OSK 2019 vers. カッセル

さて今年も夏がやってきた。

ドイツで暮らし始めてからもう何年も経ってて、うちのボスなんか僕がどこの国の人なのか最近まであんまりちゃんとわかってなかったってぐらいなのに、どういうわけだか今に至るまで、ドイツ人の「で、今年の休暇はどこに行くの?」という会話についていけないところがある。 いやいや君達、もうナショナルジオグラフィックを見て遠くの国に憧れる時代は終わったんだから、もう別に海外旅行なんかわざわざ行かなくていいでしょ?と思うのは僕だけなんだろうか。 まあ強いていうなら、最近はやりの「経験を買う」というような休暇を取ってみてもいいかもしれない、と思うのだが、それでいうならやっぱりタジキスタンみたいな国でちゃんと生活してみたいし、それなりに有意義なこともやってみたいと思う。 ただ、そうなるとやはり長期滞在とかいうことになり、今の仕事は一度やめなきゃならないということになるんだろうけど、今の仕事はもう金曜が終わる頃には月曜が来るのが楽しみなくらい毎日楽しすぎて、どう考えてもヒョイっと投げ出せるような内容ではないのである。 「とりあえず2週間ぐらい滞在してみればいいじゃん」ぐらいのことをあっさり言ってくる輩も出てくるわけだが、最近の温暖化ブームとかをみてると、やはり2週間ぐらいの余興のためにわざわざタジキスタンまで飛んで行って、どう考えても人類の役にこれっぽっちも立たないような滞在を僕がしてみたところで、それに見合うような屁理屈が浮かんでくるわけでもない。

と、まあたかが休暇でこれほどの葛藤ができるほど暇だな、と思えるような事態が毎年夏になるとくるわけである。

それとは別に、今年の6月初めに、慢性的に人手不足に悩むYFUから声がかかり、OSKの教師選出セミナーに呼ばれたわけだが、やはり最終的に人手不足になっていたため、他の教師たちがほぼ全員大学の学生とかなのをよそに、僕は博士課程を取ってから三年も経ってから再びOSKを担当することになった。 コートダジュールやアイスランドに休暇に行く同僚に「カッセルに行く」というのがどれだけ説明に困るか想像してもらいたいものである。

まあなんにせよ、今年の夏の予定が決まったことは微笑ましい。 まだ始まってすらいないのに、ずいぶん充実した夏を過ごした気分になってくるものである。

OSKとは

というわけで今年の夏OSKに参加するということは書いたのだが、そもそもOSKとは何?という話である。 簡単に説明すると、YFUという団体を使って毎年一定数の高校生が全世界に行き、1年間ホームステイをすることになっているのだが、ドイツの場合1年間のホームステイの始まりにドイツ政府が支払うオリエンテーションコースが用意されているわけである。 おそらくドイツについて3週間のコースと聞くと、ドイツ語の入門コースかなんかだと思う人が多いと思うのだが、実はこのコース内容がかなり深く、課題によってははっきり言って教えてる僕の側さえ「なんでこんなことするんだろ」と思うようなこともあったりするわけである。

なんにせよその内容に関してここで哲学してても仕方ないので、いきなり本題に飛び込んでみよう

2019/08/19 初日・共同朝ごはん

月曜日、朝。 僕は教師陣の集合時間の8時ぴったりについたわけなんだけれど、やはり当然のごとく他二人はすでにハイハイって感じで校門の前で待っていて、なおかつホストファミリーと留学生の集合時間の9時を待たずして、すでに8時ぐらいには半分ぐらい集まり、9時にはほとんど全員集まりむしろ若干白け始めていたというドイツならではの状況になっていた。 さすがドイツである。 僕はむしろ、どう考えても「チャリって何?」ってぐらいに作られてるカッセルの中を「セリヌンティウス!」ってぐらいに猛ダッシュで走ってきたのに、ついてみたらちゃんと時間内だったのにセリヌンティウスは殺されてて僕も殺されたってぐらいの気分である。

タイトルにも書いた通り、OSKの初日はホストファミリーも含めた朝ごはんから始まるのだが、今日は見事に写真を撮るのを忘れてしまった。 もう本当に日本人失格である。

留学生の方は予想通りかなり静かにしていて、こちらから話しかけてみないとどうしようもないので、とりあえずドイツ語がほぼ伝わらないことを知りつつも、とにかくひたすらドイツ語で話しかけてみた。 僕が断固としてドイツ語しか話さないのをみて、むしろドイツ人の方がビビっていたぐらいである。

あまりにやりすぎたせいか、ドイツ人には3回ぐらい僕がドイツ人なのか日本人なのか聞かれてしまった。 そのうち一回は、あまりに日本人だと信じられなかったせいか、まずどこ出身なのか聞かれ、片親ぐらいはドイツ人なのか聞かれ、やはり最終的に僕が日本人なのにしっくりこなかった様子である。 外見というのも不思議なもので、当然僕は100パーセント日本人なのだが、どうやら人の行動というのもかなり影響してくるらしく、僕のことをハーフぐらいだと思う人はそれなりにいるようである。 まあ、別にどうでもいいけど。

朝ごはんの後、一度校内をレーナ(主催者)の案内で周り、その後YFUならではのエナジャイザーを、全校から見える中庭で披露して、もうホントに日本人一体何しにきたんだろうっていう派手なスタートをかました末に、最初の授業。 何より僕としては全体の雰囲気が掴みたかったので、とりあえずオープンに話してもらって、割と受身に聞いてただけなのだが、やはり11人もいるとかなりムラが出てくるもので、すっごい話す人とすっごい話さない人とすっごいなんもしない僕が共生しているという、セルジオレオーネの映画でにでもなりそうなバラバラさを演出していた。 この3週間でこのグループがどういう風に発展していくか楽しみだ。

とりあえずお役所的なルールづくりと、どうやらあまり現実味のわかない3週間後の目標を立ててもらって、最後にタイムマシーンと題したこの1年間を振り返る課題をやってもらった。 ようするに、ドイツに行く、と決めた瞬間からこの課題をやっている瞬間までをいくつかのセクションに区切り、それぞれにどういう風に感じたかを書く、という課題だったのだけれども、これがOSK最初のトリッキーな課題で、「なんでこんなことするんですか」的な質問が飛び出してきそうな瞬間なわけである。

と、思ったら意外や意外、みんな静かに色々書いてくれて、しかも僕が渡したA4の紙ががっつり埋まっていくではないか、と。 まあこういうのはだいたいみんな他の人がやってるのを似たようにやるんだろうから、全員が全員そう、ということもないのかもしれないけど、とにかく全体としてはすごく真面目にやってくれるようである。

ちなみに今日、YFUからきていると思っていた、文房具が実は一切来ていなかったということが判明し、かなりギリギリの授業内容になってしまった。 まあ僕は間に合ったからいいけど、明日からの授業に間に合うように色々用意しておかないと・・・。

夜、カッセル出身で現在デュッセルドルフに住むプロのビオラ奏者のミリアムが偶然カッセルに帰ってきていて、偶然昔ミリアムが入っていたオーケストラが創立50周年記念のコンサートをやる、ということだったのでついて行ってみた。 曲目は謎のトロンボーン協奏曲とマーラーの3番。 はっきり言って「創立50周年、みなさん来ないでください」とでも言いたいようなよくわからないプログラムである。

とまあそんな感じで初日は終了。 がっつり疲れた。

2019/08/20 家族

留学生活で非常に強い心の支えになるのも、いちばんの問題になるのも、ホストファミリーである。 当然それほど重要な存在であることは間違いなく、それだけに、内容的に事実上初日の今日のテーマは「家族」である。

まず最初に、「家族」にちなんだキーワードを次々出していってもらったところ「親」とか「兄弟」とか「リビングルーム」みたいなものが次々出てきた。 昨日割と静かだったことに対して随分発展したようである。 そもそも最初からそれほど心配はしていなかったが、やはりはっきりとドイツ式の「適当に発言して」というやり方がちゃんと通じてくれたのは嬉しいことである。

ただ、割と客観的な事実が多く飛出す中、もっと情緒的なこと、例えば「安心感」や「連帯感」みたいな概念はなかなか出てこなかった。 やはりそういった白黒の明暗がつきにくいような答えは、ピンとこないのかもしれない。 その辺はちょっとずつ慣れていってもらおう。

だいぶみんなが元気になっていた今日、話題が脱線する場面がいくつかあり、そのたびに僕の顔色を伺う様子が何度か見られたけれど、はっきりいって僕からすれば、自由に脱線してくれて構わないのである。 確かに普通の授業のカリキュラムに「脱線する」といったようなことはないだろう。 けれども、考えてみてほしい。 「脱線する」ということは今やっている内容から話が発展する、ということであって、ある意味連想的に話が続いていってくれるなら、むしろその方が効率よく次々話し合いの内容が濃くなっていくかもしれないのである。 例えば家族の話をしていて、今日の朝あった家族のエピソードが出てきてくれるなら、仮にそれが僕の予定していた内容と直接被らなかったとしても、意義のあるディスカッションはできるはずだろう。 逆に脱線の仕方があまりにとてつもないのであれば、授業の内容の方に問題があるのかもしれない。 その場合、脱線する側に問題があるのではなく、脱線させている僕の方に問題があることになる。 だから僕の選択肢は、脱線を拾うか、そもそも授業内容について考える、ということであって、脱線している側がどうしていようと、こちらから圧力をかけることにあまり意義がないわけである。

でも、それ以上に実は僕には思い入れがある。

「優秀な人材」って何だろう、って本気で考えた人はどれだけいるだろうか。 例えば僕の専門分野、理論物理では20世紀初頭に発表された一般相対性理論と量子力学以来、100年ほどの間、はっきりとした進歩はしていない。 正直なところ、コンピューターの性能が上がってきてくれたおかげで、すでに当時わかっていた複雑な計算の答えが出せるようになった、というぐらいのところである。 それでもコンピューターのスピードが毎年2倍ぐらいに上がっていてくれていたような90年代ぐらいまでの時代は、何となく毎年それっぽい結果がちゃんと出せていた。 いま、もはや家庭のコンピューターが数GHzに上がってから何年経つだろう。 どうやらこれ以上コンピューターの性能が上がる、ということはないらしい。 じゃあ物理学なんてやってもしょうがないのか? と思うかもしれない。 そうではない。

今から約15年前、ミレニアム懸賞問題のうちの一つ、ポアンカレ予想が証明されたことを覚えている人はいるだろうか。 これはトポロジーと呼ばれる数学の中心的な分野の問題を、微分幾何学、特に物理学の中心的な分野である熱力学の理論を使って解いたことで有名である。 要するに、頭の固かった数学家たちは、トポロジーの分野を出られずに行き詰まっていたところ、物理学の知識のある専門家に解かれてしまった、ということなのである。 このほかにも、例えば物理や数学で重要な、人工知能の分野におけるベクトル空間の発想、具体的には双対ベクトル空間(これについては後々他の話題で書くと思う)と呼ばれる概念は、数学よりも先に哲学で扱われていたらしい。 僕自身、哲学のドクターの友人が人間の認識についての抽象的な理論について語ってくれるまで、まさか哲学の分野で物理の最先端の概念が扱われているとは思わなかった。

人間の知性というものは学問の分野を超えて繋がっているもので、そしてその繋がりが、次の発見を生んでくれるかもしれない。 この100年の人類の歩みがそれを証明してくれている。 だからこそ、「脱線する」ということの意味をみんなにも深く考えてみてほしい。 その脱線こそ、次の大発見につながるかもしれないから。

さて、僕こそ今ここで大幅に脱線しているわけだが、授業の後半で、いろいろな家族の形態についても話し合った。 ただ、これはYFUから言われているから一応話しているだけで、実際のところ、親が二人とも父親であろうが、片親の家庭であろうが、再婚家庭であろうが、日本人は大体そんなことを審理するようなことはないため、若干時間の無駄な気もする。

僕の授業の後は、オリバーのドイツ語授業。 まあぱっと見わかると思うけれど、このシーンはこのシーンを撮るためだけにポーズを取ってもらっただけである。 おいおいもっとまともなカメラ目線にしろよ。

放課後、携帯のプリペイドカードのチャージを買いにユズキとイロハと街の中心街へ。 ついでにアイスも奢ってあげたのだけれども、これはえこひいきにあたるのだろうか。 まあ別に街であった全員にアイス買ってあげてもいいけど。 でもそんなこと宣言したら次々に全員に会いそうな気がする・・・。

ちなみに全然関係ないけど今名前覚えるのに非常に苦労しております。 オリバーの方は初日に全員覚えたらしく、もう今日はスラスラ名前言えていたんだけれども、僕の方は何と言っても高校の時に付き合ってた女の子が自分のクラスメートだったことも知らなかったぐらいの鈍感ぶりだったもので、卒業までクラスに誰がいたのかはっきり知らなかったぐらいなんだけれども、その時の怠惰が今になって跳ね返ってきているんだと思う。 ちゃんと覚えよう、ていうかあれだ、覚える努力をしよう・・・。

2019/08/21 コミュニケーション

本当は今日の予定は「学校」だったんだけれども、レーナ曰く学校がテーマの日は学校を見せてくれる、ということらしく、残念ながら今日だと都合が悪い、と言うことだったらしいので学校はパス。 そして明日の予定はオリエンテーションラリーだったんだけれども、来週の水曜にオリバーが丸ごと一日いないことを考慮して、その日に丸ごと一日使ってオリエンテーションラリーをすることにしたので、それもパス。 最終的に今週の金曜にやる予定だった「コミュニケーション」をやることになった。 一番融通がきくところにしわ寄せがくるのはいいんだけど、もっと先に言えよ、って

まずはスタートから:YFUのセミナーの時にバルンガとか言うゲームを紹介してくれてた子がいて、要するにこのゲーム、グループ内でサイコロを振って、出た目によって点数がもらえて、最後に点を比べて勝者を決めて、勝った人を他のグループの勝者と交換する(って言うか勝者が時計回りに次のグループに移る)って言う単純なゲームなんだけれども、非常に重要なことにグループごとのルールが違って、なおかつ最初にルールの紙は渡すんだけれども、当然グループがシャッフルする時点ではその紙は回収していて、なおかつ口でのコミュニケーションはとってはいけない、と言うゲームで、まあ要するに勝者さんたちはルール違うことがわかるんだろうけど、口で会話せずに意思疎通しなさいよ、と言うゲームなわけである。 わかっていただけただろうか。

なんにせよゲームはやってもらって、がっつり「あれ?ルールが違う」と言うところにも気づいてもらえて、なおかつがっつり順応してももらえた。

次に、「今日の朝トイレが爆発した」とか「朝起きたら屋根の上にハムスターがいた」とか割と謎の文章が載った発言を表すメモと、「怒り」とか「情熱的」とかの感情を表すメモをテーブルの上に裏向きにおいて、それぞれのカテゴリーから一枚ずつ引いてもらい、引いた「発言」を同じく引いた「感情」で言ってもらう、と言う、発言と感情が合わないととてつもなくシュールな場面になる趣味レーションをやってみた。 当然、こう言う時に限って発言と感情が非常に噛み合わないため、「きっとこう言う場面なんだね」と色々想像を含ませながらやってくれだけでなく、なんだか妙にウケてくれて、頼みもしていなかったのにもう一周やってくれた。

次に、セレクティブ・アテンションのテストをやってもらって、やっぱり予想通りの結果になってくれて(やったことない人はリンク先のビデオを観てみてほしい)、要するに「表現したことが全て伝わるわけではない」、と言う話をして、最後に、そもそも人の表現能力がどれだけ限られているか、と言うことを見てもらうために、ランダムな図形(上の写真参照)を三つ、代表者に言葉だけで説明してもらい、他の人に書き写してもらった。 当然写真を見ている人には形がすぐわかるのだが、説明する本人は相当の苦労なのである。 ちなみに曲線だらけの恐竜(?)の絵は、「目で見ればこんなに簡単な図形でも、言葉で表現しようとすると不可能のになるんだよ」ぐらいの感じで最初から僕も誰かがやってくれるとも思っていなかったのだが、ちゃんとアヤカが挑戦してくれて、しかもみんな結構ちゃんと写しとれていた。 意外なところで頑張ってくれるものである 笑

放課後、オリバーの授業の間に僕は一人家に一度帰ってから、街の中心街に戻り、カッセルの散策に出た。 何と言っても来週の水曜日にオリエンテーションラリーがあるので、そのためにグーグルで検索できないような情報を探さなければならないのである。 と、歩き回っていたらOSKのボーイズ達に道端でばったり会った。 ホストファミリーは、留学生達が家に公共交通機関を使って帰ってこれないことを非常に心配していたのだが、大人達が思っている以上にずっと高校生は行動力があるものらしい。 まあ、僕もそう思ってたけど。

2019/08/22 友人関係

昨日も書いた通り、今日は本来だったらオリエンテーションラリーの予定だったのだけれども、オリバーの都合のため延期になったので、色々組み替えて本来来週の月曜に予定されていた「友人関係」をやることにした。 まずは「自宅に誘う」とか「お金を貸す」などの人間関係に関する行動を「知り合い」「友人」「親友」のカテゴリーに分けてもらうことに。 まずまずみんなの反応もドイツ人と同じようなもんだな、という感じだったけれど、どうやら自宅に誘うことに関しては、親が友達のことを知っている、というのが意外だったらしい。 どうやらみんな親がいない時に友達を家に誘う、というのが普通なんだそうだ。 まあ僕の日本の実家ではそういう意味ではドイツ的だったけれど、とにかくそういうものなんだろう。

実際、僕としては、そんなことはどうでもよく、というか次の話題の「麻薬・アルコール」の反応の方がよっぽど気になっていた。 僕が例として挙げたのが、次の文章である。

幸子さんがホストファミリーの家に来てから2ヶ月経ちました。最初の頃は人見知りも多かったのですが、少し仲良くなった友達が自宅の誕生日パーティーに誘ってくれて、大喜びで参加しました。

夜の12時、誕生日になった瞬間に合わせてみんなでゼクトを飲むことになったのですが、幸子さんはお酒を飲んだことがありません。だけど友達はみんな平気な顔で飲んでいます。その場の雰囲気を潰さないためにも、一口飲んでみました。体がボーッと温かくなって来ます。グラスを飲み干した時にはふらふらして来ました。とりあえず、新鮮な空気を吸いにベランダに出てみると、隣でセバスチャンがタバコを吸っています。

「どうしたんだ?気分悪いのか?」とセバスチャンが聞いて来ます。「よくわかんない、ゼクトのせい?」と、幸子さんが答えると、「あーそうなんだ。まあ気分転換にタバコでも吸いなよ」と言ってタバコを渡して来たので、恐る恐る半分ぐらい吸ってみると、とてつもなく気分が悪くなり、トイレに駆け込んで吐いてしまいました。どうやらこの気持ち悪さはすぐには収まりそうになさそうです。

さて、このセバスチャンのタバコには、まずまず間違いなく大麻が入っているのだが、それは別として、とりあえずタバコを吸うかどうか聞いてみたところ、全員吸わないとのこと。 勧められても吸わないらしい。 当然麻薬も絶対断る、とのこと。

まあそれは、確かに僕が聞きたかった答え、というか最初から「お酒もタバコも麻薬もやるつもりです」なんて留学生がいるとも思ってなかったし、そんな留学生がいたら困る、ぐらいに思っていたから、それで全然構わないんだけれども、ちょっと考えてみてほしいのが、いくらフィクションとはいえ、例えば太宰治の人間失格にしろ、ドストエフスキーの罪と罰にしろ、ヘルマンヘッセの車輪の下にしろ、人というのは堕ちていくときはまず一歩踏み外し、もう一歩踏み外し、どんどん堕ちていくというものではないだろうか。 確かに、日本のように全く最初から誰にも少しも認めない、というやり方も、それがうまくいっているうちは正しいだろう。 ただ、問題なのは、日本の先生たちがいうような「麻薬は一度やったらもうやめられない」というのは嘘ってことなのである。 そして、それをドイツも含め、ヨーロッパの人たちは知っているから、割と普通と思えるような人も、時々嗜む程度に麻薬をやっていたりするから「じゃあ大丈夫かも」と思って日本人でも一歩目を踏み出したりしてしまうのである。 むしろ「日本で騙されていた」ぐらいに思うこともあるぐらいかもしれない。

だから、僕がいう「麻薬をやるか」というのは、一歩目を踏み出すか、という問題じゃなく「ちゃんと自分の境界線を引けるかい?」という質問であって、「自分は絶対麻薬はやらない、だからその先のことは考えない」というのはナシ、というのが言いたかったのである。 (そして当然一歩目も踏み出してはダメである)。

この話は、ここで終わった。 ただ、僕の中では、みんなに直接言えなかった続きがある。

2007年の終わり頃、大学に入った直後で、まだ友達もちゃんといなかった僕に、突然話しかけてきた、後々大親友になるエドワードがいた。 当時、YFUで培った僕のドイツ語力は抜群で、大学の他の留学生など少しも比較にならなかったが、僕の内面はやはり割と日本人的で、ドイツの友達を作るのにはいまだに苦労していた、というか日本人的な付き合いができるような友達ばかりだった。 それでもいいと言えばよかったのだが、当然、新入生歓迎パーティーなど行ってみてもあまりどうしていいかよくわからず、どうもしっくりこないままの生活が続いていたような頃だった。

勉強以外の全てのことが推奨されていたような家庭に育った僕に、あの頃特にリミットなどなく、エドワードととにかくめちゃめちゃやって回った。 数学棟のパーティーで倒れるまでビールを飲み、その勢いで物理棟の池に飛び込み、ビスマルクタワーの上で夜を明かし、次の日フェルビンドゥング(合衆国で言うところのFraternity)でまた延々と飲み続け、そのままディスコに行き、朝起きたら公園のベンチで寝ていた、なんてこともあった。

ドイツ語が抜群であることと、ドイツ人らしく話すことが違い、さらにドイツで生活することと、ドイツ人らしく生活することが違うことに気づいた頃だった。 毎日死ぬほどきつかった大学の勉強とは裏腹に、日々の生活が飛躍的に良くなっていくことと、毎日がとてつもなく楽しくなっていくことをはっきりと感じ始めたのもこの頃だった。

そうしているうちに、大学にはラテン系の学生が通うことがわかり、彼らが積極的に色々なパーティーを計画することから、そっちの方にも行ってみることにした。 ラテン系の学生は、数が多いせいかその中だけで生活できることが多いらしく、ドイツ語を全く学ばない、ということもかなり多い。 そのため、向こうがスペイン語なりイタリア語なりで話しかけてくるのを、僕は「バカかこいつら?ドイツではドイツ語話せよ。」とか思いながら流していたのだが、そのうち段々に内容がわかるようになってきて、向こうがスペイン語なりイタリア語なりで話しかけてくるのを、僕はドイツ語で返す、というのが日常になり始めていた。

僕がその効果にはっきり気づいたのは、フランスから日本に自転車で帰った時に通った、イタリアにいた時である。 イタリア語など、習ったこともない。 ただ、イタリアで英語が通じないことは割とすぐにわかり、半ばコミュニケーションを全体的に諦め始めていた矢先、ぼーっと自転車を漕ぎながら「そう言えばイタリア人の留学生こんなこと言ってたな」とか思いながら色々なフレーズをイタリア語で考えてみると、実はほとんどのことが思い浮かぶことがわかった。 半信半疑で、話したこともないイタリア語をイタリア人に話してみたら、やはり通じた、と言うかとにかく場は収まった、と言った感じになった。

後々、スペイン語でも同じことがわかり、いまだにスペイン語圏に一度も行ったことがないのに、スラスラスペイン語が出てくるという、YFUの頃だったら顎が外れるぐらい驚きそうな状況になっていた。

でも、よくよく考えてみると、フランス語もそうだった。 あの時は、居酒屋かなんかに行った後に、泥酔したままよくわからないうちに寝てて、起きたらフランス人の女の子が横で寝てて、結果的にその子と話しているうちにフランス語ができるようになっていたんだった。

僕はドイツで麻薬はやらなかった。 でも、やらなかったのは、単純にやる機会がなかったから、と言う理由だけだったのかもしれない。 その後、移り住んだフランスで、いわば予防接種程度にマリファナを吸い、同じく予防接種程度に、アフガニスタンの国境近くでアヘンを吸った。 マリファナも、アヘンも、仮に僕の人生に再登場しても、もうやらないだろう。

これが、僕のアルコールと麻薬に関するストーリーである。 僕は、決して口が裂けても「アルコールがなければ、エドワードとの日々も、僕のスペイン語もイタリア語もフランス語もなかった」なんてことは言えない。 そしてそうやった自分が少しも誇らしいとは思わないし、絶対他の道もあったと思う。

ただ、今の僕ができた道中に、確かに無限の破茶滅茶があり、結果的に客観的な事実として、今の僕のドイツ語とスペイン語とイタリア語とフランス語の能力と、アルコールと麻薬に対する知識があるのも、否定できない。

後の判断は、みんなに任せよう。 昨日も書いた通り、きっと大人が思うより、みんなは自分で判断できるものだろう、と僕は思う。 僕のやり方をどう判断するかは、自分で決めればいい。 ただ、僕にそういう人生があり、今こうである、ということだけ知ってくれればそれでいい。

さて、今日の授業はこの後割とどうでもいい内容が続き、最後にボードゲーム。 日本ではあまりボードゲームなど馴染みがないと思うけれど、こっちでは家族や友達と家でやるだけでなく、意外と居酒屋とかにもボードゲームが置いてあったりする。 特に、あまりドイツ語ができなくてもちゃんとできるゲームもあるから、みんなでそれぞれに好きなのを見てくれれば、今後の参考になるだろう。

2019/08/23 文化

僕が小さかった頃、「マジカル頭脳パワー」とか言うホントにあの頃の世相を反映した間抜けな名前のテレビ番組があり、その中で「マジカルバナナ」とか言う同じく小学生が考え出したような名前のコーナーがあって、リズムに合わせて「バナナと言ったら黄色、黄色と言ったらレモン」みたいに順番に連想ゲームみたいに言っていく、とてつもなく安上がりなゲームだったんだけれども、そんな感じで今日、授業の始まりに「文化と言ったら何?」と放り込んでみた。

Dornstetten-p01 crop文化と言ったら、建物、食べ物、服、宗教、などなど次々出てきてくれた。 流石にみんな毎日色々回っているようで、建物なら建物で、ちゃんとFachwerkhaus(右の写真参照)みたいに、ちゃんとドイツならではの建物も出てきてくれた。

次に、アルバトロス文化の動画をみてもらい、感想を言ってもらうことに。 もしこの文章を読んでいる人の中で、ビデオの存在を知らない人がいたら、リンク先の動画を(1分ちょっとのところまで)先に見ていただきたいのだが、要するにこの動画、男尊女卑のように見えて、実は女尊男卑なんですって言うオチなんだけれども、要するにアルバトロス島では地球が神聖で、男性は汚れているため大地を触れることが許されないっていうのと、男性は毒味のために最初に一口女性が食べるものを口に入れる、と言うことになっているらしい。 「見た目で単純に判断してはいけません」って言う、よくある話である。

続いて、ドイツ人の気質について少し話し合った後、ドイツにある日本の単語について聞いてみた。 ちゃんとウィキペディアにはドイツ語で使われている日本語由来の単語と言うページがあり、約30単語あるわけだけれども、そのうち15単語当てたらアイス、と言うクイズ形式にしてみた。 残念ながら全員10単語すら当てられなかったわけだけれども、このページにある単語は、ドイツ人だったら本当に誰でも知っている単語ばかりである。 まあ、神風や過労死みたいな不名誉な単語もちゃんとあるわけだけれども。

さて、日本の政治ではよく「日本の文化にそぐわない」的な発言をすることがよくある。 ちなみにグーグルで単純に「日本の文化にそぐわない」と検索してみたら、ちゃんと衆議院の憲法調査委員会なるところのページが引っかかってくれた。

文化ってなんだろう。 例えば日本は、ご飯を箸で食べる国で、ドイツは、ナイフとフォークで食べる国である。 それはそれぞれの国の食文化であり、それぞれの国の歴史を反映しているいい例だろう。 ただ、それは日本でナイフとフォークを使っていけない、ということではなく、ドイツで箸を使ってはいけない、ということでもない。 文化を考える上で、留学生に期待されているのは、自分の国や、相手の国の倫理を否定することではなく、やり方の違いを観察し、それを相互理解につなげていく、と言うことである。 「文化」という言葉を政治的に、そして倫理的にハイジャックすることがあってはならない。 そういう意味を込めて、みんなに次の文章の倫理的な部分を考えてもらった。

ある若い既婚者の女性がいます。夫は仕事で忙しく、家で一緒に過ごすこともままなりません。ある日、夫が仕事でいない間に、女性は川の反対側に住む愛人のところで一晩過ごしてしまいます。次の日、夫が仕事から戻る前に、橋を渡って家に帰らなければならないのですが、橋にナイフを持った発狂者がうろついていて渡れません。近くの渡し舟の舟人に事情を説明し、川の反対側まで乗せてもらえるよう頼んでみましたが、舟人はお金を受け取らずには仕事はしないといいます。女性にはお金がありません。仕方なく女性は愛人のところに戻り、お金を貸してくれるよう頼みますが、愛人は特に何も説明することなく断ります。途方にくれた女性は、近くに住む、かつて女性に好意を寄せていた男性の友人のところにお金を借りに行きますが、男性は自分の愛情を受け入れなかった女性に対するかつての絶望から、お金を貸すことを拒否します。女性は再び舟人のところに戻り事情を説明しますが、舟人は同じ要求を繰り返すだけです。最後に女性は、自力で橋を渡ろうとし、発狂者に殺されました。

この話の登場人物は、既婚者の女性、その夫、愛人、舟人、片思いの友人に発狂者である。 ちなみに、厳密に法律上の話をすると、全員無罪ということになる。 みんなに出した課題は、この登場人物を倫理的に罪が重い方から順番に並べてほしい、ということだったのだが、僕のこの課題の意図は、誰が誰より悪いということではなく、それぞれに問題があり、その問題は日本だからとかドイツだからとかそういう話ではない、ということが言いたかったのである。

と、思っていたらガクから非常に筋の通った論点が出された: 「ドイツでは、労働者がちゃんと家庭を大切にできるようになっているのだから、夫はちゃんとそういう生活をするべきだった。」 と、いうわけで、日本でもそうあるべきであることは別として、日本だからとかドイツだからとかいう議論が全くなかった、というわけでもなかった。

とまあこんな感じでちゃんとディスカッションはうまくいってくれた。 最後に一応念のために言っておくけれども、「ディスコのノリについていけない」というのは文化の差でみんなが解決策を探せばいいけれども、「不倫をする」というのは倫理的な問題であって、みんなが解決する問題ではない(といってもそもそも不倫をするような状況には陥らないと思うけど)というようなことがわかってくれればそれでいい。

と、いうわけで今日で今週はおしまい。 もっとちゃんと写真を撮りたいんだけれども、どうもあんまりちゃんと撮ってはいけないらしく、オリバーの写真ばかりになってしまってます。 って言ってもちゃんとそこそこみんな写ってるけどね。

授業の終わりに、今週の雰囲気をポスターにスマイリーで書いてもらった。 家族、自由時間、授業、食べ物で分けたんだけれども、食べ物以外は全く文句なしとのこと。 まあ僕らがいるまで「授業クソ」とはなかなか言い出しにくいだろうけど。 ちなみに僕も、「この学校お金なさすぎでしょ」ってぐらいのお昼ご飯ばっかり出てくるから、確かに食べ物に関しては不満かもしれない。 まあ別に普段からそんなに食べ物にこだわるわけじゃないからいいけど。

週末

週末! いくらクラッシュコースとはいえ、ちゃんと週末はやってくるのである。 特に、週末といえばドイツの家族と過ごせる時間でもあるので、逆に非常に貴重であるとも言える。 僕はがっつり溜まってた仕事を当然やらないで、土曜日は家で一日延々とチェロを弾いていた。 「え、チェロなんか持ってきてたの?」 そう、今回チェロとギターと自転車と三週間分の荷物を持って、デュッセルドルフからドラゴンクエストしてきたわけなんだけれども、なんでチェロを持ってきたかって言うと、何年か前に僕の友達がうちにとてつもなく安いバイオリンを預けて行って、それがいつまでたっても回収されないから、「じゃあせっかくだから自分で弾いてみよう」と思って夜に研究室でギコギコやってた時期があったわけなんだけれども、その繋がりで去年「研究室のクリスマスパーティーでバイオリンを弾け」って言われ、それはどう考えても僕がやったら橋の上でウロウロしだすぐらいの発狂者が出る可能性が高いからまずい、と思い、せめて小さい頃弾いてたチェロならどうでしょうか、って言う話になって、今年のクリスマスパーティーに向けて練習しているわけである。 忍たま乱太郎が「やりたいことやったもん勝ち」って言ったけど、やりたくないことやったもんはどうなるんだろう。

そして夜、フリードリヒ・エーベルト通りという僕がデュッセルドルフで住む通りと同じ名前の通りでお祭り騒ぎになっていたので行ってみた。 僕は知り合いもいないからとにかく一人で行って、「はい、軽油満タンね」って言いたくなりそうなジントニックを5ユーロで飲まされ、却ってジントニックが飲みたくなり、他の出店で7ユーロでもう一杯飲んでいた。 一杯目のジントニックにはなぜかライムの代わりにキュウリが入っていると言う、もしジェームズボンドが見てたらその場で暗殺されそうなレシピ。 ちなみに全然関係ないけど、ヨーロッパの街は重要な通りの名前で政治的な思想がわかるもんで、フリードリヒ・エーベルト(ワイマール共和国の最初の大統領)みたいにドイツ社会党の人が町の重要な通りの名前についている場合、やはり左寄りのことが多い。 一応調べてみたら2017年の選挙では社会党が圧勝していた。 ちなみにデュッセルドルフの場合、確かに駅前の主要な通りがフリードリヒ・エーベルト通りなのだが、そのすぐ隣にコンラート・アデナウアー広場と言うドイツキリスト教民主連盟の政治家の名前もちゃんとあったりして、どっちつかずだったりする。 今はデュッセルドルフはがっつり右寄りである。

日曜日はハイキング。 と、言うわけで早くも週末が終わった。

2019/08/26 適合

本来なら今日のテーマ「適合」はOSKのど真ん中、要するに今週の水曜日に来てたんだけれども、何度も何度も書いてる通り、授業の入れ替えが何度も入ってきてて、今日やることになった。 何が言いたいか、と言うと、この「適合」と言うテーマはOSKの中心的テーマで、とにかく非常に突っかかりにくいテーマなのである。

まあ何はともあれ実は昨日はかえでの誕生日で、僕は町のパン屋さんで全員分のケーキをわざわざ朝早く(と言っても10時だけど)に出てきて買ってきた。 パン屋さんで「先に注文するか11時まで待ってくれたらもっといいケーキがあったのに」とか言われたんだけれども、今日の暑さの中を次のパン屋さんまで歩いて行く気にもならなくて、もうその場で即買いした。 まあきっとみんなも今後他にケーキを食べる機会があるだろう。

さて、今日のイントロに使ったアルファとベータとか言うシミュレーションがあるんだけれども、ざらっと説明すると、まずメンバーがアルファって言うグループとベータって言うグループに分かれて、それぞれ別の惑星で生活することになっている。 ベータは何らかの理由で宇宙を遭難していて、アルファの住む惑星に不時着し、なんとかして食べ物を分けてもらう、って言うバックグラウンド。 それで、アルファっていうのは「本来は他人に優しいけど自分からは話しかけなくて、挨拶の仕方はハグしかなく、正しい挨拶をしない人、要するにハグしてこない人とは話さない」っていう設定になってて、逆にベータは「挨拶はハローといい、基本的にボディーコンタクトは取らない」という設定になっている。 そしてこの設定は最初にグループ分けした時にお互いにバレないように読んでもらって、アルファには時々ハグとかしてもらいながらぐるぐる歩き回ってもらって、最終的にベータが食べ物をもらえたら終了、っていうシミュレーション。

んで、結局今日のシミュレーションではベータはがっちり餓死しちゃったんだけれども、設定を説明する側にとって難しいのが、このベータの設定っていうのが別にルールじゃなくて、慣習上そうしているだけ、ていうのをわかってもらえないところだったりする。 だから、最終的に「ハグすればよかったんだよ」って僕もいうんだけれども、僕自身そう言っておきながらちょっと腑に落ちないところがある 笑。

次に、同じような話題で二人一組でペアになってもらい、一人が話し方の態度が書かれた紙、例えば「自分が話すときは必ず3秒待ってから話し始める」とか「全く笑わない」とかを引いて、もう一人がそれを感じとって真似する、というゲーム(?)をやってもらった。 別にどんな話題でもよかったんだけれども、どうでもいい話題、例えば「好きなジブリの映画」とか「サイゼリアのメニュー」とかの話題が書かれた紙も用意しておいた。

内容的にかなり難しかったものあったようで、例えば上に書いた「3秒待ってから話し始める」は全くわからない、という感じになってた。 どうもこういうのは強い奴は強いようで、例えば楓とかはこのクイズを作った本人の僕ですら予想もついてないうちにあっさりと当てるぐらいのことを次々やってのけていた。 大したものである。 途中から、どういう態度なのかを当てるのが主体みたいになってて、真似する方はあるようなようなないようなになってたんだけど、まあ本人たちは楽しんでたみたいだからいいや。

でも、実際のところ、それは「人が学ぶ」ということの難しさの裏返しみたいな部分もある。

今日の記事の最初の方に今日のテーマがOSKの中心的部分である、というようなことは書いた。 そして、このOSKというのは全体として、今日やったことのように、何のためにやっているのかよくわからない、と一見思う部分がよくある。 例えば二日目に話した氷山モデル。 「異国の実態は見える部分はほんの一部で、本当に大きな部分は実は外からは見えない」という説明をしておきながら、「じゃあどうすればいいのか」といった説明はしない。 その真意というのは何だろう?

理解する、って何だろう。 僕が勤めるデュッセルドルフのマックスプランク研究所というのは、世界の最先端の研究をやっていて、例えば日本だと東大とか京大とかから研究者がくるような場所で、やはりそういう場所で働いていると、この世に「天才」なるものは存在せず、人間の知性というのはやはり人の細かい理解の積み重ねであることがよくわかる。 わかりやすい例として、ルービックキューブを挙げてみよう。 パッケージにはIQ130以上、要するに日本の高校生風にいうと偏差値80以上だったら解ける、と書いてある。 実際偏差値80っていうのは僕からするとガリ勉くんたちがやるようなことだからあまり関係ないような気もするが、まあ単純な出現頻度の問題で、ルービックキューブが解ける人、というのはそれだけ珍しい、ということなんだろう。

さて、ほとんどの人がルービックキューブを解けないのはいいのだが、ここで面白いのが、実はルービックキューブを解けるか解けないか、というのはほとんどの場合知能に差があるのではなく、「ルービックキューブを解く」という定義に差があるのである。 どういうことか。 おそらく、初めてルービックキューブを触った瞬間から、多くの人は一つ一つの動きに意味があり、それを理解してルービックキューブを解いている、と思っているのではないだろうか。

それが、違うのである。

まず、極端な話をすると、ルービックキューブを無限回ランダムに回し続ければ、ルービックキューブが完成することはわかっていただけるだろう。 実は、ルービックキューブを完成させるのはそれとあまり変わらないのである。 詳しく言うと、ルービックキューブを同じ方向に4回回転させれば、どの方向に回転させたかに関わらず、同じ状態に戻ってくることはわかりやすいと思う。 そして、上下左右に適当に動かしてみると、同じ状態ではなくても、それに近い状態に戻ってくることがある。 ルービックキューブを解く、と言うのは、これを観察し、応用していく。 もっと簡単に言うと、動かし方の組み合わせを暗記するのである。

「なんだ、結局暗記か」と思ったかもしれない。 ただ、暗記することと理解すること、と言うのは意外にそれほど離れてはいなかったりする。

別の例を挙げてみよう。 例えば、これを読んでいるあなたも、小学生の頃にビー玉なりりんごなりを使ったりして足し算を理解し、例えば2+6も4+4も、ビー玉を2個と6個、もしくは4個と4個置いてどちらも8になることを確認しただろう。

では、200+600は幾つになるだろう? 「当然800」と思われたのではないだろうか。

では、それがなぜ「当然」なのか説明できるだろうか? 「当然」と思ったからには同じ理屈でいくはずで、そう言う意味ではビー玉を200個と600個用意して、一つずつ数えていかなければならないはずである。

しかし、実際には、2+6を習ったずっと後のどこかの段階で、200も600も、100を2つと6つにまとめただけのこと、と言う理屈を習い、それを元に、2+6の計算に当てはめて200+600を計算しているはずではないだろうか。

その理屈を普通の人は小さかった頃に一度理解しているだろう。 ただ、200+600を計算するときに、その理屈を考える人、と言うのはいないはずだ。

要するに、「理解」がいつの間にか「暗記」に変わっているのである。

僕ら人類というのはどうやら応用を繰り返すことで、理解したことを事実として認識することに長けているようで、そのプロセスが完成すると、そこにどう至ったかということまで忘れてしまうらしい。 言語だって同じだ、僕らはいつか日本語の仕組みも、そして文字も理解したはずなのに、もう使えなかったことのことはわからない。 だから例えば、日本語の響きがどうなのかなんてことはもうわからないんだ。 同じように僕は、もうドイツ語が外国人の耳にどう響くかということはわからない。 僕がドイツ語を聞けば、響きに関わらず、その内容しかわからないから。

そうやって、「知らないこと」を想像するのは難しい。 ドイツ語を話せない人が、ドイツ語を話せる、ということが想像しにくいように。 でも、僕らには「一度学んだこと」を振り返り、そのプロセスをはっきり意識して考える、ということはできるかもしれない。 それを応用することによって、ドイツでドイツ人になる、ということにつながるかもしれない。

それをするのが、OSKなのである。 だから、僕らはここで、敢えて当然だと思うことや、それ自体何にも繋がらなさそうなことをやったりするんだ。

さて、話はずいぶん飛んだが、今日の授業の終わりに、一応ドイツのディスカッションのやり方もさらっておいた。 まあ実際のところ、留学生が積極的にディスカッションに参加することはないだろうから、どちらかというとやり方の話と、何より「ディベートしなさい」的な作文の書き方を説明しておいた。 あまり日本的じゃないせいか、そういうのは苦手な人が多いんだけど、やってみると簡単だから、ぜひ挑戦してほしい。

オリバーの授業では、今日テストをやったらしい。 このクソ暑い中よくやるよ。

その間に、僕がカフェテリアに行くと、ロシア人のおっちゃんが「もう今日の残りだから」と言ってコーヒーをタダで出してくれた。 お礼に、というわけじゃないけど、ギターを持って行って、旧ソの曲を何曲か歌ってみた。 みんなあまり知らないと思うが、実は旧ソっていうのは意外と音楽なり映画なりで、それなりの作品を出してて、むしろこれは社会主義国、要するに金儲けのためじゃなかったからできた芸術なんじゃないか、って思うのがいくつかあったりする。 で、それは当然ロシア人たちは知っているから、今でも当時の映画なり音楽なりが好きだし、外国で誰も旧ソの芸術を知らないことを残念がっているようである。 なんにせよ、僕は当然色々知っているので、色々歌ってたら、かなり喜んでいた 笑。

放課後、ネネとアルディ(ドイツのスーパー)に行く約束をしていて、約束場所の市庁舎前に行ったら、ちゃっかり結構何人か集まってて、がっつりみんなアイスを期待しているというすごい罠。 まあちゃんと買ってあげたけど 笑。 ちなみに他のみんなは美味しいって言って食べてたけど、僕がとった生姜アイスは本当に生姜を冷やしただけ、って感じのアイスだった。 も一つ罠にかかった気分である。

2019/08/27 学校

ずいぶん回り回って、ついに今日やっと「学校」ができた。 上にも理由は書いたんだけれども、要するにこのOSKが開かれている学校で直接授業を受けさせてくれる、というのが今日までできなかったってことなんだけれども、今日に決まったのが昨日で、僕もずいぶんドタバタに対応させられたものである。 しかも今日はオリバーが電車で急遽ベルリンに帰らなくちゃいけない、ってことになって僕の授業も午後に回されるし。

受けさせてもらう授業は数学で、僕の授業のど真ん中だったから、まず普通にいつものクラスでドイツの学校のシステムを説明した。 ドイツの学校っていうのはまず小学校が4年間で、その後、職業訓練校なり、大学進学コースなりに分かれるんだけれども、要するに小学校4年生の時点で将来の道が基本的に決まるようになっていて、あまり融通がきかないようになっている。 要するに、日本の場合中学卒業の時点で進路がある程度決められるわけだけれども、それがドイツだと5年ほど早いわけである。 当然、小学校4年生ではっきり将来の進路がわかっている、と言う場合は少なくて、特に最近は完全に移民の子供が職業訓練校、ドイツの土着民(?先住民族?)が大学進学コースに進む、って言う構造が完全にできている感じである。 まあそれでもちゃんと成績で決まるため、はっきり人種差別とも言えないんだろうけれども。

日本と大きく違うのが、日本の受験制度に代表されるレベル分けで、要するにドイツにはギムナジウム(大学進学のための高校)、簡単に言うと日本の普通の高校ごとにレベルの差がないのである。 唯一の差は得意分野とかで、例えば今OSKの開かれているフリードリヒスギムナジウムでは音楽が得意分野らしく、他の学校では理数系が強かったりとか言語系が強かったりとか、それぞれ特徴があるのである。 だから基本的にはみんな地域の学校に通うことになっている。 ちなみに、一応「日本の学校群制度みたいなもの」という話はしてみたものの、そもそも学校群制度が何のことかわからなかったらしく、そっちの説明の方をする方が長引いた。 確かによくよく考えてみると、今の留学生の親は、おそらく高度経済成長の末期ぐらいに生まれた人たちなんだろうから、親の世代ですら学校群制度なんて何のことかわからないかもしれない・・・。

ドイツの学校と日本の学校がどう言う風に違うか、と言う話をした時に、制服の話になったんだけれども、11人のうち4人学校に制服がない、と言う話になって、「そんなに制服ないんだー」と思ったら、実は4人同じ高校だった、と言うことが発覚した。 どうやら豊田高専と言うところが、熱心に留学を勧めているようである。 ん?と思ってよくよく調べてみると、2016年にOSKをやった時にも豊田高専と言うところからきている生徒がいた。 愛知県の人多いなーとは思っていたが、全然気づかなかった。

さて、これが終わったところで、数学の授業に参加。

一応黒板の内容も書き写してもらう、って言うことでノートも持って行ってもらったんだけれども、意外や意外、板書は一切なく、すべてコンピューターを使っての授業だった。 時代も随分変わったものである。 課題も普通の内容だったのだが、この「普通の内容」と言うのはなかなか想像しにくいもので、異常に難しい内容を想像していたみたいだけど、やってみたらあっさりできたって言う感じだった。 まあ数学の問題なんてそんなもんである。

その後、実際に僕が通っていたカイザーハインリヒ高校の9年生から10年生、日本で言うところの中学3年から高校1年生でやるような経済の問題を解いてもらった。 需要と供給の問題で、それなりに文章題だったので、プリントを配った時は若干ビビっていたようなところがあったんだけれども、実際にやってみたらやはり解けた、と言う感じになった。

僕は留学期間中、ほとんど何一つとして課題をやらなかった。 「できなかった」からじゃない。 単純に、「できない」と思い込んだ自分が、最初から手を出さなかっただけのことだった。 「やればできる」と、日本の大人はよく言うけれども、僕の中で、それは戦時中の竹槍作戦ぐらいの響きでしかなく、やってみても無理だと思っていた。 その間違いに気づいたのは、日本に帰った後に再びドイツに戻って大学に入った時で、その時になって、高校生の時の自分に限りなく失望した。

みんなには同じ間違いをして欲しくない。 本当に、心の底からそれが伝わっていてほしいと願っている。

ただ、僕も、自分が留学期間中にやっていたことが正しいことだと思っていたわけでもなかった。 だから、少なくとも課題はやらなくても、できるだけ多くのことを授業で取り入れようとは頑張っていたと思う。 数学にしろ、物理にしろ、やっている内容に意味がある、僕はドイツのそういうところが好きだった。

僕の通っていた都立町田高校というのは、良くも悪くも恐ろしく田舎の学校で、要するに地域の中学を卒業して、成績が真ん中より上だったら、まずまず地域の町田高校に行く、というような場所だった。 折しも学校群制度がとうの昔に崩壊し、就職氷河期も10年ほど続き、「競争社会」というのが新しい通常になっていた当時、町田高校のように偏差値という概念が存在しない、いわばタッチやスラムダンクに出てきそうな高校が東京にもあったのが不思議なくらいなのだが、とにかく町田高校というのは古代ギリシャの哲学を語る奴と、卒業したらカタギの世界に踏み込むしかないような奴が共存しているような場所だった。 そんな場所だったから、校内で落ちぶれても不良君達がさらに下にいてくれるし、トップを取ろうとしてもガリ勉くん達が譲ってくれない、というような構造がちゃんとできていた。

YFUからの帰国後、流石にドイツで英語教育を1年間受けたおかげで、僕の英語のレベルはかなり高く、僕は帰国後最初の模試で学年4位だった(僕にもかつて学年何位とかが重要だった時代があったんだ)。 ちなみに英語の学年トップは、合衆国からの帰国子女で、日本語が若干怪しい安藤くんだったので、それを除く通常日本人組では3位だったことになる。

「勉強したらバカになる」というのが口癖の親から育ったせいか、僕は勉強することに真剣になれず、それなりに問題集なりなんなりやってはみたものの、やはりガリ勉くん達のレベルにはついていけず、次の模試で7位、その次で11位と次々成績を落としていった。

もう、ダメだ。 どう足掻いてみてもこのガリ勉くん達には勝てない。

でも、ドイツの時は違った。 問題集なんてものは存在せず、ひたすら英語を使うような教育だった。 日本には日本のやり方がある、だから問題集もやり、イディオムを覚え、単語を暗記したりした。 でも、もういい、もうどうせガリ勉達に勝てないんだったら頑張らなくていい。 僕には英語さえできればいい。 きっとそうすれば最後にドイツが救ってくれる。

「きっとドイツが救ってくれる」というのは僕の中で一種の合言葉になった。 その後、問題集は一切やらなくなり、学校の課題も中途半端にやるようになった。 その代わり、僕は英語で本を読むようになった。 本を読むのは好きだったからだ。 そして、時々BBCでニュースなんかも聞いてみたりしてみた。 イギリスでやる討論なんかは、日本ともドイツとも違って新鮮だった。 カバンに入れたMP3プレーヤーを時々聞いたり、同じくカバンに入った本を、電車を待っている時とかに取り出して読む、というのは、問題集を机に向かって解いていた時と比べると、「勉強する」という概念が全く当てはまらないような自由だった。

その次の模試で、僕は学年2位になっていた。 当然一位は安藤くんである。

その時、初めて「学ぶ」ということの普遍性を理解した。 逆にいうと、日本も、本気で学ぼうとする人を罰するような国ではなかった。

文学は文学の美しさを語り、物理は自然界の理を説く。 学問にはそれぞれに崇高な目的があり、動機があり、そして何より魅力がある。 それを、問題集や参考書などの小手先だけの技でどうにかしようとしていた僕は愚かだった。

ただ、よくよく思えば、数学の西田先生も、英語のなんとか先生も、そう言っていた。 予備校も問題集もいらないんだと。 ただ、僕にそれを気づかせてくれたのはドイツだった。

その後、英語で順位を落とすことはなく、他の教科でも順々に同じ現象が起こり、高校卒業まで僕の成績は爆発的に伸びた。

日本には日本のやり方があるだろう。 でも、「物理ができないから予備校に行く」じゃダメなんだ。 「英語ができないから問題集をやる」じゃダメなんだ。 学問にはもっと高い理想があり、それを追わなきゃいけないんだ、と。 みんなにも、そのことに気づいて欲しい。 そう願うばかりである。

2019/08/28 オリエンテーションラリー

今日はオリが一日中いないため、完全に僕の授業になったんだけれども、当然一日授業やるほどの気力が僕にあるわけじゃなかったから、今日オリエンテーションラリーをやることにした。 簡単にいうと、僕が用意した問題を町中回って解く、という至極当たり前の説明になるんだけれども、特に電車のチケットの買い方だとか、どこの店に何があるだとかの生きるために必要な知識を学ぶ場所だったわけである。

Ost-Ampelmännchenこれを用意するために、今日まで毎日町中のいろんなところを放課後回っていたんだけれども、スマホとかでなんでもチェックできるような時代に、自力で回らなきゃいけない問題ばかり作るのもなかなか大変だった。 まあそれでも「プレーツェルの値段は」とか「ポストカードが買える場所は」とか色々用意して、ついでに「カッセルの歩行者信号は変わったところがあります、なんでしょう?」みたいに、現地の人に聞かなきゃ答えられないような問題も用意しておいた。 ちなみにカッセルの歩行者信号の何が違うのかというと、カッセルは西ドイツなのに東ドイツの歩行者信号(写真参考)を使っているのである。 これにはドイツ統一後にかなりの議論があって、基本的にはドイツ全土で西側の信号を使うことが最初に決まっていたわけなんだけれども、日本とほぼ同じデザインの西側の信号に対し、帽子をかぶった東側の信号の方が愛着がわく、という人がドイツ全土で多く、近年では逆に一度西側の信号を取り入れたけれどもやはり東側のに戻した、という街がいくつか出てきているわけなのである。 そしてその風潮がどうやら西側にも波及しているらしくて、カッセルでは西側なのに東側のを取り入れた、ってことらしい。

ラリーの問題は全問ドイツ語で書いたから、問題の確認を教室でしてから、行動開始。 僕は、監督責任とかもあるのかもしれないけど、まあそれとは関係なく一応同じように街に行って、いろんなところでコーヒーを飲んだりしていた。 所々みんなが道端のドイツ人に質問しているところとかを見て「おーすごい」とか思って写真を時々撮ってみたり、スタバに行って飲み物買ってあげたりとかしてたけど、とにかく授業をやるよりは随分楽な一日だった。

でも、せっかく奢るんだったらアイスが欲しかったのに、アイスが欲しいっていうグループがなかった。 残念。

昨日とかおとといみたいにがっつり暑かったってことはなかったんだけれど、やっぱりそれなりに蒸し暑かったから、僕は終了1時間ぐらい前に引き上げた。 こんな暑い中をみんなよく頑張ってくれたものである。

昼食後、答え合わせ。 実はそれぞれのグループに「ケバブ、北米系のファーストフード、イタリア料理、ドイツ料理、アラブ系料理」のどの店が一番多いか、っていう課題も出してあって、それぞれのグループに一つ選んでもらい、出来るだけ多くの写真を撮ってもらってて、結局どうやら北米系のファーストフードが一番多かったらしい。 実際誰も選ばなかったけど、僕的にはケバブが一番多いのではないかと思ってた。

最後に景品としてハリボーを1キロ分買っておいたんだけれども、ふたグループが同点で、どうやら結局全員で分けることにしたらしい。 まあ実際1キロとか多すぎるしね。

2019/08/29 YFU

YFUのOSKだから、一応YFUっていうセッションもあるんだけど、要するにYFUってどういう機関ですかっていうのと、この1年間がどういう流れになるか、という説明。 どういうふうな流れってほどプログラムがはっきり決まってるわけでもないんだけれど、大雑把にいうと、まずこのOSKが来週で終わったら、パーマネントファミリー(1年間の滞在を「パーマネント」と呼ぶYFUの時間感覚がすごいと思う)に移動し、来年の春ぐらいに中間セミナーがあって、七月ぐらいに帰りますよ、という感じになる。

BahnCard 25 (Vorderseite) 2015一応基本的には電車で移動することになっているのだが、もしどっちかのホストファミリーが車で送るなり迎えにきてくれるなりする場合には、車での移動も可、ということになっている。 まあそれも、確かにドイツの鉄道が平気で遅延することと、それにちなんで多くの場合乗り換えができないことを考えると、そうしたくなる気持ちもわかる。 写真に写っているのは、バーンカード25とかいうやつで、これを持っていると長距離の電車代が基本的に全て25パーセントオフになる。 これを持っていると超お得と考えるか、これを持っていないと超損と考えるかは人次第である。

そろそろOSKの終わりも近づいてきているから、マジメにパーマネントファミリーのところに移ったら、という話もしたんだけれども、現在のホストファミリーは当然のことながら、やはり3週間程度だとお客様扱いで、家事の手伝いもする必要はないし、週末はどこか連れて行ってくれるし、日本人の友達はいるし、成績の心配はしないでいいし、というのが、パーマネントに移ると、一気にバラバラバラッと無くなるわけである。 要するに、移動したら家族の一員として家事もやるし、放課後や週末のやることは自分で決めなきゃいけないし、友達は全員ドイツ人になるし、学校の授業も受けなきゃいけない、ということになる。 唯一変わらないのは日本人の先生には同じように連絡がつく、ってことぐらいだけど、僕のような楽天奔放主義者の人間に色々聞いてみたところで、ちゃんと面倒を見てくれる、というわけでもないかもしれない。 まあそんなわけで移動した直後は突如かなりきつい日々がやってくるわけだけど、それは当たり前だよ、というなんの助けにもならない話をしてみるのである。

次に旅行に行く時にどういう許可を取らなきゃいけないか、という話で、要するにYFUの側としては保険の問題が絡んでくるから、ちゃんと旅行に行く場合には行く前に連絡しなさい、というルールになっているわけである。 実はこれにも日本の親の許可書が必要、とかいう場合があって、日本の親が仮に全く何も許可していなかった場合、ホストと一緒であろうがなんだろうがどこにもいけない、ということになる。 全員分確認してみたらそういう人はいなかったけれど、例えば一人で他の街の友達のところに泊まりに行く、というのが日本の親に許可されていない、というケースはあった。 この場合、ホストの旅行許可書があってもなくても、旅行できないので注意が必要である。 同じ許可書の中に、危険なスポーツの許可のリストもあって、例えばリナの場合カヌーが日本の親に許可されてなかったから、明日のカヌー(明日実はレーナの企画でみんなでカヌーしに行くんだ)にも参加できない、という事態になってたため、急遽僕が許可書を作り、日本の親のところに送ってもらってサインをもらってもらい、それをYFUに転送した。 一応そういう裏技もアリ、ということになっているらしい。

一年の途中にある中間セミナーというのは、基本的にはOSKのような感じなんだけれども、一応それぞれに「車」だとか「音楽」だとかのテーマがあって、それに合わせて博物館の見学にも行ったりもする。 国ごとには分かれておらず、むしろYFUの側としてはいろんな国を混ぜようとするから、同じOSKの人同士で同じコースを選ぼうとすると、却って第一希望が落とされてしまうため、むしろ他の人にどこのコースにするか聞かないで選ぶのが重要である。 ちなみに僕は留学期間中、他の留学生との交流は完全に絶ってて、当然中間セミナーは自分で行き先を決めたわけなんだけれども、僕が選んだ中間セミナーで日本人が日本人のグループを作っているのは知りつつも、その日本人のグループとつるむのが嫌で、他の国の人たちとばかり過ごしていたら、その日本人たちから途轍もないイジメを受けた。 その後行ったハイデルベルクでの大学見学セミナーでも、同じようなことが起こって、なんだか日本人の凄まじい面を見たような気がしたが、僕の人生で後にも先にもイジメにあったのは、ドイツでのセミナーの時だけである。

今日の授業自体は1時間で終わって、後は自由時間。 最初っから予想していた通り、2週目に入って疲れがドバーッと出てきた感じで、どっちみちあんまり激しいことはやらないつもりだったけど、もうほんとにそれが目に見えてわかったから、今日はこのぐらいにしておいてよかった。 特に気温もあまり下がってこないから、暑さで疲れている、というところもあると思う。 写真はちなみにみんなが人狼ゲームをやっているところ。 ヨーロッパでは古いゲームって感じだけど、日本では最近流行ってきたようで、よく日本人で人狼ゲームやろうって話を聞くようになった。

お昼後、オリバーが「歌わないの?」と聞いてきた。 実は今年のOSKで歌おう、と思って用意していた曲は最初の頃に何度か歌って、今週も一度やったけれど、とにかくみんなが歌う気配がないので、僕としてはほぼ諦めモードになっている 笑。 これまでOSKを二回やってきたが、二回とも用意していた歌は最後にちゃんとみんなで歌えるようになっていた。 ただ、1回目のOSKはアメリカ人と合同OSKで、アメリカ人が超ノリノリだったって言うのと、2回目は、同じような合同OSKでヨーロッパ系の人が超ノリノリだったプラス語学コースの先生がウクレレを弾いてたから、僕のギターと合わせてガッツリ歌ってた、って言うのがあって、今回は若干状況が違う、とも言える。

僕はちなみに、一度宣言したことをやらないのはすっごい嫌いで、ドイツの大学に入ると言ったらドイツの大学に入るし、日本まで自転車で帰ると言ったら日本まで自転車で行くし、今年半ば間違いで登録してしまったケルンフルマラソンでもちゃんと走るはずだし、今年の研究室のクリスマスパーティーでは宣言通りシューベルトのアルペジョーネ・ソナタを弾くんだと思うけど、同時に人が嫌がることをやるのも、ものっすごい嫌いで、例えばフランスで講義をやった時も、やる気がない人が講義に来るのが嫌で、出席義務を廃止し(なんで大学のくせに出席義務があるんだよ!)、最終テストではカンニングを鷹揚と許している(物理を学びに大学に来てるのに、本人が何も学ばないことに困らないのであれば全然それでいいと思う)ぐらいだから、まあ確かに未達成感は残るけど、みんなにやりたくないことを押し付ける方が圧倒的に嫌だから、歌の方は諦めることにした。 ちなみにフランスは日本と同じように詰め込み教育の国で、大学というのは安定した職業に就くためのステップであり、安定した人生を歩むための最初のステージでしかないため、僕のように物理の美しさや理想を語るような人はうざったくてしょうがなかったに違いない。 僕も同じように、目を輝かせて話を聞いてくれるドイツの学生に対し、退屈そうに講義にくるフランス学生を見るのが嫌で、フランスの大学の講義は本当にいつも苦痛だった。 OSKと関係ないけど 笑。

2019/08/30 自由時間・インターネットの使い方

もうなんだか夏も終わるのにどうしてこんなに暑い日々が続くんでしょう?ってぐらいなかなかこの蒸し暑さが終わらなくて、今日とか自転車乗って行くの嫌だったんだけど、着いてみたら意外とみんな元気でよかった。 やっぱり金曜とかだとまたエネルギーが戻ってくるんだろうか。

今日のテーマは「自由時間・インターネットの使い方」ということで、まず二つ大きな円を書いてもらい、その中に日本での自由時間の使い方を活動別に円グラフ的に平日と休日で分けて書いてもらった。 最近はどうやら夜まで部活、というところは少ないらしくて、意外とみんな部活が円に占める割合が小さかった。 まあ僕の通っていた高校は定時制があったっていうのと、町田っていうのは夜になるとトトロが出てきそうな田舎のため、午後5時には引き揚げってことになってたけれども。

ネットの時間に関してはみんな割と正直だったのか、1日に1時間とか2時間とか5時間とかいう話が出てきた。 留学はYFUの情報によると320日なので、要するに1日5時間ネットしてたら年に1600時間になる、っていう話をして、時給1000円だったら160万円分になる、っていう話をしたんだけれど、そしたら「そういう仕事に就きたい」っていう全く別の話が出てきていた 笑。

授業中は言わなかったけど、僕の仕事がまさにそう、っていうかそれより何倍も稼いでるわけだけど、あまり普通の人に想像がつかないだけで、実際研究者なんてそんなものである。 簡単な話、みんなが休み時間に喜んでやってた人狼ゲームだって、実は最初は大学の心理学の研究に使われていたわけで、要するに人狼ゲームやって時給何千円ともらうようなのも研究者のやってることなわけである。 僕の場合、「勉強したらバカになる」が口癖の親の元、どういうわけかテレビゲームは全然よかったらしく、テトリスとかドラクエとかがっつり毎日やってたこともあったんだけれども、どういうわけか中学ぐらいの時にピタッとやらなくなり、大学に入ったら今度は物理のシミュレーションがテレビゲームみたいに面白くて、今の仕事に就いたわけである。 この世に自分のやってる仕事が嫌いな人がいること自体不思議でしょうがない。 ちなみに僕がどういう仕事をしているか、という話を簡単にすると、量子力学では原子の配置がわかればシュレーディンガー方程式っていうのを解くと、あらゆる原子のエネルギーなり原子に加わる力なりが計算できるんだけれども、実はそれで出せるエネルギーとかっていうのはまさにその原子の配置でのエネルギーしかわからなくて、要するに「じゃあ原子が移動したらどうなるのか」と言われるとまたゼロからやり直さなきゃいけなくなるわけである。 と、いうことで普通よくやるのが絶対零度での計算、要するに原子が全く動かない状態のエネルギーを計算して、それを現実問題と照らし合わせるわけだけれども、現実問題で絶対零度のことはまずまずないわけで、実際にはあらゆる原子の配置を考慮して計算し直さなければならない、という計算量が途方にくれるような内容をやっているのである。 これを、簡単な例えで説明すると、もしある人の月収が1万円だったら、その人の買うものっていうのはまずまずとにかく必要最低限のもの、例えばコメとかパンとかばっかり、っていうのがすぐ想像できるわけなんだけれども、逆に、月収が1億円だったらどうなるでしょう?と言われると、全く予想がつかなくなる、というのと同じような原理なわけである。 さらにいうと、全員月収1億円の世界だったらどういう風になるでしょう、となるとも一つ難しくなる。 要するに、人にお金が有り余っていたら何が起こるかわからない、っていうのと、物理で温度が高くなると原子がどう動くかわからないっていうのは似たような問題である、っていう話である。 「え?そんなこともわかってないの?」と思うかもしれない。 うん、そうなんだ。 学問っていうのはそんな程度のもんなんだ。

その後、ドイツでの理想の円グラフも書いてもらった。 でも、趣味がはっきりしている人以外は具体的な案がはっきり浮かぶ、っていうのもあまりないようで、「友達と過ごす」的なのが結構あったわけなんだけれども、これもOSK中ぐらいはまあこんな感じで曖昧でいいや、と思う。 なぜなら友人関係っていうのは、もう本当に極端なぐらいケースバイケースで、現地に行ってみないと全くわからない、っていうのと、あと多分リターニーの人とかの話を聞いているとすぐ友達ができるような気がしているんだと思うけれど、リターニーの人の話が誇張されているのか、内在的に誤解を生みやすいのかわからないが、友達を作るっていうのはみんなが思っているよりがっつり難しいことが多く、それにちゃんと気づいていない、っていう問題があったりするわけである。 だから、そんなところで僕が「もっと現実的に考えなさい」とか言ってみても意味がないわけで、とにかくこれでやってみてもらうしかない、っていうのが僕の本音でもある。

最後にケーススタディでいろんなエピソードを読んでもらって、それにどうしたらいいか、というのを考えてもらったんだけれども、なかなかそれぞれの問題の解決策もあまり具体的には浮かんでこないものである。 ただ、僕としてはどの問題がどのくらい現実的かっていうのも考えてもらいたくて、例えば日本のことをひたすら良く言う(逆にいうとドイツのことを悪く言っているように聞こえる)っていう話は、実は結構現実的で、相当数の留学生は一度くらいは愛国者になるようだ。 僕も高校留学の時は割と最初の頃にそういうこともあって、別に僕がその時言っていたことが間違っていた、というわけでもないんだけれど、実際言ってみたところで自分の生活が良くなるわけでもないし、むしろ学ぶことの弊害にしかならないから、まあ日本の方がいいこともあるだろうけど、そういうところはそういうもんだぐらいに思ってあっさり流してほしい、と思う。

お昼休み中、ちょうど今年の年鑑アルバムを作るために割といいカメラで校内のいろんなところで記念撮影をしているっていう話をしていて、ついで、っていうことで僕らの記念撮影もしてもらった。 ちなみに背景は今日のトップの写真のところなんだけど、この写真は僕のiPhoneで撮ったもので、プロフェッショナルなカメラで撮った写真は後日もらえるだろうと思う。

放課後、今日はレーナがボート(?僕はカヌーと呼んでたけど明らかにカヌーじゃない大きいボート)をやろうっていう話をしていて、みんなを連れてフリードリヒギムナジウムの所持するボートハウスの前のフルダ川でボートをやった。 僕はちなみにボートとか全然どうでも良くて、ひたすら泳ぎたかったんだけど、午後6時開始ってことでちょっと寒くなりつつあったのと、意外と川の流れが強くて、浮いてるだけだとどんどん流されていくってことから、あんまりちゃんと泳いでいられなかった。

がっつりアクティブなボーイズ達ももう着くなりすぐに水に飛び込んでくれていた。 もうなんか、若いってすごい。 ちなみに女の子の方はビキニを着るかどうかで、まず学校で議論になってて、結局誰も水の中に入らなかったみたい。 よくアジア人の女の子で、ビキニを着るかどうかっていうのが議論になってるけど、少なくとも男の子の方は女の子が何着てるかなんて全然みてないわけで、女の子同士で複雑な関係があるのかもしれないけど、僕はいつもそんなどうでもいい議論さっさと済ましちゃえばいいのに、と思う。 むしろ僕なんか、自分を基準に考えて別に誰がみてるわけでもないんだからいいやと思って二日とか三日連続で同じシャツを着てたりすると、女の子から「その服昨日も来てたよね」っていうツッコミが来たりして「え?なんで知ってんの?」とかいつも思うわけだけど、とにかく女の子は細部までちゃんと観察しているらしい。 と、いうわけでそういうツッコミを避けるために、一応毎日違う服着てるけど、もしそんなところまで気づかれてたら、もうホントにうちの母親が言うところの「驚きのサプライズ」である。

んでボーイズ達はちゃんといろんな飛び込み方を披露してくれた。 これはハート型を作ったまま飛び込むっていうシーンなんだけど、ジャンプしてる最中にハートは完全に崩れてた 笑。

最後に僕のボートの番も回ってきて、ぶっちゃけもうボートとかどうでも良くなってたんだけど、この時大幅に遅れて到着したカエデが泳ぎ始めてて、そしたら近くの橋から川に飛び込むかどうか、っていう話になって、僕に「飛び込んでいいですか」とか聞いてきてたんだけど、僕は「おいおいそういうのは聞かないでとにかくやるんだよ」と思いつつ、ダメとも言いたくなくて、とにかく半分責任逃れのためにボートに乗り込んだ。 しかもこれが見た目よりも意外と難しくて、流れに逆らうように進もうとするんだけど3分ぐらい頑張って漕ぎ続けて、全く同じ場所にいるってすごいやるせないエスカレーターを逆走してるような気分だった。

ボート後、もう8時半ぐらいになってたんだけど、僕は夕飯食べてなかったから、同じく夕飯食べてなかったカエデとチョウタロウと一緒にベトナム料理店へ。 そこでいろいろ話を聞けたんだけど、やっぱりOSK後への不安というか、「今のままでいいんだろうか」っていうのが垣間見えた気がした。 実際僕も、当時4週間もあったOSKが割と最初から最後まで嫌だった。 要するに、OSK自体はいいんだけど、とにかく日本人だけで平気でつるんでるっていう緊張感のなさが嫌で、ドイツきたんだからハードコアにドイツの生活にちゃんと変えたいと思いつつなんとなく流されている感じが気持ち悪かった。 でも実際のところ、その場その場を楽しめるっていうのも大切な能力で、例えばラテン系の人たちとかは真面目にやらなかったりするけど、それでもやっぱり陽気な気質のせいかホストファミリーや学校は喜んでくれるし、それなりに学ぶことも多いと思う。 そういう意味で、OSKっていうのはYFUの正規の10ヶ月の留学にくっついたおまけなんだから、それほどネガティブに考える必要もないとも思う。 でも、確かにこの3週間が終わったらビシッと生活を変えるだけの覚悟も必要なんだろうけど。

ベトナム料理の店に行く道の途中の通りで、なんだかよくわからんけど通りのお祭りみたいなのをやってて、本当は招待状がないと参加できないはずだったらしいんだけど、行ってみたら招待状なしでタダでワインやソフトドリンクがもらえた。 こういうのも、割とちいさな都市のカッセルだからできることのような気がする。 少なくともデュッセルドルフで、通りがかりに結構おいしいワインがタダで飲めることはないと思う。 んで、すでにベトナム料理店で3人でビール注文してたけど、僕とかえではそこでもガツガツワイン飲んで、近くにいたカッセルの地元民とも良く話せた。 まあそれにしてもこんな思いがけないシーンでも、二人ともちゃんとコミュニケーションがとれてたんだから大したものだと思う。

と、いうわけで2週目も終了。 もう早くもあと1週間である。 まあその前に週末の予定とかもちゃんと入ってるけど。

2019/09/01 週末

三年前のOSKまでは週末の遠足っていうのがあって、今日とか本来だったら遠足のはずで、僕自身別にYFUに言われてなくても遠足やってもいいって思ってたんだけど、ちゃんとみんな家族と予定が入ってたみたいだから、今日は結局何も僕自身計画することもなかった。 でも、それとは別にカッセルでは今日、一大イベントのカッセルオープンエアーコンサートっていうのがあって、フルダ川沿いのオランジェリーで、その名の通りオープンエアーコンサートが夕方開催された。 一応フィルハーモニーオーケストラだったんだけど、曲目はクラシックに限らず、映画音楽とかポップスとかも混ざってて、とにかく誰でも楽しめるようなプログラムになっていた。 当然ドイツ人のプログラムだから日本人はほとんど知らなかったみたいだけど。

コンサートが始まる7時30分より前に広大なオランジェリーの芝生の場所取りをするってことで、午後6時に集合ってなってたんだけど、僕は当然そういう場面で、そういうお役立ちなことはしなくて、がっつり家でダラダラしてたんだけれども、そしたらネネから「サムさん着きました?」っていうメッセージが来て、「うん、でも純粋な心の、いい子にしか姿が見えないの」って答えたら本当に着いてると思われて「あーミスったわー」って思ってたんだけど、まあ他の人は着いてるだろうし別にいいや、って思って、それから30分ぐらい経ってから家をでて、サブウェイで夕飯買ってから7時ぐらいに合流。 当然ちゃんと僕とオリバー以外みんなすでに着いてた 笑(場所取りありがとう)。

なんだか曲目は僕的にはちょっと中途半端で、もうちょい「これが聴きたい!」って感じの曲があったりしたら嬉しかったんだけど、まあこう言うところは雰囲気を味わうためにあるんだろうから別にそれでいいのかもしれない。 それに入場料とかないし。 と、言いつつ飲み食いは(強制ではないとはいえ)かなり高くて、330mlのビールが3ユーロ50セントと、通常の三倍ぐらいだろうか、まあ要するに入場料がない代わりに、そう言うところでお金取りますよ、って言うことの表れなんだろうと思うけど。 それで僕は当然ガツガツ飲んでたんだけど、僕の横でみんなはみんなでガツガツ飲んでて、しかも困ったことにみんなあんまりアルコールの経験がないから、「酔うってどんな感じですか?」とかその場で僕に聞いてて、「え?これもしなんかあったらどうすんだろ?」とか僕は思ってたんだけど、まあホストの人もいたことだし、別にいいか。

次の日、再びハイキング。 先週、みんなちゃんと予定入ってたし、今週末やることないって言ってた人もいなかったから、誰も誘わなかったんだけど、そしたらコンサートの後にカエデの親が突然、「明日カエデハイキング行くから」って言ってきて、さらに朝にチョウタロウから電話があって同じく参加するとのこと。 実はこのハイキングで世界遺産のヘラクレス像って言うところに行くつもりで、さらに毎週水曜と日曜にやってる水のパフォーマンスっていうのにギリギリで間に合わなく行く予定だったんだけど、二人が来ることによって水のパフォーマンスに間に合うように行かなきゃいけないのでは?っていうのが一瞬思いつたんだけど、予定変えるのも面倒だから別にいいや、と思ってまずまずパフォーマンスに間に合わない予定で行くことにした(そして結論から言うとやっぱり間に合わなかった)

路面電車の4番で最後の駅まで行って、そこからいきなり山登り。 まあ途中の道にビスマルクタワーっていうのがあって、そこからカッセルの街が一望できてよかった。 ちなみにこのビスマルクタワーっていうのは上にも一回ちょろっと書いたけど、多くの街にあって、だいたい街が展望できるような場所にあるんだけど、意外と現地の人でも知らないっていうことが多くあるから、ドイツの街を観光してみるときには、探してみると面白いかもしれない。

水のパフォーマンスに間に合わなかったって書いたけど、最後の方は間に合って、逆に間に合っちゃったせいで途轍もない人ごみに巻き込まれて却って大変だった。 来週の水曜も一応行く機会自体はあるけど別にいいや。

てな感じで週末は終了。 明日から最後の週が始まります。

2019/09/02 歴史

もう何年も前の話になるけど、中国に行った時の記事を書いてから、僕のホームページの政治的中立性みたいなのは完全に崩れてて、反戦平和主義の、おそらく今の日本だったら左翼と呼ばれるようなサイトになったけれど、何がどうであっても、絶対に僕の授業だけは中立でなくちゃならない、という思いから、「歴史」という授業であり、なおかつ日本との比較をしつつも、かなり頑張って中立的な授業を成り立たせてみた。

まず、最初にいくつかの写真をプリントに印刷して、ラリー形式で外の通行人に聞いてもらうことにした。 写真に写っている内容は主に第二次世界大戦と冷戦に関係するもので、例えばドイツ国会議事堂前の虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑や、東ドイツの庶民の車トラバントなどで、一般的なドイツ人だったら普通は知っている内容ばかりだったんだけれども、若干恐れていた通り、カッセルの人たちは知らなかったか、あまり答える気がなかったようである。 なんだかこういうところのが左寄りの街の嫌なところな気がする。

まあいいや、と思い、まず大雑把にドイツの歴史を説明した。 ドイツの歴史、と言ってもドイツが国として成り立ったのは割と最近のことで、最初はまずカール大帝後の神聖ローマ帝国があって、それがずーっと普仏戦争ぐらいまで続いて、ヴィルヘルム一世とビスマルクがプロイセンを統一して、第一次世界大戦で負けてワイマール体制ができたあたりで、今のドイツのような国ができたわけである。 それまではずっと小さい国の集まりで、場所によっては日本の市町村ぐらいのレベルで分かれてたりするから、地域ごとに、特に言語とかの分かれ方が半端ないわけである。 それに関してはお隣フランスがとても良い逆の例で、フランスは南北でほとんど方言の差がない、というか違うことはわかるけどせいぜい東京と名古屋の差ぐらいで、ドイツのように、場所によっては何を言っているか全然わからない、ってことは全くないわけである。

本当は、ヨーロッパの歴史でのスペインとかフランスとかイギリスとかイタリアの関係もすっごい色々説明したかったんだけど、あんまり僕が前に立って一人で説明してるのも授業体系としてやりたくなかったし、そもそも時間が限られてたから、この後二度の世界大戦を経験してドイツがパッと小さくなったことだけ説明してから、ドイツのそれぞれの建築様式を、写真を見て当ててもらった。

そして、次に割とコアな部分、「日本とドイツの何が違うか」という話をした。 書くまでもないかもしれないけれど、日本は歴史を全体的にやるのに対し、ドイツはナチスドイツを中心とした現代史をやり、あまり古代の話までやることはない。 日本のやり方でいい、と思っている人も多いかもしれない。 ただ、政治の右左に関係なく、第二次世界大戦が正しかった、という人はまずまずいないだろう。 では、僕の今日の授業で出した次の二つ質問に答えられる人はいるだろうか?

1941年の終わり頃、アジア不拡大方針を通せなかった第三次近衛内閣が潰れ、開戦をギリギリで防ぐために昭和天皇は東條英機を内閣総理大臣に任命し、その数ヶ月後、同じく開戦に最後まで反対した山本五十六の指揮の元、太平洋戦争が始まります。では、太平洋戦争を望んだのは誰でしょう?

今日は1937年の7月6日で、あなたは大日本帝国の内閣総理大臣です。どうしますか?

一応言っておくと、1937年7月6日というのは盧溝橋事件の前の日で、要するに日中戦争が始まる前の日である。 この時の首相も、国民に人気のあったとされる近衛文麿で、当然僕のこの文章を読んでいる人は、この4年後に太平洋戦争が始まり、さらにその4年後に東京大空襲、沖縄戦、広島長崎と続いて日本が焼け野原になった後、敗戦することを知っているわけだけれども、じゃあ果たしてもし僕らがあの場にいたとしたら何ができただろう? 仮に内閣総理大臣であったとしても何をしていいかわからないのではないだろうか? 況してや一国民として何ができたか、など議論する術すらないかもしれない。

次に、ドイツでヒットラーが独裁者になる前、要するに1933年までのナチスの得票率を見てもらった。 最後は大体33%、要するに国民の3人に1人がナチスに投票し、ヒットラーが独裁者になったわけである。 逆にいうと、独裁者なんてそんなものでなれる、ということになる。

最後に、日本のタイムラインを追ってみた。 大正デモクラシーというのは、今と同じような平和で自由な時代だったわけだけれども、まずそれが大正時代の真ん中らへん、要するに1915年あたりだと仮定してみる。 その10年後の1925年に治安維持法が制定される。 簡単にいうと、仮に2009年に平和であったとしても、2019年にはすでに治安維持法が成立しうる、ということになる。 さらに推し進めると、もし、今の留学生たちが1915年に生まれていた場合、その16年後、つまり今の留学生の年頃に満州事変が勃発。 で、僕がもし1915年に生まれていた場合、僕は今日本の焼け野原にいることになる。

これが歴史の恐ろしいところである。 戦争というのは誰が望んでいるわけでもなく起こり、政治家は誰が支持しているわけでもなく選ばれ、さらに平和はあっという間に崩れていく。 ドイツは二度の大戦を通じて、いかにその後の平和な社会というのが脆いか、ということを学び、いかにそれを持続させていくか、ということを学んだ。 それがドイツの歴史の授業の原点なわけである。

最後に、ラリーの答合わせをして終わり。 今日は涼しかったから、お昼ご飯の後に、外で卓球したりブランコ乗ったりした。 むしろ休憩時間に教室内にいるっていうのがドイツらしくないし、僕もあんまり健康に良くないだろって思ってたから、今日はちゃんと外に出れてよかった。

放課後、今日僕のホスト(そう、僕にも実はホストがいるわけである 笑)が夜いないってことで、夕飯どこで食べようか、って考えてたらちょうどいい具合にいろはとゆずきから連絡が来て、一緒に中心街のイタリア料理店に行った。 インド人が経営してるところだったんだけど、やはりナンの技術が応用できるせいか、なかなかの生地の出来だった。 ただ、二人の許可が降りなかったから写真はなし 笑

2019/09/03 政治

さて、今日は僕の中立性が諮られる第二弾、「政治」である。

まず最初に教室の四隅に「政治なんて大人のやること」「政治に積極的に参加している」「興味はあるけどよくわからない」「政治には興味がない」と書かれたプリントを貼って、みんなに思い想いのところに向かってもらった。 全然関係ないけどタイプミスで「興味はあるけどよくわからない」のプリントが「今日はあるけどよくわからない」とかいう色々想像が膨らむプリントに変わってて、そのまま教室に残ってるから、みんな自由に色々想像してくれればいい(ちゃんとタイプミスであることは説明した)。 あんまりちゃんと色々予想しないでこのパートをやったんだけれども、どうやら最近はやはり政治不信が続いているというか、やはり自民党一強状態がずーっと続いているせいか、あんまり政治に興味がない人が多いみたいである。

次に、bpb(政治的教育のための連邦本部)のサイトから食べ物なりエネルギー資源なりの写真がブワーっと描かれたページをもらってきて、それにちなんでどういうルールがあるか、みたいなことを聞いてみた。 例えばそこに描かれてた目玉焼きの絵だったら食品衛生法とか、あと生活保護だったら生活保護法などなど。 当然僕らの日常に関わってくる法律とかもたくさんあるわけである。

次に、「自分」と「政治家」(または先生)の間に2メートルぐらいの間隔をあけて、その間に「制服の導入」とか「大学授業料無料」とか描かれたプリントを、みんなの感覚に合うようにおいてもらった。 例えば、「いじめの防止」だったら割と「自分」の側で、「大学授業料無料」は「政治家」の側に置かれていた。

上にもすでに書いた通り、最近は政治離れが進んでいるためか、割と政治家が決めるようなことをどうにかする、っていう風潮もあんまり無いようで、「じゃあ何ができるでしょう?」と聞いてみても最初はイマイチピンとこない、って感じだったんだろうか。 でもまあテレビとかでやっぱり外国の話とかみてるせいか「デモ」とか「SNSに書き込む」とかちゃんとでてきてくれた。 ついでに「ボイコット」だの「ストライキ」だのもあるんだけれども、何にしても、暴力だけは使ってはいけない的なことをすっごい強調しておいた。 まあこれは、当然「暴力を使ってはいけない」っていう倫理的な問題もあるんだけれども、そもそも暴力で解決した問題がとてつもなく少ないっていう側面もある。 例えば、暴力が関わった革命みたいなものはたくさんあるんだけれども、歴史上、それで成功した例があるだろうか。 フランス革命なりイランのイスラム革命、それに今回のアラブの春に関しても、ほとんどの場合大失敗しているわけで、逆に暴力を使わなかったケース、例えばポルトガルのカーネーション革命、スペインのカルロス一世の民主化(これも革命と呼ぶんだろうか)、それにアラブの春で唯一成功したチュニジアなどは、ほとんど暴力が絡んでいない。 だから、単純にこれまでの歴史を顧みても、暴力なんて無意味なもんだ、っていう結論に至るわけである。

せっかく何が自分たちにできるか、というようなことを考えてもらったから、具体的にどうすればいいか、ということを考えてもらうために、黒板に張り出してあったテーマから一つ選んでもらって、ディベートしてもらうことにした。 みんなが選んだのは「制服の導入」。 今日は単純に賛成派、反対派、オーディエンスプラス司会者で、賛成派反対派の意見を言ってもらった後に、オーディエンスに質問してもらって、オーディエンスの多数決で終了。 ミクが司会で、ちゃんと制服の定義もがっつりやってくれた。 こういう「当たり前のことも指摘する」というのが日本人のあまりちゃんとできないところなんだけど、ちゃんとやってくれたから一安心。

議論の方も、僕が全く口を挟まなくても賛成意見、反対意見とちゃんとでて、オーディエンスの質問も投票もちゃんとうまくいってくれた。 ディスカッションの内容がどう、っていうのはどうでもよかったんだけど、とにかく日本であまりやらないようなディベートっていうのも、実は簡単なんだよ、っていうのが言いたくて、そしてそれもちゃんと伝わったと思う。 言語は確かに変わるけど、まあ逆に言えば言語しか変わらないので、とにかくやってみて欲しい。

今日OSKに来てから初めて卓球ができた。 むしろ今日まで毎日教室で昼休みを過ごしてて、ドイツ的にもおかしいし、僕的にも、あまりリフレッシュできない感じだったから、今日みたいにちゃんと外で昼休みできてよかった。

卓球のラケットは二つしかなかったんだけど、同時にみんなで一発芸大会みたいになってて、僕も僕の得意の片手の拍手を披露。 これ何が面白いのかよくわからないんだけど、とにかくウケるからいろんなところでやって回ってる。 ちなみに写真に写ってるのは、目の錯覚で腕がおかしい方向に交差してるように見えるトリックをオリバーが見抜けなくて、四苦八苦している様子。

夜、ミクとネネと一緒に、再びベトナム料理の店に行った。 「え?なんでまたベトナム料理なの?」と思った方に簡単に説明すると、前々回行った時は、あんまりちゃんとベトナム風の料理を注文しなくて、でもその時に他の人が注文していた料理が食べたくて、前回チョウタロウとカエデと行ったわけなんだけれども、そしたら今度がカエデが僕が注文したものを食べてしまう、というハプニングが発生して、もう一度どうしても戻ってこなければならない、という事態に陥ったわけである。 そして予想通りちゃんと美味しかった。 よかったよかった。

ベトナム料理の店にしたもう一つの理由は、実はベトナム料理の店の向かいが映画館で、そこが毎週火曜にオリジナルバージョン(他はドイツは全て吹き替えなんだ)の映画をやっていたらから、ちょうど夕飯と組み合わせられる、って思った、ってことなんだけど、二人誘ってみたら、ネネのところは許可が降りなくて、ミクと二人で行った。

Good boysって映画だったんだけれども、どう考えても先生と生徒、特に男の先生と女の生徒が一緒に見るような映画ではなかった。 まあ遠い未来の話のネタにはなりそうだけど 笑。 ちなみにこの映画、一人変態男が出てくるんだけど、この変態男が「いやいや君、それはやりすぎでしょ」ってぐらいの過剰なイギリス発音の英語を話してて、なんだかアメリカのイギリスを見る目が一瞬見えた気がする。 まあ別にいいけど。

ネネはかわいそうだったから、明日一緒トイストーリーを一緒に観に行くことに。 で、長かった1日が終了。

OSKに来た最初の日、僕が最近読んだ庄司薫の芥川賞の作品「赤頭巾ちゃん気をつけて」を誰かにあげた。 庄司薫というのはいかにも昭和の東大生、と言った感じで、つまり典型的な共産党支持者だったんだろう。 しかも当時の共産党も自民党も今よりだいぶ左寄りだったことを考えると、庄司薫っていうのは今だと超極左ということになるんだと思う。

僕は最近まで庄司薫を読みたいと思いつつも、実は出来るだけ避けていた。 理由は簡単で、僕にとって日本の本っていうのはもはや日本社会を読み取るためだけに読んでるわけで、もはや現代の日本社会を写し出さない人の作品を読んでもあまり意味がないってことだった。

2005年の始まりごろ、まだドイツにいた僕は毎日橋から端まで朝日新聞を読み漁り、日本社会のことは一通りわかっていると思っていた。 当時、郵政民営化が積極的に議論されていて、衆議院で否決された後、小泉純一郎が衆議院を解散、郵政選挙とか呼ばれる選挙戦が始まったところだった。 当然橋から端まで新聞を読んでいた僕には法律の中身はわかっていたし、法案が通ったら日本がどうなるか、ということも一通りわかっていた。 ただ、僕にはなぜ郵政民営化の法案に反対する人が「造反議員」と呼ばれていたのかはわからなかった。 「日本を守るために郵政に反対する」ということのどこが造反なのか全くわからなかった。

そして迎えた2005年9月11日、自民党が圧勝し、それから僅かして郵政法案が通った。 僕にとって、僕の愛した祖国日本が売られてしまった瞬間だった。

「事実を知る」ということは、大切なことである。 ただ、毎日クソ真面目に事実を報道してくれる朝日新聞に対し、僕は日本社会がどう動くか、なんてことは一切知らなかった。 あれ以来、僕はある意味「敵を知る」ということから、出来るだけ大衆的なものも読むようになった。 だから近代文学、特に三島由紀夫や庄司薫などの本は一切読まなくなったんだった。

右傾化する日本社会において、事実と社会の間に亀裂ができているのは異常な光景だと思う。 でも、よくよく考えてみると、日本が右傾化したのは割と最近の話だ。 第二次世界大戦後は、日本もドイツも同じような道を歩んでいた。 その差が出たのはおそらくプラザ合意後に日本企業の競争力を維持するために中曽根政権が法人税を一気に下げた時で、その結果、日本はバブル崩壊を経験し、さらにそれでも高度経済成長の頃を忘れられないせいか、金融緩和とゼロ金利政策を導入し、今となってはゾンビのように泥沼を進むのが通常となりつつあるように見える。

対するドイツは、ナチス時代からキリッと別れを告げ、高度経済成長からスムーズに低インフレの時代に移り(これがイギリスにできなかったからポンド危機が訪れたんだ)、さらに途轍もない経済格差のあった東西統一に成功し、そして今はグリーン革命を主導し、日本よりも圧倒的に短い労働時間で圧倒的な生産性を誇っている。

ドイツが良い国なのは偶然ではない。 この力の根本に、ドイツの政治力があり、これはその時の流れとか、運とかで決定的に変わったりしない。 その必然性を知る人間を、日本が必要とする日が来る、そんな気がする。 ひょっとすると、日本の未来は、今ドイツに来ている日本の高校生たちが左右するのかもしれない。

2019/09/04 お役立ち情報

OSKで結構自由のある今日の科目で、まあ別に何やってもいいや、って感じでとりあえずドイツ語のスラングから。 ドイツ語のスラングっていうか、例えば日本語でスラングって考えないで使うような言葉、例えば「マジで」とかいうと、ネイティブの人もあんまり気にしないで使うような単語もあるわけで、そういうのは外国人である僕が指摘してあげなきゃいけなかったりする。

とまあここまでやって思ったんだけれど、ここ三週間でとてつもない数の新しい日本語の言い回しを聞いて、こんなに日本語って変わったんだってすごい思うことがある。 例えば初日にいきなり「ウェイウェイした人」とかいう僕的には完全に意味不明な表現が出てきて、逆に行った本人の楓は僕になぜ普通の日本語が通じてないのかよくわからないっていう感じだった。 そのほかにも例えば「中二病」とか「草生えた」とか「斜め上」とか「ワンチャン(?)」とか出てきて、そのたびに若干意味を予想しなきゃいけないというか、草生えたとか予想しても全くわかんなかったりするから、もうホントに時々みんなが何語を話してるんだろ、って気分になってくる。 最近の女子高生はチョベリバとか言わないのね。

逆に、僕の話す日本語も極端らしく、どうやら「ホントにー」とか「困ったね」ぐらいしか言わないってみんなから突っ込まれてんだけど、もうなんだかその指摘自体がホントにーって感じである。

次に、交通標識。 これは、日本だとみんなが知らないルールが、ドイツだと非常に厳しく守られていて、結構日本人が問題に巻き込まれることが多いってことから絶対にここでやっておきたかったテーマのうちの一つである。 例えば、自転車で交差点に入るとき、もし信号がなくてその他の標識もなかった場合、右側優先、要するに右から車が来ていたらその人をまず通してあげなきゃいけない、ということになっている。 そしてもし左側から車が来てる場合、自分がその人の右側になるから、まず自分が交差点を渡れる、ということになる。 ちなみに今日ちゃんと言わなかったけど、歩行者の場合、横断歩道があったら自分優先、なかったら車優先だから注意である。 それにあわせてカルタ式にカードも色々取ってもらったからまあまあ大丈夫であろう。

最後に、ドイツの大学に入るために必要なドイツ語試験、DSHをみんなでやってみた。 当然現在の時点ではまだ難しすぎると思うが、細かい内容がどうとかいうより、ドイツの試験の問題の解き方みたいなのを教えたくて、これを選んでみた。 簡単に言うと、ドイツの試験っていうのはあんまり「正しい答え」みたいなのがはっきり決まってなくて、先生の力量によって良し悪しが決まってくるため、とにかく色々書いてみるのが一番いいのである。 当然日本人はこういう問題の出され方は苦手だから、結構わかっているのに点が取れない、ってことも多くあったりする。

昼食後、昨日と同様、外で休憩。 今日は昨日ほどは時間がなかったから卓球はしなかったけど、とにかくみんなでぶらぶらしながらいろんな話をした。 いろんな話って言っても、結局来週からドイツの学校が始まるってことばっかりで、むしろ他の話は全然耳に入らないって感じでもあった。 僕的には、その思考停止の状態の方が不安である 笑。

ここではっきり言っておかないといけないのは、みんなが来週からの生活に不安を抱いているのは当然のことなんだけど、それを考えて見てもしょうがないのである。 もうとにかく考えてもしょうがないこと、って思ってバッサリ切り落として他のことを考えるべきである。 僕はちなみに、本を読むのとか普段は時間の無駄だと思ってるけど、辛い時は本とか読んで乗り越えるようにしている(ちなみに今は休暇中だから毎日本を読んでる、当然辛いわけではない)。 このやり方は、ゴビ砂漠で何週間も同じ風景が続いた時とかに身についた僕の困難の乗り換え方で、あの後も何度か辛い時にひたすら本を読むなり映画を観たりするなりで、別の世界に浸って時間を過ごし、だいたいそれで解決する多くの問題をやり過ごした。 意外と困難なんてそんなものである。 ぼーっとやり過ごせばいいだけのことだったりする。

放課後、イロハとユズキとネネと一緒にトイストーリー4を観に行った。 僕はもともと一番最初のトイストーリーしか観てなくて、あの時生まれて初めてCGでできた映画を観て感動したものだったけど、まさかトイストーリー自体が続いているとは思ってもみなかった。 でも、まあおもちゃが人が見てない時に動き回っている、っていうのはどうも神道的な発想で、なんだかすごく親しみが湧いた。 そういう風に考える世界であってほしい。

2019/09/05 今後について+お別れパーティー

今後についてって言ってもそんなにめちゃめちゃたくさんやることがあるわけじゃないから、今日は最初に「平成の30年で変わったこと」っていうのをブワーッと黒板に書き出してもらうことから始めて見た。 僕はギリギリで昭和生まれの人間なので、一応最初から最後まで見てるっちゃ見てるから、どんな感じだったかまあまあ言える感じだったけど、みんなはあんまり平成の最初の方がどんな感じだったかなんてのは想像がつかないって感じだった。 ちなみに僕が昭和生まれって言った時「やばーい」っていう反応が返ってきたけれど、「やばい」がいい意味なのか悪い意味なのかさっぱりわからないのは平成に入ってからのことのような気がする。 今年のサラリーマン川柳で「叱っても 褒めても返事は ヤバイっす」なんてのがあったけど、逆に今の若い人たちが「やばい」にもれっきとした意味があったことを知ってるかどうかの方がきになる。

最近の職業で出てきたのは「ユーチューバー」なり「インスタグラマー」なりで、ついでに僕の方は僕の方で、平成で消えた職業っていう朝日新聞の記事があったから、それを紹介して見た。 タイピストとかみたいな単純作業系のものがほとんどで、その他は曲芸師みたいなもう本当にバブルの時代を反映していたとしか言いようのない職業ばかりだった。

で、この話で何が言いたかったかというと、ユーチューバーがタイピイストになることはできるけど、逆はできない、とかプログラマーがミシン販売員になることはできるけど逆は無理とかいうことで、要するに現代の職業っていうのは単純作業がなくて、ひたすら人間の創造性とかを使った仕事になりつつある、っていうことが一つと、もう一つは例えばユーチューバーみたいな仕事は学校で教えることが不可能で、仮に可能であったとしても、点数をつけるなんてことはも一つ不可能だということ。 まあゆとり教育大賛成の僕のような人間がいいそうなことなわけだけれども、とにかく競争社会みたいな点数で人を判断するような時代は終わりつつあるんだから、自分で自分を評価できるようになることが大切なんだよ、っていうことが言いたかった。 この話はちなみに世界最先端の研究をするマックスプランク研究所の悲願の人材養成で、現在の量産型の大学教育システムじゃ僕らが必要な人材は全く生まれないことからでてきたような考え方でもある。 要するに、研究っていうのは多種多様な考え方があるから面白いわけで、同じ人間が二人いてもしょうがないわけである。 この話はYFUからの授業内容に入ってなかったんだけど、入れてよかったと思う。

次に、移動する時と移動した後の具体的な行動を考えてもらった。 今日まで毎日漠然と色々思いを巡らせてたんだろうと思うけど、もっと具体的に、土曜日の朝ごはんの時にどう感じるだろうかとか、電車が駅に来て別れを告げる瞬間だとか、年間ファミリーの駅について初めてファミリーに会う時だとか、ホストに連れられて最初に新しい学校の自分のクラスの席についた時だとかのことを、いろいろ考えてもらって紙に書いてもらった。 紙に書くかどうかは半分ぐらいどうでもよかったんだけど、とにかくみんなにそれぞれの場面を思いう浮かべてもらった。 このうちいくつかは僕も当時のことを強烈に覚えていて、やはり人間の脳っていうのは強烈なことをしっかり覚えているもんだと感心させられる。

こんな感じで新しいホストのところについた頃はいいんだけれど、どっかしらの段階で、ホームシックになる人も出てくるわけである。 そうなったら、どうするかみんなにおなじようにグワーっと書いてもらった。 まあ「自殺する」とかいうのはただのギャグなんだろうけど、そのほか、例えば「日本の漫画に入り浸る」みたいなのも、多分日本のYFUに言ったら怒られるんだろうけど、僕は一つの選択肢として真面目に考えるべきだと思う。 なぜなら、ホームシックっていうのはもうすでにだいぶマイナスな状況であって、いかに滑り止めをちゃんと設置するかっていうのが問題になり、例えば最悪の場合帰国、っていうことになる可能性を考えると、少なくとも未来が閉ざされない「日本の漫画に入り浸る」みたいなのも立派な解決策だからである。

最後に、一年後に達成しておきたいこともブワーっと書いてもらった。 もうなんか、みんなの夢ががっつり詰まっててすごい。 特に、すっごい意味不明なこと、例えば「腹筋割る」とか「辛いピザを頼みたい」とかがあるところがまた一段といい。 この写真はここに残すからみんな見るのかもしれないけど、これをみて、一年後どういう風に思うんだろう。 ついでに、昨日一応頼んでおいた「一年後の自分に」っていう手紙も出してもらった。 これをみて、みんなどういう風に思うんだろう。

授業後、今日は学校の食堂が閉まっていたから、みんなで近くのトルコ料理店にケバブを食べに行くことにした。 ケバブを食べずんば、ドイツを征せず、である。 今日も、いい天気だ。 カッセルに来る前までの一週間が酷い天気だったなんて、信じがたい。

やはり人数が人数だったので、店の人にとにかく注文するものをメモに書いて出してくれ、って言われたんだけれど、オリバーがKalb(仔牛)をKoushiと意味もなく書いたせいで、みんなそのままKoushiと書いてしまい、結局オーダーがちゃんと出せずに、オリバ=が一つ一つ言っていったんだけど、そしたら今度は伝言ゲーム形式で、注文がはっきり伝わらなくて、結局随分混乱した。 まあみんなも何が何だかよくわからないって感じだったから、とにかく出てきたものを食べてた感じだった。 僕はちなみに、留学当時ケバブが結構好きだったんだけど、今はあの脂っこさが苦手で、はっきりいって最後まで食べるのが苦痛だったりする。 若いってすごい。

ミクの家が決まったのは先週ぐらいなんだけど、それ以来「あーもう私どうしよう」が果てしなく止まらなくなってる。 まあなんでかというと新しいホストとのコミュニケーションがあんまりちゃんと取れてないからってことみたいなんだけど、すでに嫌われてると思ってるミクがすごい。 むしろいっその事「なんで私のこと嫌ってんの?」ぐらいのメッセージを書いてみてほしい 笑。

今日はOSK終了の前日で、まあ最後の日をホストから奪うわけにもいかないってことから、伝統的に全体のお別れパーティーが開かれることになってる。 で、レーナが超優秀で、学校で直接バーベキューを計画してくれたから、僕の方は全くやることなし。 プログラムの方は、留学生だけで計画することになってるから、僕は全くいうことなし。 でも時間的に微妙だったから、僕は学校でウダウダすることにした。 その間、みんなはせっせと色々用意してくれてたみたいだけど、僕は教室でギター弾いたり、外で昼寝したり。 ちなみに写真のシーンはレーナを一応手伝ってるところである。 いろはががっつりギター弾いてるけど。

夕方になって、ってかすごいバーベキューの直前になって、オリバーと一緒にバーベキューのために近くのスーパーに買い物に行ったら、他の子もぞろぞろとついてきた。 で、まあいつものことながらアイスなりお菓子なりが色々ついてきて、僕が払うわけだけど 笑。 カッセルは丘陵地にあって、学校は丘の上だから、スーパーに行く道で綺麗な景色が広がってた(この写真だと大したことないけど)。 なんか、夕日に照らされて、カッセルが一段と綺麗に見えた。

で、ちゃんと時間内に戻ってきたんだけど、いつものごとくホストはほとんどみんな時間前についてた。 会場は、ちゃんとレーナが全部用意してくれてて、僕は当然全くやることなし。

最初にバーベキュー。 なんかカッセルの人って左翼のくせに意外と保守的で、「男なんだからグリルマイスター(注:ドイツではグリルマイスターという人が全員分のものを焼くことになっていて、個々に好きなものを焼くわけではない)をやれ」とかいつの話だよって突っ込みたくなることを言われたんだけど、まあ僕も相当下っ端に見られているようなので、文句も言わずに引き受けることに。 実際僕自身肉食べない人だし、グリルマイスターとかとにかく避けるようにしてるから、ホントにこういう場面で無能なんだけど、とりあえずそういう風に見えるようには色々やってみた。 ちなみに写真のシーンは、無事にグリルマイスターの役をオリバーに押し付けた後のシーンである。

この後、みんなの出し物で、ビンゴ。 実はルールがあんまりちゃんと伝わってなかったんだけど、そこは愛嬌でとにかくスタート。 ちなみにビンゴの用紙は僕がすっごい昔に作ったプログラムで、100人分作ってあって、後の乱数は、誰かが用意してきた携帯のアプリで次々出してた。 よくまあいろんなアプリがあるものである。

僕自身あんまりビンゴは好きじゃないんだけど、まあとにかく遊ぶときはがっつり遊ぶから、オリバーとぐちゃぐちゃ言いながら意味不明な競争をしてた。 まあ結局負けちゃったんだけど。

ビンゴの後、長太郎が感謝の言葉を読み上げた。 なんか、本当にやればなんでもできるもんだ。 でも、きっとそういうもんなんだろう。 大人が全然わかってないだけで。

その後、なんとなくスーッとパーティーは終わった。 僕はレーナと残って11時ぐらい近くまで後片付けしてたわけなんだけど。

2019/09/06 旅立ち

今日、オリバーの授業の途中について、職員室で、今日の授業の内容を確認してから教室に戻った。 確認、って言っても、そもそもほとんどやることなんてなかったし、今日やる内容はずっと前から決まってたようなものだったから、職員室では本当のところただぼーっと座ってただけのようなもんだったんだけど。

まず、最初にOSKの最初の頃に書いた、OSKの目標のところを見てもらった。 達成したものも達成しなかったものも当然あったわけだけど、割とみんな現実的な目標を立てていたせいか、不思議とあまり達成できていないものは少なかった。 それでも、色々できなかったことはあったみたいだけど。

その後、「認識の木」というタイトルで、できるようになったもの(木の外)と、達成できなかったもの(木の中)と、捨てていくもの(木の下)に分けてもらった。 「一人でSubway」は僕が書いたんだけど、他のはみんなが書いてくれた。 これも、昨日と似たような感じで、一年の目標みたいなところがあるんだろう。

これで、僕のOSKとしての授業は終わりだったんだけど、最後の最後に、僕が本当に伝えたかったことを、20分ぐらいかけて語った。

授業はすっごい早くに終わったから、終わった時点で食堂に行ったんだけど、やっぱり準備はできてなかったみたいで、外で卓球したりして待った。 昼食後、オリバーの最後の授業があって、僕とか特にいてもしょうがなかったんだけど、とりあえず最後の事務作業も済ませて、授業終了。 授業後、教室の片付けをして、OSKの最初の頃に作った「スマホいじったら50セント」と「遅刻したら50セント」の決まりで貯まったお金で、みんなでアイスを買いに行った。

貯まった額は、20ユーロ95セント。 一人ひと玉で、お釣りが来るぐらいの額だった。 実際3ユーロぐらい余ったんだけど、今日までみんなのアイスとか食事とか映画とか奢ってたから、別に3ユーロぐらいぐちゃぐちゃ言わないでいいかな、って思って着服させてもらった。 まあ全員が全員僕から奢ってもらってたわけじゃないから、そういう人に返金しても良かったんだけど(でも実際3ユーロぐらいじゃどうにもならないか)。

教室に戻ったら、サプライズでなんと写真とメッセージがついたポスターがオリバーとレーナと僕に贈られた。 全然知らなかったけど、こんなものも用意してくれていたのね。

僕の方は、プレゼントは用意しなかった。 プレゼントがあると、「お別れ」ってなってしまう気がしたから。 お別れじゃないよ、これが始まりだから、って。

次のステージに向かってステップを踏むみんなに、僕のあの時の幻影が見えた気がした。 次会うのは、全く別の人たちかもしれない。 それでいい、自分の未来を掴みに行って欲しい。 僕が、応援してるから

エピローグ 夢と希望と世界と僕のすべてを