがありすぎたのと、天気が悪かったせいで結局フズムに残ることに。

でも、フズムでも港祭りっていうのをやってました。これ、結構地元のお祭りみたいで、観光客とかのために無理してやってるオクトーバーフェストとかとは種類がだいぶ違うんで、生徒たちも楽しめてたらいいな。

せっかくなんで、金曜日に生徒に教えたことを裏付けるためにSarahが食べてるところでもご覧ください。

僕、ドイツの文化とかも結構理解できたし、普通に社会の一員としてやっていけると思うんですけど、やっぱり食べる量だけはどうにもならないですね。 ドイツの女の子ほども食べられない・・・。 生徒のみんなはちゃんとドイツ人ぐらい食べられるようになるのだろうか。

・・・そして、図々しくも2、3リットルビール飲ませてくれたSarahの同居人の人にも感謝。 家にはちゃんとチャリで普通に帰れました。 月曜日にはアルコールとどうつきあっていくかっていう話を生徒にします。 反面教師にはなれるわ。笑

この祭りのハイライト、綱引き。 この綱引き、ちょっとやり方が残酷で、船のドックの両側で引き合って、負けた方が水に落ちます。 まあ実際のところは、勝った方も飛び込むらしいですが・・・。

Sarah(僕の滞在先の母親。上記の大食いSarahとは別です)の甥も参加してたんですが、結局毎年、羊飼いのグループか、ドイツ軍のグループが勝つそうです。 まあそれはそういう気がするわ。 今年は羊飼いが優勝してました。

写真の黒いシャツ着たおっさんを見てもわかると思うんですが、すごい声を張り上げて、みんな真剣にやってました。 叫んでるドイツ人とか怖いわ。

フィリップ(Sarahの甥)も結局負けて飛び込むことに。笑

全然関係ないですが、優勝した羊飼いのグループ、8人で1500キロだったそうです 笑。

8月11日、月曜日

オリエンテーションコースの主題、氷山モデル(?)。 例えば車だとか、食べ物だとかみたいに、他の国の物でも見ただけでわかるものってあるじゃないですか。 この氷山モデルで重要なのは、実際に見えている部分はほんの一部分だけで、大半の部分は見ただけではわからない。 例えばここに書いてあるものとしては、伝統だとか、考え方だとかそういう面ですよね。 ホントはこの図は最初の方に書く予定だったんですけど、普通に忘れてたんで、今日描かせました。

ペンの色は冠詞の性別で分けたんですけど、女性詞ばっかりでしたね。 こういう系の単語では女性詞多いです。

今日のテーマは「文化」。 最初にこの絵を描かせて、Youtubeのビデオを鑑賞。 これ、ドイツ語で説明されてるんですけど、簡単に説明すると、男尊女卑に見えるのが、実は女尊男卑だったって話です。 よかったらいろいろ考えを張り巡らせてみてください。

こういった点に関しては、日本人にはドイツのジョークを理解するって言うのが結構大変になってくるかもしれないですね。 多分ドイツ人としては、別に相手に嫌な思いをさせるために言ったわけじゃないのに、日本人とかアジア人が関わってくるジョークとかに敏感にしてしまうってことがぼくの周りでも、時々ありました。 でも最近のヘタリアとかを見ると日本人も寛容になってきてるのかな?

今になって考えてみると、どういった理由で「文化」の所に入り込んできたのかよくわからんのですが、生徒たちに週末の出来事を話させるのに加えて、「小声で話す」とか、「常に相手の言うことに同意する」みたいな感じの課題を与えて話させてみました。 このぐらいの年の子たちにはあんまり実感わかないのかもしれないですが、「あの人が話しているみたいに話すようになりたい」って言う願望がありつつも、結局のところできないみたいな時のための練習か?・・・役に立つかどうかはようわからんけど。 まあ本人たちは楽しんでたみたいだしいいか。

懇談会のときに、子供たちにドイツの曲を教えるって言う約束しちゃってたんで、二曲用意して、ユリアにも協力してもらって、一曲目練習。 意外とちゃんと一緒に歌ってくれたから、このオリエンテーションコースが終わるまでには歌えるようになっているんじゃないだろうか。 それにしてもすごいローカルな(と、いってもドイツ人はみんな知ってる)曲選んだから、きっとこの先、もしドイツ人の前で歌ったりしたら結構ウケるだろう。

8月12日、火曜日

麗は昨日に引き続き欠席。 腹痛だそうです。 さて、何が原因でしょう? (ちなみに僕もドイツに来た頃は結構腹痛に悩まされてました。 どうやらチーズがよくなかったみたいなんですが、結局すぐ慣れましたね。)

今日のテーマ:友達。 まず「友達」の類語を書き出すことから始めることに。 何がいけないかというと、ドイツ語で「僕、私の友達」って普通の単語(Freund)でいうと彼女か彼氏のことになるんですね。 どうしても Freund を使いたい場合、"Ein Freund von mir" か "Eine Freundin von mir" と言うことは可能なんですが、その場合、Einとmirを格変化させる必要があるので、結構ややこしい上に、実はこのぐらいの年の男の子がFreundという単語を使うこと自体結構まれなんで、一応思いつくだけ書き出しておきました。

ちなみに答えとしては、Kommilitone, Klassenkamerad, Kollege, Kumpel等々です。男の子は特によくKumpelと言います。

次に具体的に、どういう場面で友達が必要(?)か書き出してみることに。 これでいろいろアイディアが浮かんでくるといいなとか思ってたんですけど、その後に「じゃあこの一年でどんなことやってみたい?」と聞いてみたところ、喫茶店に行く、ショッピングに行く、一緒に宿題をやるなどなどいろいろ出てきたんですが、彼らは果たして、そういう「普通」のことがいかに難しいか想像しているのだろうか。 (と、いいつつも、僕も初めてドイツに来たときはこんな感じの理想を抱いて来たなぁ・・・。 いくら難しいにせよ、最後には楽しめる時がくるから、やっぱりがんばってほしい、と密かに願う)

日本人の高校生はきっと、放課後何するか、で悩んだりはしないんだろうと思いますが、ドイツにはなんと部活的なものがないんで、それが結構問題になってくるんですね。 ドイツには東京みたいなメトロポリスがないじゃないですか。 というわけで昔は学校が終わったらみんな(昼飯のあと)街の中心の広場に行ったら誰かしらがいるから、そこで遊ぶっていうのが基本だったらしいんですが、既に僕の頃(10年前)には学校が終わったら家に帰ってコンピューターゲームって言うのが基本になってました。 一応スポーツチームとかみたいなのがだいたい学校とは別にあるんですが、それも週に3回ぐらいで、それも2時間ぐらいだったような気がする。 僕の所属してたオーケストラは週一回でした。

写真の紙は、ドイツ人の青少年(12〜25歳)の自由時間の活動で、ランキング通りに並べるっていう課題だったんですが、「ネットサーフィン」が悠々一位だとは思いつかなかったようです。

生徒たちを通してホストの兄弟に、自由時間に何をやっているか的なアンケートをやってもらったところ、廉のホストシスターたちが一ヶ月の自由時間に合計でいくら使っているかっていう質問に答えてくれました。 そのあと、生徒たちに聞いてみたところ、基本的に一ヶ月に使える額って言うのは決まってなくて、必要になったらおろすっていうようにしてるみたいです。 僕のとき(10年前)は、ドイツに来る前に母に一ヶ月100ユーロが上限と念を押されていて、ドイツについた後にはころりとかわって必要になったら送ってくれると言ってもらってたんですが、無意味なプライドと、あの頃は100ユーロという額がすごく多く思えて、どうしてもそれを超えるほどに出費ができず、すごく惨めな思いをしたのを覚えています。 時給6000円強で大学の講義をやっている今となっては、「成長する」ということがいかに重要かわかり、あのときやらなかったいろいろなことが悔やまれるばかりですが、少なくとも僕の生徒たちには、僕と同じような間違いを犯さずに充実した留学生活を送ってもらえるよう願うばかりです。

ここで、ちょっと話題を変えてアルコールとのつきあい方をYoutubeのビデオを通して考えることに。 YFU Japanの側では、アルコール一切禁止って通達が出てるらしいんですが。ホント日本のYFU時々留学生活を不自然なまでに折り曲げる方針を打ち出しますよね。 ドイツの法律では16歳以上はアルコールOKだし、ドイツのYFUでもほどほどに飲むことって規定に書いてあるんで、僕の授業ではそう伝えました。 でも実際のところ、この話題でもアルコール飲めるって聞いて喜んでた様子もないんで、まあ大丈夫なんじゃないかな。 ドイツの場合日本と違って、先輩に勧められたら断れないとか言うことはないし。

さて、「(ドイツ語ができない最初の頃に)どういう風に友達を作るか」っていう話題に戻って、少し深く考えてみることに。 スポーツ、音楽、と? 実は日本にはほとんど存在しないし、友達作るためになんか使おうと思わないと思うんですが、ドイツでは老若男女問わずものすごい頻度でボードゲームをやります。 (ちなみにヨーロッパ全土でもドイツはボードゲームの発信地として有名です。) と、いうわけで6 nimmtっていう言葉なしでできるゲームを持っていってみんなでやってみました。 まさかこんなにウケるとまでは思わなかった・・・。笑 (まあ雨降ってたからほかにできることもなかったけど)

ここまで特に書いてなかったですが、昼飯時々すごい不評です。 あとホストの兄弟たちとかきたら一緒に食べれるし、食後のバスケ、バレー、卓球、歌とかいろいろできるんだけどな。

一日のうちの3分の2を占めるJuliaの語学の授業の写真も。 彼女めちゃめちゃ日本語できますが、授業は基本的にドイツ語でやってるみたいです。生徒の方はあまりわかってないみたいですが、これが一ヶ月もしたら現実になることを考えれば、この方法もいいかもしれません。

黒板には「はい、いいえの質問」と、その次に「(私を)愛していますか?」「いいえ、愛していません」の字が。 こういう話題をただの例として客観的に扱うって言うのもドイツ的ですね・・・。

8月13日、水曜日

今日は午後からの授業だったので、昼飯直前に到着。ユリアが授業してました。

最初の印象:静か。僕は僕で、研究の方の仕事が山積みになってたので、そそくさ退散。

隣の部屋には、作文の添削をしつつ、細かいミスで爆笑してるSarah 笑

アメリカ人と日本人の関係、今のところあまり変わってないみたいですね。 僕の見たところだと、このコースの間は特殊期間的な扱いになってて、とにかくこちらの環境に慣れれば良し、それ以上の努力はしない、って感じみたいですね。 ま、そんなぐらいがいいんじゃないですかね。 僕としては、最後のお別れパーティーだけちゃんと計画することさえ忘れていないでくれればいいです・・・。

でも、別に敢えて言葉でコミュニケーションとるってわけじゃなくてもいいですよね。 例えば今日は、アメリカ人も含めてみんなで歌いました。 日本人が歌うの好きってのは別に普通のことだと思うんですけど、実は意外とアメリカ人からアンコールかかってました。

今日のテーマは「適応」。 昼飯が届いたのがずいぶん遅かったってことと、歌が入ったせいで時間が大分なくなったのと、このテーマの内容自体他のテーマとかぶるところが多かったので、ドイツの学校でどのようにしてプレゼンをやるか話し合うことに。

結構適当に「漫画」という題で、プレゼンしてみることにして、とりあえず思いついたことを次々言ってもらうことに。 最初の障害:「結論はどうするんですか」との質問。 どうやら日本人の生徒にとってのプレゼンとは、イントロがあって、(賛成反対とかの)発展があって、結論。 と、いうわけで、ただ普通に漫画というタイトルでプレゼンをやるときは、単純な情報発信だけにして、議論するような形式はとらなくていいという僕の説明から。

改めてスタート。 何から始めましょう?「漫画の種類!」うん、まあそうなんですが、どうやら日本人の生徒たちは当たり前のことを当たり前に言うということが苦手なようです。

こういう点では、どうもよく知らないことをやるときに複雑に考えすぎる人が多いみたいです。 例えば僕の博士論文ですが、やっぱりコンピューターの画面に複雑な記号がいくつも並んでると、ものすごく難しいことをやっているんだと思われるかもしれませんが、実際にこのシュミレーションコードって足し算とかけ算の組み合わせだけなんですよね。 たったそれだけのことを繰り返していくだけで、僕ら物理学者は液体の動きを分析したりだとか、僕の場合鉄の劣化をシュミレーションしたりだとかしてるんですよね。 改めて、当たり前のことから始めましょう。

さ、もう一回。 だんだん漫画についてのすごく基本的なアイデアも出てきました。 僕は出て来たアイデアを次々黒板に書いていきます。 特に一つ一つにつながりはありませんが、つなげ合わせるのは後からいくらでもやりようがあるので、今あるアイデアはとにかく全部残らず書いていくことに。

数分後、黒板はまだ半分ぐらいしか埋まらないところで、僕もある程度予想していた発言、「もうない。」いや、あるって。 その直後ぐらいに、「他のテーマだったら簡単だったのに」との声が。

僕の所属していたゲッティンゲン大学物理科では、噂によると90パーセント以上の学生が落第か留年。 僕の周辺にも何人もいたわけなんですが、落ちる人って言うのには共通点があるんですよね、「なぜこの課題ができないか理由付けする」って。

僕が小さかった頃、僕の両親はよく「本当にいい先生ばかりにあたるねえ」と言っていました。 日本の教師のクオリティーはとても高いし、大半のところでやはりそうだったんですが、今になって考えてみると、うちの両親も結構適当に発言していたな、って思うことも多々あります。 それでも小さかった僕の目にそんなことを疑殆する力はなく、先生の言うことは全て正しいと思っていました。 最近は親が教師を批判することが多くなったらしくて、そういうときに子供が先生の言うことを真面目に聞かなくなったりすることを考えると、いろんなチャンスが奪われていくような気もします。

なんにせよ僕は、自分自身時々学校謹慎したりするような学校生活で、とてもいい生徒だったとは言えませんが、設問がどうであれ、その質は問わずになんでもとりあえずやってきました。 今、大学の講義で黒板の前に立つとき、ぼくはメモなんかは見ないで実質90分間のプレゼンを毎週なんなくこなしています。 時々ふっと昔はプレゼン大変だったな、と思うことがありますが、あの頃全部やってよかった。マジで全部ためになりました。

当然当時の僕にプレゼンやったからどうなるとか言うことを想像することはできなかったわけで、ある意味僕の生徒たちがそういう風に思うのも当たり前と言えば当たり前ですね。 僕は彼らがちゃんといろんなことに全力であたっていってくれることを願うばかりです。 目には見えなくても、やっぱりハードル超えるたびにだんだん楽にはなっていきますからね。

さて、単語の箇条書きはできました。話の順序も確認。 誰か一人代表者プレゼン。 「私プレゼンとかホント苦手なんだよね。」 うん、別に「私」とか敢えて言わないでくれても全員苦手なことは知っている。 一応「こういう時にするプレゼンって言うのは単純に箇条書きした単語を文章で埋めていくだけなんだよ」っていう確認も。 じゃんけんで負けた麗が発表することに。 トイレに行ってしまい、戻ってきません・・・。 昨日の腹痛から全快してないのかな?確かにどっちみち顔色あんまり良くなかった気もする。

でも戻って来てプレゼンやってみたら、ちゃんとできました。 あんな風にドイツでやれたらちゃんと普通に通用すると思う。 (どっちみちやればいいわけですよ。やれば)

次のテーマに「東京」を選んだんですが残念ながら時間切れ。 あさってのテーマは「歴史」なので、そこで一人5分ぐらいのプレゼンをやってもらうことに。 テーマはドイツ革命、ヴェルサイユ条約、Uボート、無制限潜水艦作戦、退廃芸術、エニグマ、東方生存圏。 全部のテーマにWikipediaの記事があることは確認してあります。 ちなみに研究者の僕がWikipediaを奨めるとはどういうことかと思うかもしれませんが、「プレゼンをやる」っていうのが目的ってことも考慮してください。 あと、敢えて人によく知られてないテーマばかり選びました。

返事がない、ただの屍のようだ。

ここで、JuliaとSarahがここにきて生徒のモチベーションを高めるのに相当苦労してるって話をやっと聞きました(だからあんなに静かだったのね)。 Sarahに関しては明日異文化教育学を使うとか豪語しておりました。わー

僕の授業ではそんな風には見えませんでしたが、なんにせよもう一週間以上授業やってるわけだから生徒の方が疲れてくるのも仕方ないか。 ただ僕と違ってSarahもJuliaも授業の準備に相当な時間を割いてるのでかわいそうと言えばかわいそうな気も・・・。

8月14日、木曜日

僕の授業に関してはコメントなし。 テーマも「YFU」だったのでさらさらと今年一年どういう具合でYFUが留学生活に関わってくるかって言う説明。 アヤノが中間セミナーは強制参加か聞いておりましたが、強制参加かどうかに関わらず、どっちみち必要になることだろう。

今日とか生徒のモチベーションがめちゃめちゃ下がってるのがすごくはっきり出ていて・・・。 ユリアに関しては状況に応じて授業の計画を柔軟に変えていっているようです。 僕に関しては、そもそも生徒とのコミュニケーションだけで成り立っている授業だから生徒たちもぼーっとしてられないって言うのもあるし、そもそもが僕自身ユリアほど授業に責任を感じてないって言うのもあるんで生徒たちが集中してなくてもそれほど気にせずやってます。ユリアとかホントドイツ的ないい先生だわ。

10年前、僕がこのOSKに参加したときは、当時のオリテンテーションの側の先生が、遊園地に行くって言うのを企画してたんで、僕は僕で先週の懇談会でBBQを提案。 今日の夜です。

生徒たちの方でもBBQ一日中楽しみにしてたみたいだったんで良かった。 本当はBBQ始まる前にみんなで屋外プールに行こうって言ってたんですけど、気温が15度ぐらいまでしかあがらなかったんで、それはナシ。 寒いわ。 生徒たちは既に親に直接現地に行くって言ってたらしいんで、廉の家に直行したようです。

僕が計画したって言うのは実は結構大間違いで、提案したのは確かに僕なんですけど、実は廉の家族の人が他の家族にも連絡とってて、人数とかも結構正確に把握してたみたいです。 (僕は僕で、足りないものがあったらスーパーにダッシュで買いにいけばいいぐらいに思っていた)

さ、いつもの通り遅刻です。 今日は45分でした。 いつも最後に到着ってのも印象に残りそうだな。

ちなみにドイツ式のBBQのやり方ですが、日本だとだいたい七輪を囲んだり、グリルセットを囲んだりして、なんにせよその場から直接肉なり野菜なりをとっていって食べるじゃないですか。 ドイツだとグリル担当の人がいて、その人が焼いたものを皿に盛って持って来てくれるんですね。 だからこの写真とか見てBBQとか言うと「あれ?」って思ったかもしれません。 しかも皿に盛ってあるもの見ていただければわかると思いますが、実際には副菜ばっかり 笑

そしてドイツならではの大きな家。 今日の参加者数は24人だったそうですが、裕にあと10人ぐらいは入れたんじゃないですかね。

テーブルが三列になって並んでたんで、基本的には子供と大人で別れ、大人の側では留学生の状況とかを熱心に話し合ってたみたいです。 実際にはどこの家も同じような状況だったみたいですが。

僕個人としては宏樹の家のホストマザーが偶然向かいに座ったんで、いろいろ話を聞いてみました。 宏樹に関しては授業中あまり発言しないんですが、発言するときにはちゃんとした内容が出てくるんで、家でどうしてるか僕も気にかかってたんですが、ホストマザーによると、本人なりの努力をしているのは目に見えてわかるし(それは僕も思っていた)、時々自分から率先して物事をするんで、特にこちら側(ホストマザー側)から何もしなくても楽しく過ごしているとのことでした。 ちなみに将棋のやり方を教わってみたものの、難しくて覚えられなかったそうなんですが、それは言語とかの問題じゃないような気がする・・・。 実は僕も宏樹を見てると10年前の自分が鮮やかによみがえってくるんで、きっとどうにかするだろう、て気がする。

それにしてもSarahよく食うな・・・。

Sarahがまだ食べている間、子供たちの方は退屈になって来たので、外に出てみんなで遊ぶことに。 僕も(日本人だし)写真とるために外に出たんですけど数が合わなかったんで一緒に遊ぶはめに。 そんな歳じゃないって・・・。

とにかく走るわ走る。 僕も走るの結構好きなんですけど2週間チャリこぐばっかりだったのと、フズムついて以来泳いでばっかりだったんで、走るのぎこちなくって焦った。 しかも宏樹にちゃんと捕まりましたからね。 明日、いかに自分のやったことが間違っていたか思い知ることだろう 笑

庭で遊んだ後はみんなで海へ。 アインツ ウント ツヴァイ ウント・・・なんかのかけ声をかけてみんなで歩いてました。 僕の生徒たちもホストシスターたちが言うのをなんとなく覚えていってたみたいです。(そのうちまた聞いてみよう)

フズムの干潟は日没のときもきれいですね。 海に続く橋の上を暗くなりつつある中歩いきながら話したり。 最終的に誰かのホストマザーが電話してくるまで橋の先っぽで話してたんですが、東京出身リヨン在住の僕としては、誰もいない夜の海のど真ん中で街灯もない中、沈み行く夕焼けを背景に友達と話すってのが、久々で新鮮でした。 生徒たちも同じように感じてくれてたらうれしいな。 (そして何より明日からの活力になってくれてたらうれしいな)

8月15日、金曜日

今日の朝、会議。 教授に仕事しろって怒られました。 好きなこと好きなだけ言えばいい。

今日の昼は雰囲気を変えてケバブを食べることにしました。 実際みんな既にドイツのケバブ食べたことあったみたいだし、僕自身あんまりケバブ好きじゃなかったんですけど、やっぱり町の中心街に行くのっていいですよね。 ユリアとしても、ドイツ語の数の言い方を教えたこともあって、それを応用した買い物をさせるのは教室で授業するのよりも大分楽だったようです。 ミユからグミもらいました。ありがとう。

今日のテーマは「歴史」。 日本人にとって歴史の授業って基本的に年号覚えたり名前暗記したりするだけじゃないですか。 特に一年間の授業で2000年あつかったりすることもありますよね。 ドイツの授業ではホントに数年を時間かけて少しずつ進めていくんですよね。 特に議論が中心の授業です。

授業の最初に、おととい宿題に出しておいたプレゼンをやってもらうことに。 テーマは主に明日の遠足に沿ったものばかりだったんですが、とりあえずミユの「退廃芸術」が最初のプレゼン。 僕の印象:完璧(驚愕)。 特にただ情報を上手に伝えられたというだけでなく、専門的な用語、特にこのテーマの場合芸術家の名前等々を聞いている側の知識にあわせてうまく避けていたので、僕としては結構驚きでした。 これって実は国立応用科学院(僕の勤めている大学)で僕が「専門用語だけ並べてればいいんじゃないんだよ」って結構学生に注意することなんですよね。 まさか人生初(?)のプレゼンでちゃんとそこまで考えているとは思わなかった。笑 その次の宏樹のは若干短めでしたが、葵子の「Uボート」は本人がかなり詳しくなってるのがわかる(そして僕としては改めて驚きだった)完璧なプレゼンでした。 こんな風に人前で普通にはなせればドイツの授業でプレゼンやることになってもちゃんとしたのができると思います。 来週時間があったらディスカッションのやり方とか説明する時間も取るようにしよう。 それにしても僕の期待を大幅に越えてくれてたんで、良かった 笑

なんにせよ生徒のみんながドイツ人にとって歴史がどれだけ重要か理解できるように、今日の授業はラリー形式で写真を見せながらどれがどういう意味を持っているのか聞いて回ってもらうことに。 まあ僕としても喫茶店に普通に座って仕事ができたし、生徒は生徒でそれなりに楽しめるって言う利点もあったんですが。

僕の出した問題、部分的には結構難しくて、ちょっとだけあった文章題では「東西ドイツ共同のオリンピックチームは何度あったでしょう?」とか、東ドイツの旗の紋章は何を表しているでしょう、とかかなり知識のある人でないとわからない問題ばかりでした。 でも僕の側としても、一つ一つの問題の答が結構重要だったんで敢えて出したんですが。

写真のおじさんたちかなりの問題答えてくれてました。 結果的に葵子と彩乃のチームが勝って賞品として近くの喫茶店でアイス。

どうやら僕が最近書いてた「30ユーロぐらい平気で出せる」って言う書き込みは読んでたみたいなんですが、それでもやはり最初は控えめにすることにしてたみたいです。 ただ、僕が他のグループにもアイス一玉はおごるって言ったところ、それじゃやっぱり賞品としての価値が薄くなると思ったのか、高いやつ頼んでました 笑。 最近の子どういう風になってんのかよくわからんわ。

遠足

OSKが始まる前からユリアと遠足どこ行くかって話はしてたんですが、ここでは意見が一致して最初っからキールって決まってました。 そもそもがフズムの近くに大きな街がハンブルクとキールしかないってのが問題なんですが、ハンブルクはどっちみち一年ドイツにいるわけだからそのうち行くだろうってことになって却下。

8時15分(集合時間)。僕は結構ぎりぎりでつきました。 実際生徒の半分ぐらいしかついてなかったんで、これからドイツの生活に合わせられるようにがんばってもらうことになりそうです。 (ただ、このぐらいの年の子たちはドイツ人でもまだそんなに時間に敏感ってことはない気もする)

電車でキールへ。 生徒もホストの兄弟も全員シュレースヴィヒ・ホルシュタイン・チケットって言うの持ってて、電車は乗り放題でした。 これからのドイツの生活で、ドイツのいろんなところに電車で回ることになるのだろう。 (そしてドイツでは日本と違っていろんな本当にいろんなところに行くってことも学んでほしい)

最初の目標はニコライ教会(参照ドイツ語)。 この教会自体に大した面白みはないんですけど、ここにおいてあるガイストケンプファー(精神の戦士?)っていうのがナチスによって退廃芸術(上記のミユのプレゼン参照)によって1937年に取り除かれてるんですね。 ちなみにさすが北の教会なのか中は結構モダンでした。

続けてダッシュで近くの港町、ラブーへ。 フェリーでわたるってことだったんで、結構面白いかなと思ったら、意外とみんな中座ってて、退屈そう(どっちみちバスなり船なりで移動はしなきゃ行けないんだから別に楽しかろうがつまらなかろうが仕方ないんですが) ま、アウトドア好きなドイツ人二人は外で喜んでおりました。

なぜか誰もトランプ持って来てなかったんで、船が出る前に近くの店で買ったんですが、残念ながら(ドイツ人が大好きな)ドッペルコップフ(参照Wikipedia英語版)カードゲームを買っていて、ホストシスターたちがやり方知ってるって言ってたんで、そっちに座ったところ、ドッペルコップフは4人でしか遊べないらしく(だめじゃん)結局別のゲームをいろいろ考案してやってみることに。 ちなみに写真に写ってるのは普通にババ抜きやってるとこです。

今日、なぜかドイツでクレジットカードがほとんど使えないって言う事実をかなりあっさり忘れてて、現金をほとんど持っておらずかなり走り回ることになりました。 全然関係ないんですけど、実際現金とクレジットカードの長所短所を、例えば小銭を持ち歩くことによって失われるエネルギーだとか、小銭を作るコストとか、セキュリティーの問題とか、心理的な部分、例えば払い過ぎだとかを全て現金で数値化した上で、それをクレジットカードの年会費とかと比べてみるとか、結構いい博士論文になると思うんですけどどうですかね。

さて、ラブーですが、きれいな海岸が広がっているだけでなく、Uボートの博物館(?)がおかれてるってことでも有名なんですね。 昨日の葵子のプレゼンのテーマでした。 ちなみに本人は本人でUボートにはかなり詳しくなっていたらしく、行く道でいろいろ説明してくれました。 月曜日に残りのプレゼンやってもらうんですが、そっちの内容も全部知ってそう・・・。

生徒にとってもすごくいい経験だったと思うんですが、僕自身潜水艦の中に入るのは初めてだったんで、かなり圧倒されました。 集団的自衛権も決まったことだし、近い将来こんなのに乗る子たちもでてくるのだろうか。

小さいトイレに、小さいキッチン。 日本の少年青年たちはこんな状況に何ヶ月も耐えられるのだろうか。

ラブーにせっかくきれいな海岸があったのでんでたら、帰りの船のがしました。チーン。

ま、15分後にバスが出たからいいんですけどね。

バスの中で、近くに座った一部の生徒に僕が昨日出した課題の写真の意味を説明することに。 主に第二次世界大戦から東西分断の話だったんですが、やはり日本の歴史の内容しか見てきてないせいか、新しく学ぶことが多かったようです。 ドイツに来た以上、歴史のこの部分を考えずに避けて通ることはできないんで、それなりに学んで自分で意見を持っていってくれるといいですね。

ヒロシマ公園の目の前にアジアンショップがあったんで、そこで一度お買い物 笑。 フズムぐらいの町だとやはり小さすぎてスーパーの一角にアジアン商品が並べられてるぐらいなんですね。 実際これが一日のハイライトだった気がする

ビスマルク像の前でポーズをとるユリア。 ビスマルクがキールにいるとか矛盾してるようにも思える・・・。

「おなかすいた?」「いや、まだ大丈夫です」。 これが今日の最後の方のバーニングポイントで、最初は大丈夫と言いつつ、そのあとおなかすいてたって言い出すってユリアが憤慨しておりました。 僕はちなみにグループの前の方でSarahと話してただけなんであんまりその話はちゃんと聞いてなかったんですが、ドイツではこういう場面で普通にはいと言って大丈夫ってことを生徒に学んでもらおうと、ユリアの方でも特に何も言わなかったそうです。

キールの小さな水族館。 廉はタラと言葉なき会話。 むしろこの方がおなかすいたか言っていいのか良くないのかわからないドイツ人相手に会話するより楽なのかもしれない・・・。

こんなところにすごいイカしたヒトデがいたとしても、やっぱりキールは小さな港町なんでそんなに見るものないですね。 30分ぐらいは時間余ってたし、せっかくフズムよりは少し大きい町なんで、少なくともショッピングぐらいはさせてあげることにしました。 そして僕としてはどうしても電車まで逃したりはしたくなから、もう一カ所観光名所を回ろうとは言い出したくなかっただけでもある 笑

帰り道、シュレースヴィヒって言う町を電車で通ることがわかり、どっちみちただで乗り降りできることと、キールが第二次世界大戦後焼け野原になっていた反面、シュレースヴィヒは比較的いい状態で残っていたことを考えると、そっちに行った方が良かったかもしれない、と後悔・・・。

P.S. 次の日(日曜日)個人的にシュレースヴィヒ行ってきました。 (そんなに悔しかったか。) 実際のところ、名所はお城(というよりは城塞)と、近くの中世を再現した村で、村の方は結局行かなかったんでよくわからないんですが、お城の方はひたすら膨大な美術館博物館で、はっきり言って予備知識なしではほぼ理解不能なのと、一日のうちほとんどがそれに費やされていた可能性が高いので、やっぱり行かなくてよかったです。

8月18日、月曜日

天気悪すぎです。 外の気温は10から15度。 生徒たちどうやって生き延びてんだろ。

しかもいつものごとく雨ですからね。 僕、今日ユリアに頼まれて8時から授業だったんですけど、8時丁度ぐらいについたらもっと早く来いってめっちゃ文句言われましたからね。 知るか 笑

今日の授業はいきなりプレゼンから。 若干棒読みのところもありましたが、まあ最初にしては良かったんじゃないですかね(ちなみに写真に写ってるのは茜ですが、茜はよくできてました)。 どっちみち僕がどう思ったかに関わらず生徒は生徒で全部経験するわけですからね。 がんばってもらいたいです

今日の本来のテーマは自由時間とインターネットだったんですけど、基本的にはどういう風に自由時間を使えばいいかという話に。 まず最初に一日の行動を24時間の円にして書き出してみることに(一番上が深夜で始まって、下がお昼の12時)。 僕通ってなかったんでよくわからんかったんですけど、塾の占める割合って結構大きいんですね。 塾って行く意味あるんですかね(と、生徒たちにもドイツの一年を通して考えてほしい。)

ドイツって部活ないんですよって話は上に書いたじゃないですか。 それで一応どんなことならできるかって話を中心に展開していくってのが理想なんですけど、やっぱりできることってそんなにないんですよね。 むしろ、僕としては毎日充実しないかもしれないということに対してストレスをためない計画を立てるのがお勧めな気がする。

さて、次の話題は「ホームシックになったらどうするか」

アイディアたくさん出てきました。 例えば「他のことに集中する」だとか、「ホストファミリーに相談する」だとかですね。 このホストファミリーに相談するって意外と簡単には行かないんですよ。 ただ、簡単にはできないってことにめげないで、やっぱり相談してみた方がホストとしてもうれしいと思います。

僕は最初の留学生活の中で、結局ホームシックは経験しませんでした。 ただ、自転車でフランスから東京に行く途中で数週間通る羽目になったゴビ砂漠なんですが、結構精神的にはギリギリで、いろんなこと考えてて思ったんですが、宗教のある人の精神面ってすごい強いんですよね。 やはり人間、自らの意思よりも「神のため」みたいに使命を与えられた方が強くなるんだな、とイラン辺りから思い始めてたんですが、僕は無宗教だし、理論物理学者だし、どう考えても聖書を読んで踏ん張れるとは思えない。 んでどうしたかというと、ちょっと方角違うんですが、本を読んだり、iPadで映画とかを観て、自転車こいでる間は物語の方の世界を想像してたんですよ。 僕の読みあさった本が結果的に(違う方向から)聖書の代わりになってくれて、いつの間にやらゴビ砂漠は終わってたんですが、実際のところ、思い悩むようなことに解決策とかないことって多いんですよね。 たとえば今日の話で言うとプレゼンとか、生徒は結構週末中緊張してた部分もあったみたいなんですが、それも何度練習したから楽になるとかそういう問題じゃないじゃないですか。 そういう時って、物語の世界にぼーっと浸かってればそのうち過ぎるんで、そのぐらいの心持ちでいるのがいいと思います(ま、上に書いた「他のことに集中する」って話にちょっとかぶりますけれども)。

別の話で、僕の留学中、結構はじめの方(11月ぐらい)に車輪の下の原本を買って読んでたんですよ。 この悲劇と、自分の生活を比較することによって自分のおかれた状況の良さにも気づきました。 今となっては、アフガニスタン、パキスタン、イランの三角地帯で見た状況などと比べると、ここヨーロッパでどういう環境におかれてもやっていける気がする・・・。

でも結局のところ、ホームシックになるかどうかは、学校の友達とか、ホストファミリー次第ってことも結構あるんで、運も運ですね(僕はそういう意味ではラッキーだった)

語学コースの方では、JuliaとSarahがä ü öと黒板に書いて授業の準備。 アメリカ人と日本人の合同のゲームだったんですが、ユリアが単語を読み上げて、2グループで各グループ代表一人が、読み上げられた単語の中にウムラウト(äかüかö)が入っていれば、その文字の所に行ってそうでなければ「ウムラウトなし」って所に行くというルール。

英語にも日本語にもウムラウトってないんですよね。 ただ、ドイツ語でもウムラウトって登場頻度結構低いんで、ちゃんとその単語を最初から知っていれば聞き取れると思います。 そういう意味ではドイツ語の既に良くできるアメリカ人の方が若干有利だったみたいですね(まあ全員ミックスでグループ決めたんであんまり関係なかったですけど)。 一番難しかったのは多分Mutter(母親)と、その複数形のMütterですかね。 多分ドイツ人でもÄhre(麦)と、Ehre(名誉)はそう簡単には聞き分けられないと思う。

ちなみに、日本人にとってドイツ語で一番難しいのは多分ウムラウトではなくて、「U」の音ですね。 日本語の「う」って僕が知る限り日本語にしか存在しないんですよね。 ドイツ語の「ö」はかなり近いんで、日本人は普通に「う」に置き換えれば通じると思います。 おかげで残念ながらHusumと発音できないってのがかわいそう。 逆に日本語の「う」の音を発音するのに関して一番かわいそうなのは英語圏の人たちで、かなり練習しないと出てこないようです。

授業後、アメリカ人と日本人で最後のお別れパーティーのための話し合い。 別々に計画をたてているようです。 まあコミュニケーションあんまりとれないだろうし仕方ないか。

8月19日、火曜日

役に立つアドバイス。 何の話しよう、と、ぼーっと考えてて思った:交通ルール教えないと・・・。 とりあえず赤信号わたっちゃだめってこととか教えるじゃないですか。 でもそのぐらいだったら一言ですむんですけど、歩行者天国、車両通行止め、一方通行、それぞれに標識があって、覚えてなきゃ行けないわけですよ。 ドイツだとホントシャレにならないぐらい捕まりますからね。 それぞれの標識の名前をカードに書いて、パソコンでランダムに画像を表示させて、カルタ式にとっていってもらうことに。 最初に「全然注意してなかった」と言ってた彩乃がさりげなく最初に10枚とって、優勝(景品はミルカのチョコ 笑)

日本だと車でもチャリでもみんな結構適当に走ってるように見えて意外とそれでちゃんと調和がとれてるんですよね。 僕時々ドイツ人とかつれて日本帰りますけど、やっぱ外国人チャリ乗ってると、なぜかその周辺だけバランスが崩れるというか。 多分日本人だけが知っているリズムがあるんでしょう。

オリエンテーションの授業は30分早く繰り上げて、日米の生徒たちがお別れパーティーについて話し合える場を作ることにしました。 ホントは全部生徒たちが(話し合いの場も含めて)計画することになってたんですけど、やっぱり国を超えた交流はなんとなくできることでもないだろうし仕方ないですね。

上の写真でも見て取れる通り、日本人は踊るそうです(すごいな)。ミユと彩乃がチアリーディングやってたからそれでみんなをひいていっているようです。

語学コースの前にユリアとサラも生徒が歌えるための時間をとってました。 まあ歌詞読むのもドイツ語の授業みたいなもんですからね。 別にこの歌そんなにきれいなドイツ語ってわけでもないですけど。

そういう意味では茜の家のギター借りてホントよかった。 生徒の方も喜んで歌ってくれてるみたいだし(と、言う風に見せてるだけだろうか)。 ただ、Noahどこからかギターをもってきてたんで、せっかくだし、お別れパーティーのギターは引き受けてもらうことにしました。

8月20日、水曜日

政治ってなんだろう。

授業のはじめ、「政治に興味があり、積極的に関わっている」、「政治なんて大人のやること」、「興味はあるけど、複雑すぎてよくわからない」、「全然興味もないし考えたこともない」と書いた紙をそれぞれ教室の壁にはって、自分に一番当てはまるところに行ってもらうことに。 一番多かったのは「複雑すぎてよくわからない」って所でした。

次に日常的に使うものが描かれた絵を見せて、それに関連した法律を言っていってもらい、さらにその法律にどういったものが含まれるか聞いてみることに。 たとえば一番最初は目玉焼き。 どんな卵でも買える訳じゃないですよね? と、いうわけでここには食品衛生法と食品安全法。 他にどういったものがこれらの法律に含まれるか。

次に、「自分」と「政治」を比べて、一般的な判断がどの部分にあたるか選んでもらいました。 例えば「制服の導入」。 これは基本的には学校が決めることですが、生徒の方にも決定権があるらしいので、「自分」と「政治」の間のかなり「政治」より。 他にも「きれいな教室」、「ゆとり教育」などなどいろいろ考えてもらいました。

この「制服の導入」に関してはディスカッションがしやすそうだったので、ドイツ式に「制服の導入について議論しなさい」(みたいな宿題が時々本当に出る)っていう課題をやってみることに。 こういうのは作文の課題です。

さて、「議論しなさい」。 ちょっと日本人の皆さん、考えてみてください。 何から始めますか?

そもそもがディスカッションなんかやったことがないって言う人が大半だし、それを文章にするなんて予想もつかないかもしれませんが、「長所」「短所」を書くって言うのがやっぱり最初に浮かぶんですかね。 なんにせよ僕の授業で最初にあがったのがそれで、それ以上にはとりあえず思いつかなかったようです。

ここでも日本人の苦手な「当たり前のことを書く」って言うのが重要になってくる訳なんですよね。 そもそも賛成反対だの自分の意見だの言う前に、まず制服とは何かって言う説明から始めてはいかがでしょうか? 「制服とは、学校ごとに決められた、生徒全員が登下校時、学校内、学校行事で着る正装で・・・」みたいな感じに始めるだけで「学校ごと」「生徒全員」「登下校時、学校内、学校行事」「正装」っていう制服の定義に関わる大切なキーワードがいくつも出てきますからね。 こういう当たり前に思えることをきちんとやることによって「実はドイツにはTシャツの制服がある」っていう意外なことに気づくかもしれないですからね。

長所短所を話し合った後、最後に折り合いを付けるためのまとめですかね。 僕だったら例えば、「デザインが選べない」っていうところに「生徒も加わった選択をする」みたいな提案をしてみたりすると思います。

授業の最後に、どうやったら自分の意見が政治に反映されるか、という話で、「フェイスブックにあげてみる」だとか「デモに参加する」だとかいろいろ出てきました。

政治・・・。 僕はよく、「なぜドイツにきたのか」と聞かれますが、特にこういった理由だったってのはありません。 ただ、僕の留学生活が終わった直後の2005年夏、郵政民営化が決まったときに初めて、日本を離れる決意をしました。 あのとき僕は、偶然にも上に登場した柴田と高校の近くのラーメン屋にいて、そこにおかれたテレビで、衆議院議員選挙の結果を途方もなく、「こうやって一つの国が滅びるんだ・・・」と思いながら眺めていました。

日本というのは不思議な国で、戦後のめまぐるしい高度経済成長の中、政治だけがひとり取り残され、結果として、ロッキード事件やプラザ合意などのおかしな行動も見過ごされてきました。 ウォーターゲート事件で政治的に奇妙な最期を遂げたリチャードニクソンと、あのとき日本が葬った田中角栄が結局東西和平を断念せざることを得なかったこと、日本の失われた20年をはっきりと作り出した中曽根康弘、僕にはこれらの判断が不可解で不可解で仕方ないですが、それでも郵政民営化までは日本が国として存在し、正しい政治判断できっといい方向に向かっていくかもしれない、という希望的観測を抱いていました。 あのとき、リアルタイムで進む政治に、そして日本という国にどれだけ失望したかは今でもはっきりと覚えています。

僕が日本を離れて数年がたち、東日本大震災で原発事故・・・。 これではっきり、「政治には興味がない」というのが許されないというのがわかったはずなのに、やはり日本の体質は今でもかわらないようです。

政権が変わり、人為的に作られたインフレ。 インフレで借金を返すなんて言うのはワイマール体制以来、必然的にしろ人為的にしろ数えきれないほど起こっている訳で、今の政権が新しいことをしている訳ではないのに、やはり日本では「なぜ今までの政権がこういうことをできなかったか」という単純な疑問が話し合われることはないようです。 相対的な価値しかもたないお金。 それ相応の取引があったはずで、その「取引」の効果もはっきり目に見えているのに、興味がないから考えない。 自分には関係ない・・・。

国立応用科学院で働く傍ら、フランス原子力安全委員会の研究員である身分上、最近になって僕の周辺では政治関係の出会いが増えてきました。 政治と自分の、驚くほどの距離の小ささ・・・。 今、僕は今の自分と、目の前で無邪気に過ごす10年前の7人の自分を見比べ、あっという間に過ぎていった時間と、ドイツが与えてくれた、比較にならないほどの経験を見て、やはりあの一年があったから・・・、という思いで一杯です。

僕と同じ絶望を味わうかどうかは別として、僕の生徒たちが、自分たちと政治がどれだけ深く関わっているか、「興味がない」では許されないということ、日本がかわらなければないということをこの一年で学んでくれれば、と、密かに祈るばかりです。

8月21日、木曜日

他に日本人にとってどんな音が発音しにくいですかね。 なんといってもドイツ語の「R」の音でしょう。 とりあえずみんなで試してみることに、ってわけでうがい。 これで解決するんかな。

僕はありがたいことに当時うがいせずにRの音は出せました。 ただ、例えば「reparieren(修理する)」みたいに、単語の途中でRが出てくると、かなり難易度アップするんですよね(ただし、正確にはreparierenの場合、最初のふたつのRの音と、最後の音は若干違う)。 僕がドイツ語のRの音を本当に正確に初めて発音したのは2004年のアテネオリンピックで三位の国がどこだったかって話のときです。 どこだったでしょう? 正解はロシア(Russland)。 一番最初に発音してみたらなぜかいきなりちゃんと出てきたんですよ。 二度目は失敗。 そうやって練習を重ねていくうちにやっぱりちゃんとできるようになりました。

今日の夜のお別れパーティーのせいで授業中の集中力ゼロでした 笑。 今日のテーマも「今後について」とか結構適当そうな話だったんで別にそれでもいいとは思ってましたが。

せっかくなので、生徒一人一人にどんな町にいって、どういう家族のもとで、どういう学校に通うのか聞いて、それから「自分はこのホストだから良かった!」って所を挙げていってもらうことに。 と、思ったんですがどうやら印象がまだ結構もやもやしすぎてあんまりわからないって感じでしたね。 廉と麗に関しては、それぞれチェコの国境とフランスの国境近くに行くということで、語学的な心配を結構してたみたいです。 のりこはニュルンベルクの超豪邸? アカネは趣味(乗馬と音楽)があう家庭ってことで結構喜んでました。 ミユは音楽系の学校に入るのに音楽できないとか・・・。

上の写真は、一年間でどんなことができるようになりたいか、みたいなことを書いてもらってるところです。 書いた用紙は全部回収したんで、僕も来年の7月2日、日本人帰国のときにハンブルクに現れる理由ができたようです 笑

授業後、ハナと僕は二人で会場となる病院へ。 この病院はちなみにアメリカ側のホストファミリーに病院につとめている人がいたので用意してもらえました(感謝)。 でも本来は生徒が計画するって話だったので、最小限のことだけ用意。

この三週間を通してわかったこと:ドイツで行事に遅れて行ってはいけない。 僕ドア番してたんですが集合時間の6時にはほとんど集まってました。

パーティーの始まりに生徒全員でOSK全体でがんばって練習したAn der Nordseeküsteを歌うことに。 アメリカ人の方はテキストの内容が意味不明というか馬鹿すぎて(それは確かにそうだ)歌い始めた最初の頃若干文句も出てたんですけど、結局最近はノリノリになってました。 ホントはそんときのビデオも撮ったんですけど、小さくするのとかロゴとか入れる方法忘れたんでそのうちアップします。 実際ホストファミリーも歌自体はちゃんと知ってたみたいなんですけど歌ってはくれませんでした。 (ま、ドイツ人そんなに歌うまくないから別にいいですけど)。 でも一緒に手はたたいてくれたんで良かったかな。

食べ物も生徒の方で用意。 日本人はカレー(ちなみに日本で出るカレーは本当に日本にしかない)を作って大好評でした。 アメリカ人の方は買ってきたクッキーですかね。

準備の方はミユの家でごはんとか炊いてたみたいなんですが、連絡がうまくとれてなかったみたいで若干ホストの側が慌てふためいてたようです。 まあ日本人の普通の高校生がドイツに行く時点で、そういうことは起こりうるだろうし、そもそも高校生が料理まで自ら用意するって言うコンセプトが相当大変だったかもしれない。

そしてこの一年で、どういうものを作ればいいかもきっと学ぶことであろう。 例えば既に発生した例だと、のりこが家で辛ラーメンを家で作ったら、においで文句が出たのと、ラーメンをすする音で文句が出たそうです。 あと、みそ汁とかだと味が薄すぎてドイツだと結構不評です。 基本的に日本の伝統料理とかだと薄すぎる気がする。

その後のりも配ってたんですが、それも不評だったようです(せっかくキールで買ったのに)。

実は先週初めて生徒たちドイツ語の数字練習したんですよ。 (これが意外と面倒くさかったりする。 ちなみにこれも使って、先週の金曜日に買い物行ってきました。 8月15日の書き込み参照) さて、どういう風に今回のお別れパーティーで使えるでしょう? 正解(笑)はビンゴ。 これがついでに言うと今日の授業の集中力ゼロだった理由のようです 笑。 (たしかにがんばってなんかのカードに数字を書き込んでいるのは見た。)

アメリカ人の出し物は演説(?)。 一人一人台詞を言っていってもらった訳ですが、なんか手元の紙切れを読んでたのは気になった。 アメリカ人の方と結局あまり話をすることはなかったので、そっちの方のホストファミリーがどういう風に思っていたのかよくわからないんですが、街で時々あった子たちに関してはよくドイツ人と歩いてたので、うまく行ってたんじゃないかと思います。 実際のところ、僕個人としてはアメリカ人の子供を生徒にもつのは最初の方結構抵抗あったんですが(うるさいからな 笑)、やってみたらマジでオープンでフレンドリーないい子ばかりだったので、お別れパーティーもやるのも楽しめました。

日本人の方はここ何日か、今日の発表のために最近の歌に合わせて踊ってました。 でも今日の朝「ダンスマジ嫌だわ〜」との声が・・・。 一日中既に緊張してたみたいなんですが、本番になったら日本人の間ですごい緊迫感。 大丈夫なのだろうか? と、思ってたらそれなりにちゃんとやってました。 ただ、ミス(?)の度に内部の方から「ミスった」とか「あ、ごめん」とか台詞が聞こえてたんで、多分ドイツ人の方では「?」って感じだったんじゃないですかね 笑。 ドイツってできないようなことの発表でも普通にできるふりして発表するって言うのが通例なんですよね。 逆に僕がフランスでこの前プレゼンの発表したとき「ホントなんでも知ってるような話し方するよね」って同僚の女の子にすごい嫌み言われたんで、フランスですらちょっと自信なさめぐらいで話をするのがいいぐらいに思われてるんで、ヨーロッパ全体でどうっていう話はできないんですけど、とりあえずドイツにいる間、ちゃんとそういう風にはなせるようになるといいですね(日本でそういう話し方したら反感買いそう)。 そして、日本のポップカルチャーってフランスではめっちゃ人気あるんですけど(というかありすぎ・・・)、ドイツだと微妙です。 でもやっぱりドイツ人の人たち喜んでるみたいな感じでした。

ただ、ダンスが終わった後アンコールの声が(ちなみに言い出したのはおなじみのサラらしい)。 別にドイツの場合アンコールの声がかかろうとかかるまいと別に無視して終わらせてもいいんですけど、生徒の方はそういうこと知らなくて(先に言っておけば良かった)すっごく困った展開に 笑。 5分ぐらい話し合ったところで話の収集のために僕が飛び込んで全体に「終わりまーす」ってアナウンスしようと思ったんですが、なぜかとなりのトトロを歌うことに(と、いうわけで僕は沈黙)。 きっと生徒にとっては新鮮な経験であったことであろう。

と、いう感じのお別れパーティーでした。 準備段階でのストレスとは別に、結局の所結構楽しめました。 僕が恐れていた涙のお別れパーティーは避けられました。 明日が最終日です・・・

8月22日、金曜日

最後の日はまるで、普通の日のように見えつつも、空気の密度だけがいつもの数倍にふくれあがったようでした。 試験の前とかの感じですかね。 あと僕にとってもはやおなじみになりつつある空港でも、ときどきこんな感じであたかも周りにいる人たちが呼吸をしていないかのような気持ちになることがあるんですけどどうでしょう。

昼食前、ユリアが出発。 生徒たちもユリアのことは大好きだったし、僕も僕自身協力的ではなかったんで、あまり生意気なことは言えないんですが、教師としてすごく尊敬できる人だと思ってます。

と、いうわけで昼食後は僕一人で受け持ち。 別にもはや何も言うこととかなかったんですが、とりあえず教室の片付けから。 教室のあらゆるところに貼ってあったポスターですが、意外とみんなもっていってくれるって話になったんで、ほとんど捨てずにすみました。 10年前どうしたかよく覚えてないんですが、僕のもとには当時のものは何も残ってないです。(残念)

僕とハナが食器を片付けている間に、ミユを中心に教室の片付けもしておいてくれたようです (ありがとう)。 と、いうわけで戻ってきてみたら本格的にやることなし。 全員の連絡先だけ書いてもらいました。

教室を出たところで、サプライズのプレゼント。 メッセージを書いてくれた写真と、ぬいぐるみ(笑)とたくさんのカード。 オフィスに飾ろう。

この三週間、50セント罰金でたまったお金でアイスを買いにいきました。 多分僕の罰金額が一番多かったんですが、それでもみんないくらかは払ってて全部で8ユーロ50セントぐらいになってました。 ちょうど一人アイス一つずつ。

僕の生徒と過ごす最後のひとときは、ハナからの電話で突然打ち切られることになり、一人一人ドイツ式に抱きしめた後、出発。

ちょうど僕が初めてドイツに来た日と同じように、空は曇り。 僕らはまた、2015年の7月2日に会います。 今度は違う場所で。

Viel Spaß.

エピローグ、十年目に寄せて

僕が最初にドイツに降り立ったのは2004年7月23日。 成田から経由地のフランクフルト、さらにそこからデュッセルドルフに飛び、ホストに迎えてもらってOSKの開催地ヴェルメルスキルヒェンへ。 ちょうどここの生徒が言っていたように、一週目は恐ろしいほどに長く、残りはあっという間に過ぎていった。

あれから十年、基本的に過去に耽ったりしない僕が初めてあの頃の自分を見に行こうと思い、YFUのコースに応募した。 そういった意味では、僕は教師でもなんでもなく、ただ「ドイツに行く決意をした日本の高校生を観察しにきた人」というだけの話だったのだが、生徒の方はそんなこと気にもせず先生として慕ってくれた。 でもそれ以上に、OSKの教える側につくのには別の意味での抵抗もあった。

ドイツのYFUにだけあるOSKというのは、あの頃も、今も、僕はものすごく矛盾した存在だと思っている。 第一に、ドイツの文化を見るために、生徒たちはわざわざ1年間くるにもかかわらず、敢えてこの3週間でそれを教えようとすること。 でもそれよりなにより、「生徒たちが同じような間違いをしないようにする」とうたっていろいろ練習しても、実はなんの解決策も提示していない、ということ・・・。 そう、どっちみちこれがあろうがなかろうが、きっと同じことなのかもしれない。 このメンタリティーは、例えば8月11日にやった氷山モデルにも現れていて、「一つの文化で見える部分より、見えない部分の方が圧倒的に多い」と説明しつつ、「じゃあどうすればいいのか」という疑問には答えない。 見えないんだから答えようもない。

結局のところ、外国人がその土地の文化にとけ込むというのは簡単にできるものではなく、ましてや理論だけで固められただけのような3週間のこのコースでは、はっきり何も変わらないと言っても言い過ぎではないかもしれない。

では、どっちみち結果が同じなら、やらなくてもいい、そういうことだろうか?

ドイツの歴史の授業では、20世紀初頭から終戦までを重点的にやり、主に第二次世界大戦の始まりが詳しく話し合われる。 要するに、「もし自分がヴェルサイユ体制のときのドイツの首相だったら、第二次世界大戦が始まらないようにするために、いったい何ができただろう?」などという疑問に答えようとしているのだろう。 おそらく、この議論に答えはない。 どっちみち避けられなかっただろうことはほとんど明白だろう。

それでもドイツは「解決できない」と決して言わずに、延々と議論を続ける。 そういった意味で、僕は少なくともこのドイツの「解決策はないかもしれない。それでも議論は続ける」という精神面は伝えられのかもしれない。

ただ、僕のそんな憂いとは裏腹に、久々に見た日本の高校生は優秀で、明朗快活だった。 彼らが毎日成長していくのを3週間見ていただけで僕は「ひょっとすると彼らなら・・・」と思うことも何度かあった。

僕はこれまでの人生で後悔するようなことはほとんどなかったし、これからの歩む道も現実的にはっきり見えている。 しかし、ドイツの高校留学ははっきり言って、僕の人生の中では闇で、自分の理想に少しも届かなかった。 それが悔しくて、留学自体を延長し、それでもたどり着けなかった目標を達成するために、ドイツの大学に戻った。

ただ、自分の理想に近づけたかどうかを別とすれば、楽しかったことは事実だ。 それでいて、やはり学ぶことは多くある。 それできっと良かったんだろう、と今は思う。

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1年に260日太陽が見えない国、ドイツ。 ここフズムで、僕は何度か海にも行ってみた。

確かにフランスのギラギラに輝く太陽と、青く無限に広がる空のもと、きれいな海と、パラソルの似合う砂浜をもつニースやマルセイユなども爽快だ。

でも僕は、この少しぼやけた灰色の空の下、誰もいない静かな海岸でぽつりと座っていると、気づいたら満ち潮であがってきた波が僕の足に触れるたびに、海が「そんなに頑張らなくていいんだよ」と、優しく言ってくれているような気持ちになる。

それは、ドイツが僕に教えてくれた落ち着きで、どこか僕にとってのドイツを象徴している。

きっとつらい経験もたくさんすることだろう。 あきらめようと思うこともあるかもしれない。 ゆっくり、ゆっくり進んでほしい。

僕は、期待しているから